尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

高橋幸宏、ジェフ・ベック、三谷昇、龍村仁等ー2023年1月の訃報①

2023年02月08日 22時25分44秒 | 追悼
 恒例の毎月の訃報まとめ。1月は小説家の加賀乙彦を別に書いた。広い意味の芸能関係と、それ以外の学者、官僚などに分けて書きたい。最近訃報まとめが長くなりすぎて自分でも大変なので、できるだけ簡潔に。

 最初は「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)のドラマーだったミュージシャン、高橋幸宏、1月11日死去、70歳。1972年に「サディスティック・ミカ・バンド」(加藤和彦を中心に、当初は加藤ミカ、角田ひろ、高中正義で発足、角田脱退後に高橋が加入)に参加。1978年に細野晴臣坂本龍一と「イエロー・マジック・オーケストラ」を結成し、シンセサイザーとコンピューターを駆使した「テクノ・ポップ」で世界を席巻した。(83年解散。)その間、代表作「ライディーン」を作曲した。解散後はソロで多くの歌手に曲を提供したり、大林宣彦監督『四月の魚』に主演するなど多彩な活動を行った。
(高橋幸宏)
 イギリスのロックギタリスト、ジェフ・ベックが1月10日死去、78歳。1965年にエリック・クラプトン脱退後のヤードバーズに加入。67年に脱退後は、ジェフ・ベック・グループやソロで活躍した。日本ではエリック・クラプトン、ジミー・ペイジとともに「三大ギタリスト」と呼んだりする。米国グラミー賞を8回受賞した他、奏法などで多くの影響を与えた。
(ジェフ・ベック)
 ロックバンド「シーナ&ロケッツ」のギタリスト、鮎川誠が1月29日死去、74歳。福岡で活動後、78年に上京して「シーナ&ザ・ロケッツ」と結成。その後もずっと活動を続けた日本を代表するロックバンドになった。初期にはYMOの全国公演にギタリストとして参加もしたいる。また俳優としてもテレビ、映画に出演した。以上3人とも僕は全然詳しくないんだけど。
(鮎川誠)
 俳優の三谷昇が1月15日死去、90歳。劇団文学座、雲、円に所属、日活ロマンポルノを初め数多くの映画にも出演した。29歳の時に事故で右目を失明したこともあり、気の弱い男や不気味な悪役などの怪演で知られた。舞台では別役実作品に欠かせない存在で、映画では黒澤明『どですかでん』や伊丹十三監督『マルサの女2』などがある。テレビにもたくさん出ている。
(三谷昇)
 映画監督の小沼勝の訃報が2月9日の報道されたので、追加する。1月25日死去、85歳。日活ロマンポルノで、耽美的、SM的な作品を多数作ったことで知られている。1971年に『花芯の誘い』で監督デビュー。1974年に、『花と蛇』(原作者の団鬼六を怒らせたという)や『生贄夫人』など谷ナオミ主演映画で有名になった。77年の『夢野久作の少女地獄』も作った。2000年には一般映画『NAGISA』でベルリン映画祭キンダー部門グランプリ受賞。江ノ島を舞台に、ひと夏の少女のゆらぐ心情を繊細に描いている。この映画は公開当時に見たが、2019年に国立映画アーカイブの「逝ける映画人を偲んで」企画で上映されたので再見した。この時に監督と主演松田まどからのあいさつを聞いた覚えがある。(1.10追加)
(小沼勝)
 映画監督の龍村仁(たつむら・じん)が1月2日死去、82歳。龍村仁といえば「キャロル事件」である。1973年にNHKの教養部ディレクターだった龍村は、ロックバンド「キャロル」(矢沢永吉、ジョニー大倉等)に衝撃を受けてドキュメンタリーを作成、それを7時半の時間帯に放送したいと考えた。しかし、上層部が難色を示し、再編集されて半年後の昼間に放送された。龍村は上層部に抵抗して、同じくNHK職員だった小野耕世とともに、ATGで記録映画『キャロル』を製作し、その間欠勤して解雇され裁判闘争を起こした。しかし、その映画は期待したほど面白くなかった。その後、1992年から2010年にかけて『地球(ガイア)交響曲』を第一番から第七番まで製作した。全部は見てないけど、一部見た感じではこれもちょっとなあという感じの映画だった。
(龍村仁)
 イタリアの女優、ジーナ・ロロブリジダが1月16日死去、95歳。50年代にフランス映画『花咲ける騎士道』『夜ごとの美女』に出演して世界的に人気を得た。その後ハリウッドに進出し多くの娯楽映画に出たが、巨匠の名作などは少なく、演技賞などには恵まれなかった。割と知られた主演作に『ノートルダムのせむし男』『わらの女』などがある。またアメリカの女優、シンディ・ウィリアムズが1月25日死去、75歳。あまり大成しなかったが、『アメリカン・グラフィティ』でリチャード・ドレイファスの妹で、兄の友人ロン・ハワードと付き合ってた人である。二人が「煙が目にしみる」で踊っていた場面が忘れられない。
(ジーナ・ロロブリジダ)(シンディ・ウィリアムズ)
 アメリカのシンガーソングライター、デヴィッド・クロスビーが1月18日死去、81歳。クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)のクロスビーである。はじめ「ミスター・タンブリン・マン」をヒットさせた「バーズ」を結成、67年に脱退後、68年に「クロスビー、スティルス&ナッシュ」を結成、70年にニール・ヤングを加えCSN&Yを結成した。傑作「デジャヴ」を残すもメンバー間のあつれきから活動停止。90年代以後、「クロスビー、スティルス&ナッシュ」として3回来日公演をしている。
(デヴィッド・クロスビー)
 アメリカの歌手、というよりエルヴィス・プレスリーの一人娘として知られるリサ・マリー・プレスリーが1月12日死去、54歳。生涯で4回結婚したが、その中にはマイケル・ジャクソンニコラス・ケージがいる。父との死別、ドラッグ中毒、子どもの自殺など過酷すぎる人生を送ったように思える。最後は心臓マヒだった。
(リサ・マリー・プレスリー)
ジョセフ・クー、3日死去、89歳。香港映画の作曲家。ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』『ドラゴンへの道』『死亡遊戯』などを手掛けた。その後、武侠映画や『男たちの挽歌』などの音楽も担当。さらに広東ポップブームのヒット曲を多く作曲した。カナダへ移住して同地で死去。
ポール・ヴェキアリ、18日没、92歳。フランスの映画監督。日本では『薔薇のようなローザ』(1985)が公開されただけだが、フランスでは作家性の強い巨匠として知られているという。
清元梅吉、20日死去、90歳。清元節三味線方として人間国宝に認定された。
向井政生(むかい・まさお)、21日死去、59歳。TBSアナウンサー。ガンを公表していた。
つばめ真由美、24日死去、62歳。歌手。双子の「ザ・リリーズ」の妹。「好きよキャプテン」がヒットした。
田川律(たがわ・ただす)、28日死去、87歳。音楽評論家。大阪労音で「関西フォーク」を支え、その後69年に「ニュー・ミュージック・マガジン」創刊に関わった。また演劇の黒テントにも関わっている。著書に『まるで転がる石みたいだった』『日本のフォーク&ロック史—志はどこへ』などがある。
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荒井(前首相秘書官)さん、ニッポン捨ててどこ行くの?ー荒井「暴言」考

