尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

浅草演芸ホール8月上席(にゅうおいらんず特別公演)

2019年08月09日 22時44分43秒 | 落語(講談・浪曲)
 猛暑続きの中、浅草の寄席に行く。出てくる芸人も大体猛暑の話から入る。僕も迷ったんだけど、今まで使ったことがない「つくばエクスプレス」で行ってみたら、浅草演芸ホールの真下に駅があるから、あまり暑くならず着いた。12時前だが、ほぼ満席。8月上席は主任が三遊亭小遊三、その前に落語芸術協会の新会長春風亭昇太という、「笑点」の人気者二人が出る。そして、お目当ては最後、小遊三、昇太らの素人ジャズバンドにゅうおいらんず」である。あんまり楽しかったので、記録しておきたい。
(浅草演芸ホール前の看板)
 いつも記事にするわけでもないけど、時々落語を聞きに行く。でも最近はあんまり行ってなかった。ホール落語はチケットが取りにくく、寄席は椅子が小さくて辛い。それは演劇も同じで、結局事前にチケットが買えて、字幕で理解しやすい外国映画を見に行くことが多くなる。(演劇や落語は席が遠いと聞こえにくい。)今日も4時半過ぎまでの長丁場だから、正直体は大変だ。暑いのも困るけど、冷房が直撃してくるのも困る。そういう問題が夏には起きるけど、それでも最後が面白いと全部忘れる。

 最近聞いた落語はほとんど落語協会。落語ブームの人気者も多くは落語協会だ。だから、落語芸術協会(芸協)は久しぶり。数年前に国立演芸場で歌丸師匠の円朝を聞いて以来だと思う。21世紀初等には、まだ春風亭柳昇の落語会で、二番手で出ていた春風亭昇太を「発見」して、ずいぶん追いかけて聞いた。はっきり言って、笑点の司会とか芸協の会長などに時間を取られて欲しくない。そんな気もするんだけど、まあそれも年齢とともにやむを得ないかと思う。

 昇太は長年「独身」ネタで売ってきたけど、最近結婚を発表した。今日もその話題で持ちきり。お店に入っても道を歩いてても、「もう、心配してたのよお」とか言われるんだとか。「それも、一昨日まで」で笑いを取った。(一昨日に小泉進次郎と滝川クリステルの結婚発表があった。)今日は昇太も小遊三も落語というより、バンドがメイン。同じくバンドを組む春風亭柳橋桂伸之介も同じ。滝川鯉昇師匠も暑すぎたか今ひとつ。満場喝采だったのは、漫才のナイツや奇術の北見伸&ステファニー。特にマジックは全然判らず、皆見とれていた。

 3時半過ぎに「にゅうおいらんず」が始まる。バンドマスターは小遊三師匠。トランペットを吹きまくる。歌も「ダイナ」の他、今年の新曲という「天使の誘惑」を歌った。黛ジュンのレコード大賞受賞曲だが、若い人は知ってるだろうか。でも場内の平均年齢は高いから、みなノリノリで拍手していた。昇太はトランペットで、歌は「ブルーヘブン」(私の青空)。エノケンなどが歌い浅草にふさわしい。

 「狭いながらも楽しい我が家」と去年も歌ったけど、実感がなかったと語りを入れて笑わせた。でも小遊三いわく「世田谷の豪邸は狭くない」。春風亭柳橋の軽妙な語りに乗せて、最後の「聖者の行進」まで盛り上がる。上手が売りじゃなく、半分が語りみたいな、見事に楽しさだけを残すバンド演奏だった。また来年も来てみたいな、皆さん健康に気をつけて来年も是非。
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「アマンダと僕」と「サマー・フィーリング」、ミカエル・アース監督の「喪の映画」

2019年08月08日 22時45分41秒 |  〃  (新作外国映画)
 フランスのミカエル・アース監督(Mikhaël Hers、1975~)の「アマンダと僕」と「サマー・フィーリング」を見た。もう東京でのロードショー上映は終わりつつあるけど、注目すべき新進監督の登場だ。ミカエル・アースは「アマンダと僕」が2018年の東京国際映画祭グランプリ脚本賞を受賞して注目された。もっとも東京国際映画祭グランプリは、自国開催なのに正式公開されないことも多い。僕も知らなかったんだけど、公開されたらなかなか評判がいいらしい。見てみたら、すごく心動かされた。そこで、前作の「サマー・フィーリング」も見ることにした。どっちも「喪の映画」だった。

