尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ロシアの「捕虜戦犯調査」発言で思い出す「シベリア抑留」

2022年05月23日 22時54分34秒 |  〃  (国際問題)
 ウクライナ戦争でロシアの猛攻撃を持ちこたえていたマリウポリの「アゾフスタリ製鉄所」が陥落したと伝えられる。いや、まだ残っているとの情報もあるようだが、その詳しい状況は判らない。製鉄所には地下壕地下壕があって、多くの市民も避難していたと言われる。その市民の救出を国連や国際赤十字が進めていたが、具体的に何人が外へ出られたのか判らない。日本では、この製鉄所に立てこもって抵抗を続けた「アゾフ大隊」が市民を「人間の盾」として利用していると批判する人もいたが、ロシアの攻撃自体が不法なんだから、その評価には従えないだろう。
(廃墟化したアゾフスタリ製鉄所)
 この「アゾフ大隊」の性格をいかに理解するべきかは、日本でも様々な議論がある。ロシアは戦争開始から、ウクライナを「ネオナチ」だと非難してきた。それを受けてかどうか、日本の議論でも「ネオナチ」という言葉でウクライナを語る人がいる。この言葉は非常に定義が難しく、安易に使う人は信用出来ないと思っているが、今はその問題には深入りしない。問題は投降したウクライナ兵を「捕虜」ではなく、「戦争犯罪人」として扱うようなロシアの動きが気になるのである。そのようなニュースを聞くと、どうしても第二次大戦後のシベリア抑留を思い出してしまうことになる。
(投降するウクライナ兵)
 検索してみると、このようなタス通信(ロシア)の報道があった。「「ロシア連邦捜査委員会」が製鉄所から出てきた兵士を対象に戦争犯罪疑惑などを調査する計画だと報じた。捜査委員会もソーシャルメディアを通じて「(ウクライナ東部の)ドンバス地域でウクライナ政権が犯した犯罪に対する調査の一部として、アゾフスタリ製鉄所で降伏した兵士を調査する」と明らかにした。委員会は兵士らの国籍、民間人を対象とした犯罪介入の有無などを調査し、この過程で確保された情報をロシアが自ら入手した犯罪事件の情報と照らし合わせることになる。」というのである。(太線=引用者)
(ウクライナ戦闘地図)
 「戦争犯罪」とは何だろうか。そもそもロシアは「戦争」という宣言をしていないが、それは置くとしても疑問が尽きない。ここで言う「戦争犯罪」は、第二次大戦後のニュルンベルク、東京などで行われた戦争犯罪裁判で言えば、「B級戦犯」(通常の戦争犯罪)に当たるだろう。民間人に対する虐殺、略奪等である。しかし、今回の戦争は完全にウクライナ国内でしか行われていない。ウクライナ軍がロシアに侵攻したわけではないから、ウクライナ兵によるロシア国民に対する戦争犯罪は起こりえないではないか。(一部、ウクライナがロシア領内をドローンで攻撃したような報道もあるが、それは通常の戦闘行為である。)

 「ドンバス地域でウクライナ政権が犯した犯罪」「兵士らの民間人を対象とした犯罪介入」というものがあったとして、それはどこで行われたものか。それはウクライナ国内、あるいはウクライナから「独立」したと称する「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」で起こったものだ。この両人民共和国は、ロシアが「独立を承認した国家」であったとしても、現時点ではロシア領内ではないからロシアの法的管轄権は及ばない。(それとも軍事や裁判権はロシアに委託するというような「秘密協定」があるのかもしれないが。)ロシア国外で行われた「犯罪」をロシア当局が調査して訴追する権限はない。

 ここで僕が思い出したのは、第二次大戦後のシベリア抑留だ。それ自体が国際法違反の積み重ねだったが、今はその全体像には触れない。特に問題なのは、当時のソ連が独自の「戦犯裁判」を行ったことである。日本とソ連は、たった一週間ほどしか交戦していない。一体、どれほどの「戦争犯罪」があったというのか。しかし、問題はそんなレベルを遙かに超えていた。若い頃に大きな影響を受けた詩人の石原吉郎(いしはら・よしろう、1915~1977)のケースが典型的である。
(石原吉郎)
 僕は石原吉郎の全詩集を持っているが、今はウィキペディアから引用。「翌1949年(昭和24年)に石原も呼び出しを受け、同年2月旧ソ連刑法第58条第6項違反 (スパイ罪) で起訴され、有罪を宣告された。呼び出し前に既に調書が作成済みであり、毎夜呼び出しを受けては調書を認めるよう強要されるだけで、実質的な取り調べは何も行われなかった。また、裁判は全く形式的なもので、証拠調べ、弁護人、本人弁論もない極めていい加減なものだった。(略)石原は他の日本人と共に裁判を受けた際、判決に先立って、ソ連の領土以外で、ソ連の参戦前に行われた行為を、ソ連の国内法で裁くことに抗議したが、まったく意に介されなかった。起訴後は独房に2か月間収監され、1949年(昭和24年)4月、石原に有罪、自由剥奪・重労働25年の判決が下った。」

 このようにかつてのスターリン統治下の裁判で、「ソ連の領土以外で、ソ連の参戦前に行われた行為を、ソ連の国内法で裁くことに抗議」した日本人がいたことは、よくよく記憶に留めておきたいことだ。ソ連がロシアになっても、同じように「ロシアの領土以外で行われた行為をロシアが裁く」のだろうか。このようなことを書くと、やはりロシアはソ連と同じなのだなどと言う人がいる。しかし、僕の認識は違っている。同じような「越権」は、アメリカやイスラエルなども何度も行っている。しかし、今はそれはともかくとして、ロシアが「戦争犯罪」を裁くのは理由がないということを書いておきたい。
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