2023年02月06日 22時33分10秒 | 政治
 土曜日(2月4日)の朝、スマホのニュースを見たら「荒井発言問題化」なんて出ていた。何だよ、それと思ったら、前夜「オフレコ取材」の時に、荒井勝喜首相秘書官という人が同性婚をめぐって「問題発言」をしたということだった。知らない間に大炎上していて、本人も発言を撤回したものの、岸田首相はその日のうちに首相秘書官を交代させたという出来事があったわけである。

 だけど内容を知ったら、これは「発言」というレベルを超えてるだろ。かつての杉田水脈衆院議員のケースは、なんと定期刊行雑誌に掲載されたのだから、確かに「差別発言」と評するものだろう。でも、今回は酒席でもないだろうに、ただ感情をぶつけてるだけ。せめて「荒井暴言」と書くべきだ。紛れもない「ヘイトスピーチ」で、本質では「犯罪」である。

 日本にはそういう犯罪を罰する法律がないから、刑事事件にならないだけのことである。この暴言をもたらしたのは、荒井前秘書官の「ホモフォビア」(同性愛嫌悪)感情だ。嫌悪というより、「同性愛恐怖」と訳すべきかもしれない。こういうことを平気で発言できるんだから、この人は本質的に「差別者」だと考えられる。「隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」と語ったそうだが、恐らく「在日コリアン」や「ムスリム」が隣に越してきても、嫌悪感を持つのではないか。その場合は内心を隠して発言しないかと思うが、同性愛者に関しては堂々と嫌悪感をむき出しにするのである。

 しかし、ある意味でこの「荒井暴言」は歴史的に非常に貴重なものである。特に「秘書官室もみんな反対する」なんて、実に重大な「国家機密」をポロッと暴露したのは重大。後で皆に聞いているわけじゃないと弁明しているが、それは火に油を注ぐものだろう。聞くまでもなく、首相秘書官はそんな問題に関心があるわけがない、「人権、人権なんて、うるさいことを言う人は誰もいない」。だから皆が反対に決まってると確信できる。そういう組織が首相を支えているという恐るべき実態があるのだ。

 それにしても「同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」とは凄すぎる。事実は正反対で、いつまで待っても何も変わらない日本を捨てる人の方ががいっぱい出て来てるのである。同性婚や夫婦別姓を求める人だけではない。何かの問題でマイノリティに優しくない社会は、他の問題でも困った人に手を差し伸べない社会である。同性婚を認めない日本という国は、異性婚で子どもがいる人にも優しくない。国を捨てられる若い人はどんどん外国で活躍している。でも高齢者は出ていけない。

 同性婚を将来認められた日本から、国を捨てるってどこへ行くつもりなんだろうか。同性婚を認めている国に行けば、隣に同性婚者が住むかもしれない。だからアメリカ合衆国には行けない。日本人が最近多く移住しているらしい、カナダオーストラリアニュージーランドにも行けない。イギリスドイツフランススペインオランダ(世界最初に合法化)、スウェーデンデンマークスイス等主要国は同性婚を法的に認めている。メキシコブラジルアルゼンチン南アフリカなども同様。
(世界の同性婚事情、2019年段階)
 イタリアだけはヨーロッパの主要国の中で、まだ同性婚ではなく「パートナーシップ法」の段階に止まっているようである。それをも避けるとなれば、日本でもパートナーシップを認めている自治体が多くなってきたから渋谷区や港区、世田谷区などにも住めなくなる。だから、パートナーシップは無視するとすれば、イタリアには行けるだろう。しかし、ニッポンを捨てた場合、主要な「先進国」には住めないのである。そうなると、中国ロシア(最近「同性愛者宣伝禁止法」が制定された)、そしてイスラム諸国に住むしかない。まあドバイに行ったまま帰らない国会議員もいるんだから、それが選択肢か。