 「アマンダと僕」はパリで生きるシングルマザーの話として始まる。英語教師をしているサンドリーヌ(オフェリア・コルブ)は一人娘アマンダ(イゾール・ミュリトリエ)と暮らしている。サンドリーヌには弟ダヴィッドヴァンサン・ラコステ)がいて、父母がいないため二人は仲良く行き来している。ダヴィッドは定職には就かず、貸しアパートの管理や公園の樹木伐採などのアルバイトをしている。アパートの仕事で知り合ったレナステイシー・マーティン、「グッバイ・ゴダール」の主役をやってた人)と仲良くなる。どこと言って特別な場所が出てくるわけじゃないけど、パリの風景が素晴らしい。

 このように途中までは、いろいろあっても幸せな日々が続いている。サンドリーヌは三人で行こうとウィンブルドン選手権のチケットを買って楽しみにしている。イギリスには訳ありで去って行った二人の英国人の母親が生きているらしい。そんな映画が途中で暗転する。これを書かないと話が進まないので書くことになるが、公園で銃を乱射するテロ事件が起きて、サンドリーヌが死に、レナが重傷を負う。フランスではここ数年いくつものテロ事件に見舞われた。そのことを嫌でも思い出すけど、具体的にどれかの事件を想定したものではなく、架空の事件のようだ。そして事件そのものはほとんど描かれない。いくらでもセンセーショナルに描けるし、お涙頂戴にできるはずだが、あえて葬儀のようすなども描かない。

 映画が見つめるのは、残された人々の悲しみ、戸惑う姿だ。どんな悲劇が起きても、生きている人には日常生活がある。この映画の設定では「アマンダをどうするか」である。父親の妹(アマンダの大叔母)がいて、時々面倒を見てくれる。しかし、学校の出迎えなどはできるだけダヴィッドが頑張っている。でも、自分の人生も定まっていないのに、姪を引き取って一生を子育てに費やす決心はなかなか出来ない。そんな姿を静かに描くのである。アマンダ役のけなげな演技には誰しも心動かされるだろう。こういう風に静かで心にしみこむ映画って、フランスというよりなんだか日本映画みたいだ。
(ミカエル・アース監督)
 3作目の「アマンダと僕」の前に作られたのが「サマー・フィーリング」。ベルリンで暮らす二人がいるが、女性サシャが突然倒れて亡くなる。同居していたローレンスは深い悲しみに打ちひしがれる。葬儀には彼女の家族もやってくるが、妹のゾエも深い悲しみに襲われる。この二人の2年間を追ったのがこの映画である。一年後はパリで、2年後はニューヨークで撮影されている。欧米の人々にとって、もう仕事や旅行で国を超えて移動するのが当たり前になっているんだろう。またサシャ、ゾエの両親はアヌシーに別荘を持っていてそこも出てくる。フレンチアルプスにある美しい町である。

 「アマンダと僕」を見た時も、映像の美しさに感銘を受けたが、「サマー・フィーリング」のアヌシーや三都の映像が素晴らしい。それはセバスティアン・ブシュマンが撮影した16ミリフィルムの効果が大きい。ちょっと粗いところがムードを出している。デジタル時代にこういう試みをする人もいる。木漏れ日や都市の夕景をこれほど美しく映し出した映画も珍しい。音楽も印象的。どっちの映画も「残された人々」を見つめる映画という共通点がある。ドラマチックに描ける設定だが、あえて外して淡々と描く。日本や世界で日々見る多くの非命の死者。というか、日本で言えば「東日本大震災」を思い出さずには見られない。こういう映画がフランスでも作られているという紹介。フランスは夏のバカンスがあっていいな。
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深田晃司監督の力作「よこがお」

2019年08月07日 23時15分27秒 | 映画 (新作日本映画)
 2016年の傑作「淵に立つ」が今も鮮烈な深田晃司監督の新作「よこがお」が公開されている。これは一見判りにくい映画なんだけど、大変な力作だった。今年の日本映画は(現時点で)あまり収穫が少ないが、「よこがお」は屈指の作品だと思う。時間が入り組み、筋立てがなかなかつかめない。でも、何か非常に重大な問題が主人公に起きている緊張感が画面を覆い尽くしている。いくつもの人間関係の重なりが悲劇を生み、主人公の人生は大きく変えられてしまう。「犯罪」をめぐって、加害と被害が入り組む構造を見事に描き出している。素晴らしいチャレンジだと思う。

