尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

深田晃司監督の力作「よこがお」

2019年08月07日 23時15分27秒 | 映画 (新作日本映画)
 2016年の傑作「淵に立つ」が今も鮮烈な深田晃司監督の新作「よこがお」が公開されている。これは一見判りにくい映画なんだけど、大変な力作だった。今年の日本映画は(現時点で)あまり収穫が少ないが、「よこがお」は屈指の作品だと思う。時間が入り組み、筋立てがなかなかつかめない。でも、何か非常に重大な問題が主人公に起きている緊張感が画面を覆い尽くしている。いくつもの人間関係の重なりが悲劇を生み、主人公の人生は大きく変えられてしまう。「犯罪」をめぐって、加害と被害が入り組む構造を見事に描き出している。素晴らしいチャレンジだと思う。

 深田監督は「淵に立つ」の次に、インドネシアで撮影した「海を駆ける」(2018)を作った。これは非常に面白い試みだったけれど、なんだか意図がよくつかめないところもあった。今回の「よこがお」は前々作で非常に強い印象を残し、一気に知名度を高めた筒井真理子を主演に迎えている。冒頭では筒井真理子が美容師の池松壮亮を指名して髪を染めようとしている。指名なんだし、何らかの関係がありそうだが、よく判らない。次第に判ってくるが、彼女はかつて訪問看護師として働いていた。

 筒井真理子(もちろん映画内で名前があるけれど、そこにも仕掛けがあるから女優名で書いておく)は、ある家に長く通っていて信頼されている。その家の長女(市川実日子)や中学生の次女の勉強をボランティアで手伝っているぐらいである。長女はすごく信頼していて、同じように医療や介護で働きたいと思っているらしい。勤務時間後に喫茶店(ファミレスじゃなくて、町の喫茶店という感じ)で二人の勉強をみてあげている。長女役の市川実日子は、いつもにもまして不気味感全開で目が離せない。筒井真理子は一緒に働いている医師と結婚の予定があり、彼の連れ子との関係も悪くない。

 そんな風にすごくうまく行っていた頑張り屋の女性が、ある事件をきっかけに人生が崩れる。それはどういう形で訪れるか。それが見所だからここでは書かないけど、一つの「犯罪」が人間関係のドミノ倒しを起こしていく様子は現代の恐怖というしかない。「報道被害」を考えさせられる映画でもある。現代社会では「世間」はテレビや週刊誌の形を取って襲いかかってくるのだ。そして、「無実の加害者」という今まで描かれたことがないようなテーマが立ちあがってくる。そこから見えてくる「復讐」の甘さと苦さ。

 ストーリー展開をもっと詳しく書かないと、よく判らないと思う。でも、この映画の場合、その判りにくさが魅力なのである。そして、人間が理解できる範囲を超えて、人々が生きている現実世界の悲惨はもっと奥が深かった。「風をつかまえた少年」はマラウイの習俗などで理解しにくいシーンはあるものの、映画の筋と目的はよく判る。そういう映画もあっていいし、メッセージ性も大事だ。だけど僕は「よこがお」の奥深い難解さの魅力をより大事にしたいと思う。

 「よこがお」という題名は、「半身は見えていても反対側の姿は見えない状態」の比喩だという。現代日本に止まらず、特に権力を持っている人の「判っているようで何も見えてない」状況を毎日見せられているモヤモヤ感を実にうまく表している。ただ一種のミステリー映画としてみた場合、張りめぐらされた伏線の行方が映画の半ばほどで推測出来てしまう。そのため最後の最後まで全く予測不能だった「淵に立つ」に一歩及ばない印象がある。それにしても主演の筒井真理子の演技には感銘を受けた。紛れもなく代表作になるだろう。
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