 僕が不思議に思うのは、安倍元首相以来「価値観外交」などという言葉が出て来て、「価値観をともにする国」と「ともにしない国」を分けて考える人がいることだ。この場合、自由選挙を行わず、政治的自由がない中華人民共和国を「価値観が違う」と言うらしい。安倍氏は「台湾有事は日本有事」などとぶち上げたが、台湾は同性婚を認めている。僕には自由民主党と中国共産党こそが「価値観をともにしている」ように見える。台湾の民進党政権こそ、自民党政権と価値観が違っていると思うけど。
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映画『イニシェリン島の精霊』、孤島の人間関係を描く傑作

2023年02月05日 23時01分07秒 |  〃  (新作外国映画)
 マーティン・マクドナー監督の『イニシェリン島の精霊』(The Banshees of Inisherin)を見た。傑作だと思うけど、好き嫌いがあるだろう。原題の「Banshees」の意味が判らなかったが、調べてみると「アイルランドの民話に出てくる泣き叫ぶ姿をした妖精」とある。これじゃ知らないわけだが、邦題の「精霊」では伝わらないニュアンスが原題にはある。監督のマーティン・マクドナー(1970~)は、イギリス・アイルランドの劇作家で、演劇界で成功した後、近年は映画で活躍している。

 マクドナー監督の前作『スリー・ビルボード』(2017)は、アメリカの片田舎を舞台にヒートアップする人間関係を精妙に描いて世界的に大成功した。5年ぶりの新作はアイルランドの孤島を舞台にしているが、やはりヒートアップする人間関係を鋭く見つめている。彼の戯曲は「ブラック・コメディ」と言われることが多いらしい。ゴールデングローブ賞でも「コメディ&ミュージカル部門」で作品賞を得ている。別に「ドラマ部門」もあって、例えば『エルヴィス』はそっちにノミネートされた。

 しかしながら、日本人の感覚ではこの映画は「ドラマ部門」の作品としか考えられない。いくら何でも「コメディ」とは思えないが、そこにこの映画を理解する鍵があるとも言える。展開は自然で、どこにも難しいところはないけれど、でも何となく「何だ、これ」的な展開にあ然とする人が多いのではないか。でも僕はこの映画が判る気がした。身につまされる気がして見たのである。ある意味、この映画の話を一言で言えば、「大人のけんか」である。それが「変人」が絡み合ってヒートアップしていく。
(パードリックとコルム)
 アイルランド西部の孤島、荒涼たる大自然の中で人々は伝統的に生きている。「内戦」とか言ってて、いつの話だよと思ったら「1923年」と出た。ちょうど100年前である。第一次大戦後に、アイルランドでは独立を求める反英暴動が起こって内戦になった。そんな時代だが、島にはその余波も及ばない。仕事が終われば、男たちはパブに集まって飲み明かす毎日。今日もパードリック(コリン・ファレル)は飲み友だちのコルム(ブレンダン・グリーソン)を誘いに来るが、コルムは無視して居留守を使う。仕方なく一人でパブに行くが、後からコルムも来て一人でフィドル(バイオリン)を弾いている。

 パードリックはもしかして昨日酔って怒らせたかと思って謝るが、コルムはそうじゃない、もう友だち関係をやめた、二度と話しかけないでくれと言うのである。お前の話は下らないし、これからは作曲に時間を使いたいから、付き合うのは時間のムダだという。納得できなくて、教会の神父に頼んだりするが、コルムはこれ以上関わってくると、自分の指を切るという。ここら辺が訳の判らないところで、「他害」で脅すのではなく、「自傷」で脅すなんて聞いたことがない。しかも、映画内でその自傷を実行するんだから、コメディと言うよりホラーではないか。

 神話的とも言いたくなる大自然をバックに物語が展開するので、人間関係の厳しさというものを見る者に刺さってくる。パードリックには賢い妹(シボーン=ケリー・コンドン)がいて、何くれとなく心配してくれる。また偏見丸出しの警官と、その少し足りない息子(ドミニク=バリー・コーガン)が事態をかき回す。狭い島はこの「けんか」をめぐって噂が飛び交い、いさかいはエスカレートしていく。何が何だか判らず、まるでストーカーになったかのように元親友との関係復活を試みる「善人」を演じるコリン・ファレルが生涯最高レベルの名演。アカデミー主演賞最有力か。名を書いた他の3人も助演賞にノミネートされている。
(マーティン・マクドナー監督)
 中で語られるには、人間に2種類ある。「考える人」(シンキング・マン)と「優しい人」(ナイス・マン)は違う。パードリックの妹はいつも本を読んでいて、島からの脱出を考えている。そういうタイプと、ただ伝統に従って生きているだけの「善人」は違うという。高齢になって、コルムはただの「ナイス」と付き合う気が失せた。歴史に残る「作曲」をしておきたいのだ。これはよく判る話である。こんなのに付き合ってても時間のムダと思った時は多いが、自分は多忙とか体調不良とか理由を付けて、出来るだけ角が立たないようにフェイドアウトした。