 深田監督は「淵に立つ」の次に、インドネシアで撮影した「海を駆ける」(2018)を作った。これは非常に面白い試みだったけれど、なんだか意図がよくつかめないところもあった。今回の「よこがお」は前々作で非常に強い印象を残し、一気に知名度を高めた筒井真理子を主演に迎えている。冒頭では筒井真理子が美容師の池松壮亮を指名して髪を染めようとしている。指名なんだし、何らかの関係がありそうだが、よく判らない。次第に判ってくるが、彼女はかつて訪問看護師として働いていた。

 筒井真理子(もちろん映画内で名前があるけれど、そこにも仕掛けがあるから女優名で書いておく)は、ある家に長く通っていて信頼されている。その家の長女(市川実日子)や中学生の次女の勉強をボランティアで手伝っているぐらいである。長女はすごく信頼していて、同じように医療や介護で働きたいと思っているらしい。勤務時間後に喫茶店(ファミレスじゃなくて、町の喫茶店という感じ)で二人の勉強をみてあげている。長女役の市川実日子は、いつもにもまして不気味感全開で目が離せない。筒井真理子は一緒に働いている医師と結婚の予定があり、彼の連れ子との関係も悪くない。

 そんな風にすごくうまく行っていた頑張り屋の女性が、ある事件をきっかけに人生が崩れる。それはどういう形で訪れるか。それが見所だからここでは書かないけど、一つの「犯罪」が人間関係のドミノ倒しを起こしていく様子は現代の恐怖というしかない。「報道被害」を考えさせられる映画でもある。現代社会では「世間」はテレビや週刊誌の形を取って襲いかかってくるのだ。そして、「無実の加害者」という今まで描かれたことがないようなテーマが立ちあがってくる。そこから見えてくる「復讐」の甘さと苦さ。

 ストーリー展開をもっと詳しく書かないと、よく判らないと思う。でも、この映画の場合、その判りにくさが魅力なのである。そして、人間が理解できる範囲を超えて、人々が生きている現実世界の悲惨はもっと奥が深かった。「風をつかまえた少年」はマラウイの習俗などで理解しにくいシーンはあるものの、映画の筋と目的はよく判る。そういう映画もあっていいし、メッセージ性も大事だ。だけど僕は「よこがお」の奥深い難解さの魅力をより大事にしたいと思う。

 「よこがお」という題名は、「半身は見えていても反対側の姿は見えない状態」の比喩だという。現代日本に止まらず、特に権力を持っている人の「判っているようで何も見えてない」状況を毎日見せられているモヤモヤ感を実にうまく表している。ただ一種のミステリー映画としてみた場合、張りめぐらされた伏線の行方が映画の半ばほどで推測出来てしまう。そのため最後の最後まで全く予測不能だった「淵に立つ」に一歩及ばない印象がある。それにしても主演の筒井真理子の演技には感銘を受けた。紛れもなく代表作になるだろう。
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映画「風をつかまえた少年」、風力発電機を作った少年

2019年08月06日 22時35分39秒 |  〃  (新作外国映画)
 8月2日に公開されたばかりの映画「風をつかまえた少年を見た。本当は違う映画を見るつもりで、満員だったのでこっちを先に見ることにした。アフリカ東南部のマラウイを干ばつが襲い、農村社会が崩壊寸前に追い詰められる。その時に14歳の少年が廃品を活用して風力発電機を作り、そのエネルギーでポンプを回して地下水をくみ上げたのである。実話だそうで、原作の本も翻訳され、著者も来日した。すごく心動かされる物語だと思う。今どきどれだけ集客効果があるのか判らないけど、文部科学省特別選定(青年、成人、家族向け)、文部科学省選定(少年向け)に選ばれている。

