尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

陸奥宗光邸と御行の松ー根岸散歩③

2019年08月01日 22時55分42秒 | 東京関東散歩
 梅雨明けとともに全国は猛暑になり、とても散歩などできない。いま書いているのは7月上旬に散歩したもの。何となく暗い写真が多いが、実際に雲に覆われて一日中暗い日が続いた。でも、梅雨の時期は夏至に近いから日が長い。いつも降っているわけじゃないから、案外散歩日和の季節だ。根岸あたりは、古い家も多く、行き止まりの道の迷宮世界が魅力的。なかなか面白い町だったけれど、個人の家を載せるのも何だから有名な場所を最後にまとめて終わりたい。

 まずは明治の政治家で、日清戦争期に外務大臣を務めた陸奥宗光の旧邸。そんなものがあったのか。僕も知ったのは最近だが、調べると大磯にも陸奥宗光邸が残っているし、死んだのは旧古河庭園だった。根岸の旧陸奥邸は、鶯谷駅北口を出て東へ行って、根岸小学校の裏手にある。地元では長いこと「ホワイトハウス」と呼ばれていたらしい。1884年から86年に陸奥が英国に留学した際に妻子が住んだ場所で、86年に帰国した陸奥も一年ほどここに住んだという。その後六本木に転居し、やがてここに出版業を営む長谷川武次郎が住んだ。そこら辺のことは根岸子規会の設置した案内板に詳しい。
   
 陸奥邸を書いたから、その近くにある根岸小学校を。何でも学制発布前の1871年に創立されたというものすごく長い歴史を持つ。卒業生には池波正太郎有吉佐和子林家三平(初代)などがいる。豆富料理の笹の雪から歩道橋を隔てて真向かいに非常に大きな建物があって、それが小学校。学校前に子規の句碑や庚申塔がある。近くの根岸3丁目に「発祥の地」の碑がある。
   
 根岸小からさらに歩いて、西藏院不動尊に「御行の松」(おぎょうのまつ)と呼ばれる銘木がある。江戸時代から有名で、広重などが描いたという。1925年に天然記念物に指定されたが、もうその時は老木で1928年に枯死してしまった。戦後植えられた2代目はすぐに枯れ、1976年に植えた松は盆栽状だったために、2018年に4代目が植えられたばかり。枯死した初代も残されている。 
   
 地名としては根岸じゃなくて下谷になるが、地下鉄入谷駅近くに小野照崎神社がある。都会の真ん中にあるけど、なかなか森厳な場所である。最近人気の御朱印を求める人が並んでいた。ここに「下谷坂本富士」がある。入れないけど、要するに富士講信仰のミニ富士山である。国指定の重要有形民俗文化財だそうで、見応えがある。出来れば登ってみたいものだが、写真は撮れる。
   
 他に有名なところとしては「ねぎし三平堂」がある。初代林家三平は今では「昭和の爆笑王」なんて言われている。まあ確かにテレビに出てきただけで、みんな笑っていた。その海老名家が根岸にあって、いまは週に何日か公開している。まだ行ってないけど、下の最初の写真。鶯谷駅北口の地下通路にには「ウグイス」と「朝顔」の絵が飾ってあった。鶯谷駅南口から線路を渡る陸橋を降りると、そこに「東京キネマ倶楽部」という大きな建物がある。なんだこれはと調べてみると、昔はグランドキャバレーで、今はイベントホールとして使われている。ホームページを見ると、そのゴージャスな内装にビックリ。
   
 最後に近辺にお店を。単に下町というだけでなく、東京を代表する洋食屋として知られているのが「香味屋」である。今じゃオムライスやメンチカツなどどこでも大人気だけど、30年ぐらい前は気楽で美味しい洋食屋が少なかった。いろんな本に紹介されていて、僕は昔2回ほど行っている。ムチャクチャ高くはないから、「下町デート」に知ってるといい。また、この辺のお菓子屋としては、御行の松近くにある「竹隆庵岡埜」本店が有名らしい。日暮里や鶯谷駅前にも店がある。「こごめ大福」というのが名物らしいが、売り切れだったので夏季限定の包装がキレイなお菓子を買っていった。 
  
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