 学校でも生徒間で時々起こるの。昨日まで仲良くしていたグループが、ある日から分かれてしまう。時には一人ぼっちも出るから、仲間はずれのいじめかと探りを入れるけど、どうもそうでもない。特にけんかしたわけでもなく、付き合ってて興味の向く方向が違うことに気付いて来る。そろそろ受験勉強に本腰を入れたいのに、いつまでもアイドルの話ばかりしてるような人とは離れたいとか。長い目で見れば、新しいグループ編成に向かう過渡期の時もあるが、不登校につながることもあるから要注意。どこまで教師が介入して良いのかも見極めが難しい。ま、そんな昔の苦労を思い出してしまったです。
  
 「イニシェリン島」というのは、架空。アラン諸島の最大の島、イニシュモア島でロケされたという。マクドナーには「アラン三部作」という成功した戯曲があるとのこと。映画ファンには大昔のロバート・フラハティ監督のドキュメンタリー映画『アラン』(1934)で知られる。またアランセーターでも知られている。どこにあるのか知らなかったけど、地図を探したり上記画像のように、アイルランド島の西部にあった。絶海の孤島というわけではなく、案外本島に近いのに驚いた。
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映画『ラーゲリより愛を込めて』、シベリア抑留を描く感動編

2023年02月04日 23時03分30秒 | 映画 (新作日本映画)
 瀬々敬久監督、二宮和也主演の『ラーゲリより愛を込めて』を見た。公開2ヶ月近く経つが、今も興収ランキングベスト10に入っている。見れば判るけど、これは日本の戦争映画の中でも感涙度ベスト級の出来で、口コミで評判が伝わるんだろう。僕はこの映画は、監督や俳優ではなくテーマで見逃したくなかった。題名の「ラーゲリ」とはシベリアの収容所のことで、第二次大戦後に60万近い日本人「捕虜」がソ連によって抑留された出来事(「シベリア抑留」)を描いている。

 この映画の原作は辺見じゅん収容所(ラーゲリ)からきた遺書』(1989)で、発表当時大きな評判となった。大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を同時に受賞している。辺見じゅん(1939~2011)は、もう覚えてない人が多いかもしれないが、国文学者、歌人にして角川書店創業者として知られる角川源義(かどかわ・げんよし)の長女である。つまり、角川春樹角川歴彦の同母姉になる。映画になった『男たちの大和』の原作者でもある。

 冒頭は敗戦直前の「満州国」北部、ハルビン。そこで結婚式が行われ、山本幡男(やまもと・はたお)、もじみ夫妻も子どもたちとともに出席している。配役はそれぞれ二宮和也北川景子。直後にソ連軍による空襲があり幡男は妻子と別れることになるが、自分は絶対に日本に帰ると「約束」した。その後の経緯は描かれないが、次にはシベリアに送られる列車の中である。幡男はそこで「愛しのクレメンタイン」(Oh My Darling Clementine)を口ずさんでいる。「雪山讃歌」の曲となり、またジョン・フォード監督『荒野の決闘』のテーマ曲となったアメリカの民謡だ。この曲が映画では何度も繰り返される。
(ラーゲリのセット)
 その列車の中で様々なタイプの軍人が点描される。「臆病者」を自覚する松田(松坂桃李)や軍人であることに固執する相沢(桐谷健太)である。ロシア語ができて通訳を引き受ける幡男だが、そのことで誤解もされる。所内では旧軍の上官の横暴が続く一方、ソ連軍の強制労働のため、極寒のシベリアで死者が多数に上る。ともすれば自暴自棄になる人が多い中、幡男はあくまでも「希望」を持つことを説き、「帰国」(ダモイ)の時は必ず来ると語るのだった。そして実際にダモイの列車がやって来るが、最後の最後で何人かは留められて戦犯裁判に掛けられた。

 それでも屈することなく、山本幡男は所内で野球や俳句を広めて、皆の心をまとめていく。何度もソ連兵によって営倉に入れられるが屈しないのは、ポール・ニューマン主演の『暴力脱獄』を思わせるぐらいである。日本軍による中国戦線の残虐行為、収容所内の「民主化闘争」の問題など、過不足なく描いていくが、映画の眼目は所内で人間性を失わないで生き抜く山本幡男の勇気と誠実を描くことにある。しかし、そんな彼を病魔が襲った。病院での診察を求めて、松田は一人で作業を拒否して「ストライキ」を始める。やがてそれが皆に広がり、ソ連軍もついに彼を病院に送るのだが…。
(野球に興じる)
 その後、死期を悟った山本幡男は渾身の力を振り絞り、「遺書」を残す。二宮和也の鬼気迫る演技が胸を打つ名場面だ。しかし、収容所内では日本語の文書はスパイ行為とみなされ、見つかれば没収される。それを防ぐために遺書を分割して、4人で記憶して日本へ伝えることを考えたのである。(実際は6人で運んだ。)その間に妻もじみの様子が点描される。子どもたち4人を連れ何とか帰国でき、生活に苦労しながらも夫の「約束」を信じて生き抜いてきたのである。
(実在の山本夫妻)
 そして最後の帰国船が着く直前に、幡男の死去を知るのである。その後、4人が折々に山本家を訪れ「遺書」を伝えていく。これは実話であり、見る者に深い感動を与えるシーンだ。様々な戦争映画が日本で作られたが、感涙度では有数ではないか。ただ原作ではもっとたくさんのエピソードが語られていたと思う。(読んでるけど、細部は忘れた。)ウィキペディアに「山本幡男」の項目があり、「アムール句会」を開いたり演芸大会を企画したり、映画以上に文化活動に活躍したようである。この「遺書」は人間は最後は「まごころ」だと子どもたちに伝える。