 少年の名はウィリアム・カムクワンバ。映画ではオーディションで選ばれたマックスウェル・シンバという少年が実に見事に演じている。その父親を演じているキウェテル・イジョフォーが自ら脚本を書いて監督した。アカデミー賞受賞作「それでも夜が明ける」で主演男優賞にノミネートされたアフリカ系の俳優だ。原作に感動して10年がかりでこの映画を作り上げた。原作通りマラウイで撮影されていて、干ばつと飢餓の描写、学校の様子、人々の暮らし・民俗などが見事に再現されている。
(原作の翻訳本)
 僕が一番驚いたのは、学校が整備されていないことである。授業料を持って行けない子は、すぐに退学させられる。高校や大学じゃない。日本で言えば中学である。しかも成績が良くないと図書室が利用できない。この図書室がまたひどい。時代は2001年頃である。ラジオで同時多発テロのニュースが流れる。(関心のない子どもたちは、すぐにサッカーに変えてしまう。)つまり、もう21世紀なんだけど、世界にはこのような教育環境に置かれた子どもたちがいっぱいいたのである。でも、そんな図書室のボロボロの本からも、好奇心あふれる少年は風力発電機というアイディアを得られたのだ。
(原作者のウィリアム・カムクワンバ)
 干ばつだけではない厳しい現実も描かれている。例えば、「強権的政権」。1964年の独立以来、バンダ政権が30年続いた末、94年に複数政党制による選挙が行われた。だけど、その後も映画の地域は政権に無視されているようだ。それは民族的な違いも大きいようで、中央政府がある地域とは言語も違うらしい。イギリスの植民地だったから、英語が公用語になっている。誰もがみな自由に英語をしゃべっている映画ではなく、人々は自分たちの言葉を話しているが、集会や学校では英語が使われている。それが現実の状況なんだろう。姉は学校の教員と駆け落ちしてしまうが、二人は民族が違う。そういう政治や家族間の問題などからも目を背けていない。

 マラウイといっても、すぐ判る人の方が少ないだろう。マラウイ湖に沿った南北に長い国で、北はタンザニア、西はザンビア、東と南はモザンビークに囲まれた内陸国だ。それだけじゃ判らないと思うから、どこだろうと地図で確認して欲しい。でも、子ども連れで見たら、「どうやって風力発電機を作るのか」、父親の自転車を利用するんだけど、初歩の工学的知識をうまく説明できるだろうか。英語の演説なども出てくるから、ある程度理解できる。文系、理系を超え、さらに英語の知識も身につくという映画だ。しかし、そういうことよりも、この映画を見ると「教育の大切さ」、そして子どもの探究心を大人がジャマしちゃいけないと強く思う。こういう映画を親子で見るのもいいんじゃないか。
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堀川惠子「原爆供養塔」を読む

2019年08月05日 22時38分43秒 | 〃 (さまざまな本)
 堀川惠子さんの「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」(文春文庫)を読んだ。2015年に出た本で、その年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。2018年7月に文庫化されたので買ったんだけど、去年はつい読みそびれてしまった。今年こそは読もうと思って、重い読後感をずっしりと抱えている。

 堀川さんの本では、2013年に出た「永山則夫 封印された鑑定記録」を読んで、「究極のカウンセリング」を書いた。堀川さんは2005年まで広島テレビで勤務し、その後はフリーのディレクターとして活躍している。もともと広島時代から、広島の被爆者を取材していた。その後フリーになって、死刑囚からの手紙と取り組んで以後、死刑問題のドキュメントが多くなっている。つまり、テーマが「原爆」と「死刑」に特化している。どうしても重い印象になるから、つい敬遠して読んでない人が多いと思う。
(堀川惠子さん)
 この「原爆供養塔」という本は、広島市の平和公園の一角にありながら、あまり取り上げられることのない「原爆供養塔」という存在にスポットを当てている。供養塔の成立にさかのぼり、やがて毎日喪服を着て清掃を続けた佐伯敏子という人物の生涯をたどる。1919年に生まれた佐伯敏子は、原著刊行時には存命だったが、その後2017年10月3日に97歳で亡くなっている。早く父を失い貧困に陥り、前半生は波瀾万丈だった。そして、8月5日には、たまたま姉の家に疎開させていた幼い長男のところへ行っていた。日帰りするはずが、その日は子どもが離さずに泊まって行くことにした。

 そのことが運命を分けた。市内に残っていた母親や義父母は原爆の直撃を受けた。(なお夫は出征中。)敏子自身も早速猛火の市内に家族捜索に向かい、「入市被爆」を受ける。多くの家族を失い、自身の健康も危うくなる。そんな生活の中、原爆供養塔を世話することを自らの定めのように続けてきた。僕は高校2年の夏休みに広島を訪れ、「広島平和会館原爆記念陳列館」を見た。(名前は覚えてないんだけど、1972年当時はそう言っていたらしい。現在は広島平和記念資料館。)しかし、その時は原爆供養塔は見なかった。当時はほとんど知られていなかったと思う。佐伯敏子という人は、ウィキペディアに長い記述があるが、僕は今までほとんど知らなかった。
(原爆供養塔)
 この本で判ることは、広島市も(当初は予算不足も大きかったけれど)原爆による死者ときちんと向き合ってこなかったんじゃないかということだ。供養塔の地下には多くの遺骨が納められていたが、市の担当者も気味悪がって入りたがらない。鍵を持てるようになって、佐伯敏子が骨壺を調べ始めると個人の特定につながる情報が多く残されていた。敏子は自ら遺骨返還に乗り出すが…。健康状態もあって市内近辺しか回れなかった敏子に代わり、著者が遠くの住所の人を訪ね始める。そうしたら…判らないことだらけ。そもそも、情報にある住所がなかったり。じゃあ、そもそも一体誰が情報を書きとどめたんだろうか。後半はミステリーみたいな探査行になる。そして朝鮮半島出身者の遺骨、沖縄出身者の遺骨…と日本社会の深部が見えてくるのである。

 この本は文庫本で400頁を超える。だけど、これほど読んでよかったと思う本も珍しい。多くの人に読んで欲しいけど、僕でさえ買って一年放っておいたわけで、なかなか読み始めるのも大変だろう。本そのものは多くの図書館にあると思うから、手に取ることは難しくない。問題はもう「原爆の悲惨さ」は何となく知ってる感じがして、今さら感を持つ人が多いんじゃないか。しかし、一人一人の「生」の重さはかけがえがなく、改めてきちんと向き合う機会を与えてくれた「原爆供養塔」は実に貴重な本だった。

 なお、僕が今までに読んだ中で是非読んで欲しいのが、関千枝子広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち」(ちくま文庫)である。この本は今も文庫などで入手しやすいはず。80年代に書かれた本で、著者はクラスメートの中でたまたま生き残った。このような本は世界の人にぜひ読んで欲しいと思う。世界に核兵器の悲惨さを伝えていくことが、改めて日本人の使命だと強く思った。
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ジャニー喜多川、ハロルド・プリンス等ー2019年7月の訃報

2019年08月04日 22時49分07秒 | 追悼
 2019年7月に伝えられた中で、ここでは書かない訃報がある。7月18日の「京都アニメーション放火殺人事件」の犠牲者について書かない。僕はよく知らないので、その評価ができない。アニメ界では有名な監督などが犠牲となったが、まだ死亡者の名前は一部しか公表されていない。それとともに、あまりにも深刻な犯罪被害者であり、ここで書きたいと思っている「昔活躍した人の記憶を留める」という趣旨と違ってしまうからだ。また名馬「ディープインパクト」(17歳、7月30日没)も書かない。6頭目の「三冠馬」(2005年)だが、35歳まで生きた「シンザン」(1964年の三冠馬)に比べて短命だった。

 7月に一番大きく報道されたのは、ジャニーズ事務所を作り上げたジャニー喜多川だった。1931.10.23~2019.7.9、87歳。名前は有名でも顔を知らなくて、今回初めて知った。死因の動脈瘤破裂によるくも膜下出血は、僕の父親と同じだった。名前をいつ知ったのかは覚えてないけど、男性アイドルに特化していたから特に関心はなかった。初期の「ジャニーズ」(あおい輝彦ら)や「フォーリーブス」も知ってはいた。「シブがき隊」「少年隊」「光GENJI」など、僕が教員になった時代にファンがたくさんいた。
(ジャニー喜多川)
 それらのグループはメンバーの名前を全員は知らないが、「SMAP」になると全員知ってた。以後、様々なアイドルグループを続々と送り出し、「芸能界支配」という状況になった。スキャンダルも報じられる一方、ステージで平和の価値を発信したという。ジャニー喜多川の全体評価は僕には出来ないが、興味深いのは芸能事務所以前。ロスで生まれた二重国籍者で、戦後は在日米軍周辺で仕事をしていた。代々木の米軍宿舎周辺で少年野球団を結成し、それが「ジャニーズ少年野球団」だった。池袋の立教大学グラウンドで練習していたが、ある日雨だったので映画「ウェスト・サイド物語」に連れて行き、感動した少年たちで芸能活動に乗り出したというのである。創世記神話は面白い。

 その映画にもとになったブロードウェイのミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」で、共同プロデューサーをしていたのがハロルド・プリンスだった。7月31日没、91歳。多くのミュージカルを成功に導き、ミュージカルの巨匠として有名だった。トニー賞の個人受賞最多21回という記録を持っている。「屋根の上のバイオリン弾き」(64)頃まではプロデューサー、「キャバレー」(66)頃からは演出を手がけている。「エビータ」「スウィーニー・トッド」「オペラ座の怪人」「蜘蛛女のキス」など皆この人の演出。2015年には自身をモデルにした「プリンス・オブ・ミュージカル」が日本で初演された。
(ハロルド・プリンス)
 「ボサノバの神様」と呼ばれたジョアン・ジルベルトが死去。7月6日、88歳。本名がすごくて、「ジョアン・ジルベルト・プラド・ペレイラ・ディ・オリヴェイラ」と長い。僕はほとんどボサノバを知らないけれど、代表作「イパネマの娘」は知っている。50年代末にリオデジャネイロで作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンと知り合い、多くの名曲が生まれた。8月下旬から映画「ジョアン・ジルベルトを探して」が公開される。
(ジョアン・ジルベルト)
 俳優のルトガー・ハウアーが死去。19日、75歳。オランダ出身で、オランダで死んだ。オランダのポール・バーホーヴェン監督の映画でデビューしたが、ハリウッドに進出し「ブレードランナー」で有名になった。そればっかり訃報に出ているけど、僕は「ヒッチャー」が怖かったなと覚えている。代表作はエルマンノ・オルミの「聖なる酔っぱらいの伝説」だろう。
(ルトガー・ハウアー)
 評論家の竹村健一が死去、8日、89歳。そう言えばあれだけテレビに出ていた人を全然見てなかった。80年に引退していたという。フルブライト奨学生で、最初は英語関係の本が多かった。
 IAEA(国際原子力機関)事務局長の天野之弥(ゆきや)が死去。72歳。
(竹村健一) (天野之弥)
 中国の元首相、李鵬が死去、22日、90歳。天安門事件の弾圧責任者である。
 チュニジアのベジ・カイドセブシ大統領が死去。25日、92歳。「アラブの春」でベンアリ独裁政権崩壊後の民主選挙で当選した。世俗派政党から当選したが、高齢で政権基盤は弱かった。何とか持ちこたえているチュニジア民主化の行方が心配。
(李鵬) (カイドセブシ)
芝祐康(しば・すけやす)、雅楽演奏家、5日死去、83歳。文化勲章受章者で雅楽界で有力者だったらしい。横笛の名手で作曲もした。全然知らなかったけど。
リー・アイアコッカ、2日死去、94歳。元クライスラー会長。70年にフォード社長になるも創業家から解任されてクライスラーに転じた。自伝がベストセラーになり、日本でも知られていた。
ロス・ペロー、9日死去、89歳。米国の大富豪で92年の大統領選に独立系で出馬、2割近く得票した。
草川昭三、元公明党副委員長。17日死去、90歳。もともとは石川島播磨重工の労働運動家で、社会党から出て落選した。その後、非創価学会員ながら公明党推薦の無所属で当選を続け、新進党を経て公明党に参加した。98年以後の「自自公」(自民・自由・公明)の三党連立時の国対委員長だった。 
飯倉照平、24日死去、85歳。中国文学者で魯迅の研究をした。それ以上に知られているのが、南方熊楠の研究者として、全集を編集した他、一般書も著した。
勝田吉太郎、22日死去、91歳。政治学者でロシア政治思想史を研究した。保守派として知られ、産経新聞社系の論壇でよく書いていた。
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あいちトリエンナーレ、「少女像」問題を考える

2019年08月03日 23時17分51秒 | 社会(世の中の出来事)
 8月1日から開催された「あいちトリエンナーレ」(~10.14)の中で企画された「表現の不自由展・その後」が開会3日にして中止に追い込まれた。この事態は日本社会の現状が非常に深刻な危機にあることを示している。津田大介芸術監督は批判の電話などが「想定を超えた」と述べ、テロ脅迫のような事例もあり、「対応する職員が精神的に疲弊している」と語っている。つまり「芸術祭の企画が犯罪によって中止に追い込まれた」のである。日本の「表現の自由」は非常に危ういところに来ている。

 「トリエンナーレ」(Triennale)とは、もともとイタリア語で「3年ごと」の意味で「3年ごとに開かれる国際美術展」を指している。(ちなみに2年ごとは「ビエンナーレ」。)日本でも新潟の「大地の芸術祭」や香川・岡山の「瀬戸内国際芸術祭」など各地でたくさん開催されている。「あいちトリエンナーレ」は2010年に始まって、今年が4回目。一回ごとに違った芸術監督が選任され、名古屋を中心に愛知県内で開催されてきた。今回は参加するアーティストを男女同数に選考したことが特徴。映像部門もあって、ホドロフスキーの新作が上映されるというチラシを見たけど、まあ名古屋までは行けない。