 シベリア抑留に関する複雑な事情を語り始めると長くなりすぎるから省略する。この映画も原作をさらに切り詰めていて、そこから来る「わかりやすさ」とともに、何だか「簡潔すぎる」感じも抜けない。2021年に撮影されたが、もちろん国内ロケが中心。よくよく見れば、ここはシベリアかという風景である。それは目をつぶるとしても、山本幡男を中心に「人間の善なる部分」を描くことの限界性もある。だけど若い世代に伝えていくためには、ここからのスタートで良いのだろう。シベリア抑留の体験記や一般的解説書は多数あるが、最近は入手しにくいと思う。最初から石原吉郎の詩や香月泰男の絵の世界じゃ伝わらないだろう。
(クロ)
 なお、犬のクロが出て来て、帰国船を追ってくるシーンがある。これが実話だというので驚いた。この犬の名演が見事で、最優秀名犬賞をあげたい。シベリア抑留の死者はまだ全員が判明しているとは考えられない。故・村山常雄氏がロシア語の名簿を大苦労してまとめた「シベリア抑留死者名簿」のサイトがある。それを見ると、山本幡男もあるし、尾形眞一郎(伯父、父の兄)の名も掲載されている。ついでに書くと、映画にも出て来る長男、山本顕一氏はフランス文学者で、立教大学名誉教授だった。自分の在学時代に教授だったわけだが全く知らなかった。(辺見著が出るまで誰も知らないんだから当然だが。)まだお元気で、ニューズウィーク日本語版に、『二宮和也『ラーゲリより愛を込めて』の主人公・山本幡男氏の長男が語る、映画に描かれなかった家族史』があるのを見つけた。
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母の病状についてー追補Ver.4

2023年02月03日 22時50分38秒 | 自分の話&日記
★追補④(2.3)
 2022年末に「母の病状について」という記事を更新して以来、1ヶ月以上。何も書いてないだけでなく、最近は毎日のように更新して、映画の記事もある。いつの間にか、書いてない間にすべて(葬儀まで)済んでしまったのかと思った方も、中にはいるのかもしれません。しかし、そうではなく、「いつ何が起こってもおかしくない」と言われてから、一ヶ月。最近病状の説明を受けたのですが、容態が安定してしまったようなのです。年齢が年齢(95歳)、病気が病気(大動脈解離)ですよ。ほとんど起こらないようなことじゃないかと思います。

 今後は救急病院から別の病院への転院が必要になります。今後も急変も予想され、事前に旅館や演劇公演などを予約することはしばらく難しいと思います。しかし、当日になって決められる近場の映画館などは解禁したわけです。

 それにしても、あれだけ野菜を残す人がこんなに強いなんて、やはり肉食の方が強いのか。「ゴミ屋敷」は言い過ぎだけど、膨大な過去のあれこれが残されていて、ゆるゆると整理・片付けをしています。「ゴミ屋敷2世問題」というのも、世にはあります。

★追補③(12.26)
 前回書いてから2週間が経過。コロナ禍の面会禁止というのは、本当に身に応える。基本的には映画も見ず、散歩もせず、病院からの電話に自宅で待機している。一月間映画も見てないが、まあ映像は残っているから、いずれ見る機会もあるだろう。40年間夫婦で通っていた「高石ともや年忘れコンサート」もチケットを買っていたが、今年は行かなかった。残念だが、楽しめないのでやむを得ない。昔のフランス映画ジェラール・フィリップ特集の前売り券も買ってしまったのだが、一枚も使えてない。

 ひたすら「待っている」という意味で、これはアレだなと思って探し出して読んでみた。ベケットの『ゴドーを待ちながら』(高橋康也訳)である。2013年に白水Uブックスから出たとき買ったまま読んでなかった。舞台でも見てないから今回が初めて。「不条理演劇」の代名詞にして最高傑作と帯に書いてあるが、まさにその通りの傑作だと思った。でも、今の時点ではあまり心に通じては来なかったけど。アメリカではマイアミで「爆笑コメディ」として初演されたが、幕間の後まで残っていたのはテネシー・ウィリアムズ、トルーマン・カポーティと役者の家族だけだったという。そこまで行くと、それも「伝説」である。
(『ゴドーを待ちながら』)
 ようやく金曜日に連絡があり、点滴と輸血で少し持っていた容態も次第に衰えてきたようである。片付けを進めていると、いろんな問題、疑問がいっぱい。鍵がやたら出て来るが、どこのものか。寄りによって「貸金庫」なんて持っていて、その鍵が見つからなかったのが、昨日やっと発見した。昨日は弟夫婦に来て貰って、相談&片付けをして疲れてしまった。かくしてクリスマスも正月もない毎日が続いている。