 今回特に問題にされたのは「表現の不自由展・その後」に出展された「少女像」(慰安婦像)である。これは「公立美術館などで展示不許可になった作品」を集めている。朝日新聞の記事によると、津田氏は開幕前に「感情を揺さぶるのが芸術なのに、『誰かの感情を害する』という理由で、自由な表現が制限されるケースが増えている。政治的主張をする企画展ではない。実物を見て、それぞれが判断する場を提供したい」と取材に答えている。もともと「芸術的価値」や「政治性」で判断せず、「問題になったもの」を見たい人が見られる「自由な公共空間」を確保しようという企画である。
(展示された「少女像」)
 この企画に対して、河村たかし名古屋市長が、会場を訪れた後で少女像の展示について「どう考えても日本人の心を踏みにじるものだ。即刻中止していただきたい」と取材陣に話したという。さらに、「インターネットで企画展に対する批判や、主催者側への抗議の電話が相次いでいることについて『それこそ表現の自由じゃないですか。自分の思ったことを堂々と言えばいい』と述べた」とある。また開催に際して、県と市が負担し、国の補助金も出ていることに対し、「税金を使っているから、あたかも日本国全体がこれを認めたように見える」と語っている。

 ここでは以下、河村市長の言動を考えたい。まず批判を「言論の自由」と述べた点は、先に書いたように「表現の自由」を超えた脅迫が多数寄せられたことを無視している。何よりそういう自分が大村知事(実行委員会会長)に展示中止を求めている。議論しようというのではなく、権力者が自分の権力を行使して中止に追い込もうとしている。そういう人が、展示への批判だけを「表現の自由」と擁護する。明らかにダブル・スタンダードではないか。「表現の自由」を尊重しようと考えるならば、批判を含めて議論する場を作ることこそが本来必要なはずだ。

 税金投入問題は、発想自体が間違っている。税金が投入されているからといって、誰も「あたかも日本国全体がこれを認めた」などとは思わないだろう。日本国民をそんなにバカにしているのか。芸術とか教育とか、そういう場は、政治から独立していなくてはならない。そのくらいのことは大体の人は判っていて、普通は一展覧会に展示されたからといって、それで「日本国全体が認めた」などと大騒ぎしないだろう。菅官房長官も「精査する」などと言ったようだが、それでは「安倍政権の許容範囲内」にしか表現の自由がないことになってしまう。その発想を逆転させれば、「政権が許容することには権力を行使して良い」となるから、こういう政権で森友・加計学園問題などが起こったことも理解できる。

 ところで、河村市長は「どう考えても日本国民の心を踏みにじるもの」と述べた。この判断をどう考えればいいんだろうか。河村氏も日本国民の一人だから、心が踏みにじられたんだろうか。そう感じる人がいたという事実は、それはそれで重要だ。でも僕はその感想をちょっと疑っている。この「少女像」はソウルの日本大使館前に設置され問題化した。また釜山の総領事館前にも設置され、アメリカでも設置された。映画「主戦場」で右派の人々はアメリカでの少女像設置が「主戦場」だと語っていて、それがメインタイトルになっている。そういう情報があらかじめインプットされ、河村市長の頭の中で「反日の象徴」視されていたのではないか。だから実物を見て、「心を踏みにじられる」んじゃないかと思う。

 この企画が問いかけるのは、「そういうアートへの接し方でいいのか」ということだ。超有名な画家ピカソの代表的な傑作、とか見る前に情報が与えられ、それを確認するかのように「鑑賞」する。ホントは判らないのに「やっぱりピカソはすごい」と評する。そういうアートの見方そのものを問い直したのが、デュシャンとかウォーホルの試みだろう。この「少女像」も、情報を排して「ただ見てみれば」という企画だと僕は思う。初めから「表現の不自由展」と題されているのに、それを批判しちゃったら、「はい、日本には表現の自由がありません」と「自白」するようなものだ。右派であれ、左派であれ、アートに接する時には「粋な感覚」が求められる。この許容範囲の狭さは見事に粋の正反対。
(中止を発表する津田氏)
 これからは「あいちトリエンナーレ」の他の参加者がどのように反応するのかなども気にかかる。まだ会期は2ヶ月以上あるから、もう少し冷静になれる場があればいいと思う。この「少女像」自体は、大使館前に設置されたといった経緯がなければ、まあそれほど優れているわけでもないただの彫刻だと思う。日本軍慰安婦には様々なケースがあることが判っているから、この「少女像」だけで「慰安婦」を象徴するのは無理じゃないだろうか。なお、河村市長をたきつけたのは、「維新」だった。大阪市の松井市長が河村氏に「どうなっているんだ」と電話があったのである。
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陸奥宗光邸と御行の松ー根岸散歩③

2019年08月01日 22時55分42秒 | 東京関東散歩
 梅雨明けとともに全国は猛暑になり、とても散歩などできない。いま書いているのは7月上旬に散歩したもの。何となく暗い写真が多いが、実際に雲に覆われて一日中暗い日が続いた。でも、梅雨の時期は夏至に近いから日が長い。いつも降っているわけじゃないから、案外散歩日和の季節だ。根岸あたりは、古い家も多く、行き止まりの道の迷宮世界が魅力的。なかなか面白い町だったけれど、個人の家を載せるのも何だから有名な場所を最後にまとめて終わりたい。

 まずは明治の政治家で、日清戦争期に外務大臣を務めた陸奥宗光の旧邸。そんなものがあったのか。僕も知ったのは最近だが、調べると大磯にも陸奥宗光邸が残っているし、死んだのは旧古河庭園だった。根岸の旧陸奥邸は、鶯谷駅北口を出て東へ行って、根岸小学校の裏手にある。地元では長いこと「ホワイトハウス」と呼ばれていたらしい。1884年から86年に陸奥が英国に留学した際に妻子が住んだ場所で、86年に帰国した陸奥も一年ほどここに住んだという。その後六本木に転居し、やがてここに出版業を営む長谷川武次郎が住んだ。そこら辺のことは根岸子規会の設置した案内板に詳しい。
   
 陸奥邸を書いたから、その近くにある根岸小学校を。何でも学制発布前の1871年に創立されたというものすごく長い歴史を持つ。卒業生には池波正太郎有吉佐和子林家三平(初代)などがいる。豆富料理の笹の雪から歩道橋を隔てて真向かいに非常に大きな建物があって、それが小学校。学校前に子規の句碑や庚申塔がある。近くの根岸3丁目に「発祥の地」の碑がある。
   
 根岸小からさらに歩いて、西藏院不動尊に「御行の松」(おぎょうのまつ)と呼ばれる銘木がある。江戸時代から有名で、広重などが描いたという。1925年に天然記念物に指定されたが、もうその時は老木で1928年に枯死してしまった。戦後植えられた2代目はすぐに枯れ、1976年に植えた松は盆栽状だったために、2018年に4代目が植えられたばかり。枯死した初代も残されている。 
   
 地名としては根岸じゃなくて下谷になるが、地下鉄入谷駅近くに小野照崎神社がある。都会の真ん中にあるけど、なかなか森厳な場所である。最近人気の御朱印を求める人が並んでいた。ここに「下谷坂本富士」がある。入れないけど、要するに富士講信仰のミニ富士山である。国指定の重要有形民俗文化財だそうで、見応えがある。出来れば登ってみたいものだが、写真は撮れる。
   
 他に有名なところとしては「ねぎし三平堂」がある。初代林家三平は今では「昭和の爆笑王」なんて言われている。まあ確かにテレビに出てきただけで、みんな笑っていた。その海老名家が根岸にあって、いまは週に何日か公開している。まだ行ってないけど、下の最初の写真。鶯谷駅北口の地下通路にには「ウグイス」と「朝顔」の絵が飾ってあった。鶯谷駅南口から線路を渡る陸橋を降りると、そこに「東京キネマ倶楽部」という大きな建物がある。なんだこれはと調べてみると、昔はグランドキャバレーで、今はイベントホールとして使われている。ホームページを見ると、そのゴージャスな内装にビックリ。
   
 最後に近辺にお店を。単に下町というだけでなく、東京を代表する洋食屋として知られているのが「香味屋」である。今じゃオムライスやメンチカツなどどこでも大人気だけど、30年ぐらい前は気楽で美味しい洋食屋が少なかった。いろんな本に紹介されていて、僕は昔2回ほど行っている。ムチャクチャ高くはないから、「下町デート」に知ってるといい。また、この辺のお菓子屋としては、御行の松近くにある「竹隆庵岡埜」本店が有名らしい。日暮里や鶯谷駅前にも店がある。「こごめ大福」というのが名物らしいが、売り切れだったので夏季限定の包装がキレイなお菓子を買っていった。 
  
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