★追補②(12.12)
 母が救急車で運ばれて、そのまま入院して2週間経ちました。(コロナによる)面会禁止なので、一体どうなっているかよく判りません。もちろん「容態急変」ならば連絡が来るので、そうではないということでしょう。毎日連絡があるわけではなく、何か連絡(家族の決断)が必要な時だけしか連絡がありません。実際の所、今まで3回しか連絡がありませんでした。しかし、電話がいつあるか判らないから、家を離れられない。というか、離れることもあるけれど、スマホで連絡できるようにしておかないといけない。

 だから映画を見に行くことが出来ない。あるいは演劇や落語などにも行けないし、それより行きたい気も今は失せています。ニュースは見ているし、「防衛費」の大幅増、「旧統一協会」をめぐる「救済新法」などもいずれ書きたいと思いながら、今は考えをまとめる(気持ちの)余裕がありません。ワールドカップもまあ見てはいるけれど、真夜中の試合が多いこともあって、ナマで見たのは少ないです。あれこれ書くほどの関心が持てない感じ。日本代表とか、カタールの人権問題とかと関係なく。

 母親の年齢が年齢だけに、当然子どもの方も年を取っているわけで、「悲しみに泣き暮れる」というわけではありません。いずれ来るべきこととして、「脳内シミュレーション」済みとも言えます。しかし、最後まで庭仕事などしていたこともあり、突然の「不在」が家の中に影を落としているのは間違いありません。いわゆる「片付けられない」人だったので、家の中が散らかり放題になっているので、それを片付けています。森保監督かよと思うような「メモ魔」で、書きかけのメモ帳がおよそ200冊ぐらいは出て来たのにはビックリ。映画や時事問題を書くことが多かったけれど、それが書けないいま、書きたいことが少なくなってる状態。

★追補①(11.30)
 いちいち経過を書き込む気はないけれど、時々簡単に書いてみたいと思います。月曜日(28日)は夕方に急変して救急車を呼んだので、食べる間もないままずっと対応していました。救急車に乗ったのも人生初で、プロの技に感心しました。この日は興奮が残ってしまい、食欲も眠気も飛んでしまい、この記事を12時20分過ぎまで書いていました。まあちょっと危険なことを言われていたのだけど、結局その後の2日は持ちこたえています。でも、面会はコロナで禁止なので会えていません。ところで、昨日は家で頼んでいる「らでぃっしゅぼーや」の食材が来る日でした。母も毎週パンを頼んでいました。最後の最後までパンの方が米飯より好きな人でした。今回も4つ頼んでいて、つまり先週の段階(22日)ではそれを自分で食べる気だったわけです。僕が今日食べることにしましたが、それは「ホワイト・フランス・パン」と「バジルパン」。95歳でそういうのが好きだった。
(4つのパン)
 昔からフランス映画が一番好きで、岩波ホールなども良く行ってました。家でも庭仕事を最後までしていていました。日曜日6時のEテレで、ターシャ・テューダーや大原のベニシアさんの番組を見てました。実際に出すと食べないくせに、「ハーブ・ガーデン」などに憧れていました。 

母の病状について(2022-11-29 00:22:18)
 私事ながら書いておくことにします。僕の母親は11月23日で95歳を迎えましたが、その翌日から体調に異変が起こりました。食べられなくて、ほぼ寝たきり。意識はあって病院には行きたくない、ただの風邪だと言い張っていました。エリザベス女王じゃないけど、同じぐらいの年なんだから、元気なようでもいつ何事が起こっても不思議はありません。そのことは家族も覚悟しています。
 
 医者には連れて行けずに土日になってしまい、救急相談センターに連絡したけど、救急車を呼ぶほどのケースにはまだないと思うという判断でした。まあ、極端に食が細くなっていても、一応起きてきてちょっと食べるし(おかゆの一口、ゼリーの一口ぐらいだけど)、トイレも自力で行けたいたのでそういう判断になると思います。

 年齢が年齢だけに、記憶力の薄れなどはあるものの、水曜日までは一緒にご飯を食べて風呂にも自分ではいれていました。今まで介護保険も使わず、(整形外科はあったものの)近年は内科にも掛かっていませんでした。先週までは庭仕事までやっていたので、驚くべき90代。僕には多分真似できない。

 ところが今日の夕方5時頃になって、突然心臓が痛いと言い出しました。実は明日訪問診療をお願いしていました。(そういう病院もあるので、医者嫌いだけど救急車を呼ぶほどでもない場合に便利です。)6時半までやってる近所の病院に行こうとして、タクシーを呼んできたのですが、今度は歩けなくなってしまった。そこで救急車を呼ぶことにしました。

 救急車内で少し元気になって会話も出来るようになって、救急病院で診察を受けたところ、「大動脈解離」という診断がありました。調べてみると突然起こって予知は難しい難病です。95歳だけに手術も難しく、救急病院からの転院先も見つかりません。結局、その病院でしばらく過ごすことになりました。

 多くの人がそうだと思いますが、母親に関してはいろいろな思いがあります。しかし、突然食べられなくなった時から、何かあるような気がしました。そうすると、突然茂吉の歌などが脳裏に浮かんでくるのに自分でも驚いています。「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」ですね。ということで、今後のブログ更新は停滞します。毎日のように書くことは出来ないと思います。その予告を兼ねて、現在の自分の状況を書き残す次第です。
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「中学校」支援に力を全力を注げーこれからの日本社会の持続のために

2023年02月02日 23時08分14秒 |  〃 (教育問題一般)
 朝比奈なを進路格差』の紹介を書いたので、そこからの派生で一度書きたいと思っていたことを。同書の中で、「高校が人生の分水嶺」というようなことが言われていた。全くその通りなのだが、そこで東京都では「様々なタイプの高校」とか「進学指導重点校」など幾つもの「教育改革」が行われてきた。だけど、中学教員も高校教員も体験した自分から見ると、まず必要なのは「中学校への社会全体の支援」だと思う。明らかに一番大変なのも中学校である。

 20世紀の中学とはいろいろな点で様変わりしていることだろう。だが、小学校と高校に挟まれ、常に高校受験を意識せざるを得ないのが中学である。部活動が本格化して、休日返上の苦労も中学が一番だ。生徒は思春期を迎え、問題行動も発生して生活指導も苦労の連続。そして地域に密着した義務教育では、「地域の目」が高校とは段違いである。そのような「本質」は不変だろう。
(教員の苦労の調査)
 さらに東京都では中学校の「学校選択制」もあり、また「英語のスピーキング・テスト」まで実施された。また全国で「全国学力テスト」とか「道徳教科化」など、自分の時代にはあり得なかった政策も実施されている。教員の階層化競争的人事制度も進んでいるうえに、コロナ禍対応、デジタル化対応もある。昔でさえ忙しかったのに、今現在の多忙さは恐るべきものだろう。

 高校が人生の分水嶺と言われても、いや違うだろう、大学こそ自分の人生の分かれ道だったと思う人も多いはずだ。自分自身もそっち側で、大学や大学院、あるいはその後の自ら関わった出来事こそ、自分を作ったと思う。それは自分が進学校に入学し、大学へ通うのは当然という意識を持っていたからだ。それを可能にする家庭の経済力も担保されていた。だから、自分にとっては「どのレベルの大学に合格できるか」、さらに「どの学部を目指すか」という問題こそが重要だったわけである。

 中学教員のほとんどはそれなりの進学高校出身である。そうじゃないと、大学で教員免許を取って、教員採用試験に合格しない。もちろん高校教員も同様だが、最初に配属される高校が地域で最高レベルということはほとんどない。専門学校や就職を目指す生徒を指導することで「高校生の多様な進路」を知る。中学教員もいろんなタイプの生徒を扱うけれど、様々なタイプの高校を知っているわけではない。工業高校や商業高校へ進学する生徒は多いけど、普通科進学校から順番におおよそ作られている「高校の偏差値序列」に沿って指導しがちになる。

 自分もそうだったし、違うタイプの高校へ進学させるべきだったと後悔するようなケースもあった。中学では就職希望の生徒から、国立大学附属校に合格するような生徒まで教えた。授業、部活動、生活指導に追われながら、多種多様な生徒を相手にして、それ以上の進路指導は難しいだろうと思う。自分が高校に異動すると、今度は明らかに間違った進路先を選んだと思う生徒に何人も出会った。高校は義務教育だから、「留年」や「退学」がある。何人もの生徒が退学していったし、また退学させざるを得ない。

 留年も退学もできない中学の現場では、多忙の中で多くの生徒や教員が悩んでいるだろう。「人生の分水嶺」である高校への進路指導は、中学教員が頑張るしかない。でも、特に東京には私立高校が数え切れないほどあって、中学3年の担任は学校説明会の訪問に忙殺される。そんな中で、どのように生徒一人一人にとって効果的な進路指導ができるのか。いろいろな意味で、一番大変な中学校の現場に教育的資源を集中的に投じないと日本は持たなくなると思う。

 進路指導、教育相談専任の教員を置く余裕はないだろう。だけど、退職教員に民間人も加えて、非常勤でいいから中学に相談員を派遣するべきだ。部活動の地域移管もどんどん進める必要がある。人材難などと言わず、地域にいる卒業生のネットワークを活用する以外にない。大学は中学、高校での学習支援、部活動支援の活動を必履修にして、大胆に単位認定するべきだ。そして、保護者の力。親の中には、様々な仕事に従事している人がたくさんいる。我が子が卒業した後でも、何か地元の中学に協力したいと思っている人は多いだろう。

 自分が出た中学の近くで暮らしている。かつて高校に勤務していたとき、朝に出勤するときには、もう中学の電気が付いていた。退勤して家に帰るときも、まだ部活動をやっていた。それどころか、定時制高校勤務時に夜の勤務が終わって帰ってきても、まだ一部の教室に電気が付いていた。これでは潰れてしまうに決まっている。教員の生活だけでなく、生徒にも悪影響が及ぶに決まっている。一番大変な中学校への支援を社会全体で考えないといけない。
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朝比奈なを『進路格差』を読むー可視化された教育格差

2023年02月01日 22時33分42秒 |  〃 (教育問題一般)
 朝比奈なを進路格差』(朝日新書)を読んだ。2022年11月30日付で刊行された本で、非常に重大な問題を突きつけてくる。朝比奈氏は公立高校教員を退職後、大学の非常勤講師、教育相談などに携わってきた。同じ朝日新書にある『ルポ教育困難校』『教員という仕事』を読んだ感想は前に書いた。どちらも学校現場のリアルを追い、日本社会の現状を鋭く追求した本だった。

 そして次に出した本が、この『進路格差』である。いやあ、やっぱりここに来たか。書いちゃったのか。書かれちゃったなあという本である。公立高校の教員は異動があるから、様々なタイプの高校を経験することが多い。そうすると、様々な進路活動を指導するわけである。だから、よほど恵まれた学校ばかり渡り歩いた教員は別として、ここで書かれている内容自体は実体験として大体知っていると思う。だが、「卒業させれば終わり」というか、その先はあえて考えないでいるのではないか。

 卒業生の何人かはその後も学校に来て、在校生向けの「進路ガイダンス」に参加してくれたり、部活動の指導に来る生徒もいる。進学校の場合、4年目になると「教育実習」で母校に戻ってくる生徒もいる。そういう生徒の存在はある意味、教師の醍醐味でもある。だけど、中堅校以下だと、いつの間にかもう辞めてしまったという声が聞こえてくる生徒がいる。どうなってしまったか消息不明の生徒も多い。就職生徒の中には、すぐに長時間残業やパワハラに悩むことも多い。 
(高校生の進路)
 たがそれだけでなく、会社の仕事を任されてもうまく働けない、大学や専門学校の求める学力に付いていけない。また集団で働いたり、大学という場で自ら学ぶ資質に欠けていて、精神的に大変になるケースもかなり聞く。そういう話は高校教師を長く続けていれば、皆が知っている。世の中には教師もどこにあるんだかよく知らない学校が多い。何を学ぶんだかよく判らないカタカナばかりの学部、その方面の勉強をしても果たして就職できるんだろうかという専門学校。でも生徒が行きたいと望めば、そして家庭が学費を負担できる(または奨学金を申請できる)なら、行かせることになるだろう。

 それは「進路未定」で卒業させたくないからである。中には正社員より稼げるアルバイトもある。お金を貯めて、夢にチャレンジしたいという生徒もいる。むげに「フリーター」を否定できるものではないが、学校の立場(進学率や就職率を上げたい)を離れても、「進路がなかなか決まらない」タイプの生徒は、「新卒」で勝負できる時を逃せば、正社員での就職や高等教育を受ける機会を一生逃してしまうかもしれない。教師がプッシュして、「ダメモト」かもしれないけれど、何とか進路を決めて卒業させたいのである。

 だけど、高校教員は専門学校の現場を知らない。大学を出ないと教員免許が取れないんだから、教師は全員大学卒なのである。(養護教諭など、専門学校卒業で得られる資格もある。)もちろん、高卒で就職した人もいない。知らずに進路先に送っているけど、送られた側の会社や専門学校はどう考えているのか。関係者の取材を続けながら、この本には現場のリアルな感想が書かれている。それは多くの人には衝撃かもしれない。だけど、教師の立場からすれば、大体思っていたとおりである。
(専門学校の種類と学生数)
 特に重要だと思ったのは、専門学校の話。高校教員の多くも、知らないことが多いだろう。看護、保育、理容・美容、調理・製菓など、長年の実績がある専門学校にいく生徒は何人も見てきた。特に看護系などは、ひょっとしたら中堅大学並みの学力が求められることが多い。そういうところとは卒業生も行っていて関係も深い学校が多い。しかし、最近増えているアニメ、声優、IT(情報処理)、スポーツ系などは、実際どんなことをしていて卒業後にどんな進路があるのか。教員も良く知らないだろう。本書には多くのデータが掲載されていて、すぐ進路学習やホームルームで役に立つと思う。 

 それにしても、「基礎学力」もなく、「基本的生活習慣」も身につかず、あいさつなど最低限の「コミュニケーション能力」もないのに、「高卒」という資格で送り込まれてくる。企業は不良品を市場に出すことは出来ないのに、教師は現場で役立たない「人材」を卒業させても、給料が変わらない。ある人がそう指摘しているが、何とも返す言葉がない思いがする。ただ…、と小声で言いたいこともあるだろう。高校は中学から、中学は小学校から、そして結局は家庭から子どもたちがやって来る。

 厳しく「査定」すれば、単位を認定できない生徒を「留年」させて何になるのか。それは無業者、引きこもり、あるいは犯罪予備軍を世の中に送り出すだけではないのか。特に「教育困難校」で働く教員は社会防衛の最前線で戦っている。しかし、教育行政は公立の中堅校以下は全く支援しない。むしろ、私立高校への就学援助を増やして、税金は貧困層が学ぶ公立「底辺校」に回らない。それなのに文科省は現実を知ってか知らずか(いや、もちろん知っているのだが)、「アクティブ・ラーニング」などと掛け声をかける。そういう日本の社会と政治の現実をこの本がよく教えてくれる。

 教師のみならず、全国民必読だと思うけど、まあそんなことはあり得ない。教員、特に中学、高校の教員には是非読んで欲しい。そして、次には「私立学校」と「中退者」の問題が残されていると思う。私立学校は大学進学実績、またはスポーツ大会実績が高い学校以外は、ほとんど注目されない。もちろん私立にも中堅校以下の学校もあり、何とか進路、スポーツで実績を上げようと中学から推薦で生徒を集めるが、入ってからうまく行かなかった生徒はどんどん公立の定時制高校に落ちてくる。何人もそういう生徒がいたのである。また大変な高校ほど、どうしても「中退」を出すことになるが、その後どうなっているのか。学校としても追跡するのが難しく、どこにもデータがないと思う。僕も気になる生徒はいるのだが、今や生徒の名簿もないから、どうしようもない。
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