尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ジャニー喜多川、ハロルド・プリンス等ー2019年7月の訃報

2019年08月04日 22時49分07秒 | 追悼
 2019年7月に伝えられた中で、ここでは書かない訃報がある。7月18日の「京都アニメーション放火殺人事件」の犠牲者について書かない。僕はよく知らないので、その評価ができない。アニメ界では有名な監督などが犠牲となったが、まだ死亡者の名前は一部しか公表されていない。それとともに、あまりにも深刻な犯罪被害者であり、ここで書きたいと思っている「昔活躍した人の記憶を留める」という趣旨と違ってしまうからだ。また名馬「ディープインパクト」(17歳、7月30日没)も書かない。6頭目の「三冠馬」(2005年)だが、35歳まで生きた「シンザン」(1964年の三冠馬)に比べて短命だった。

 7月に一番大きく報道されたのは、ジャニーズ事務所を作り上げたジャニー喜多川だった。1931.10.23~2019.7.9、87歳。名前は有名でも顔を知らなくて、今回初めて知った。死因の動脈瘤破裂によるくも膜下出血は、僕の父親と同じだった。名前をいつ知ったのかは覚えてないけど、男性アイドルに特化していたから特に関心はなかった。初期の「ジャニーズ」(あおい輝彦ら)や「フォーリーブス」も知ってはいた。「シブがき隊」「少年隊」「光GENJI」など、僕が教員になった時代にファンがたくさんいた。
(ジャニー喜多川)
 それらのグループはメンバーの名前を全員は知らないが、「SMAP」になると全員知ってた。以後、様々なアイドルグループを続々と送り出し、「芸能界支配」という状況になった。スキャンダルも報じられる一方、ステージで平和の価値を発信したという。ジャニー喜多川の全体評価は僕には出来ないが、興味深いのは芸能事務所以前。ロスで生まれた二重国籍者で、戦後は在日米軍周辺で仕事をしていた。代々木の米軍宿舎周辺で少年野球団を結成し、それが「ジャニーズ少年野球団」だった。池袋の立教大学グラウンドで練習していたが、ある日雨だったので映画「ウェスト・サイド物語」に連れて行き、感動した少年たちで芸能活動に乗り出したというのである。創世記神話は面白い。

 その映画にもとになったブロードウェイのミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」で、共同プロデューサーをしていたのがハロルド・プリンスだった。7月31日没、91歳。多くのミュージカルを成功に導き、ミュージカルの巨匠として有名だった。トニー賞の個人受賞最多21回という記録を持っている。「屋根の上のバイオリン弾き」(64)頃まではプロデューサー、「キャバレー」(66)頃からは演出を手がけている。「エビータ」「スウィーニー・トッド」「オペラ座の怪人」「蜘蛛女のキス」など皆この人の演出。2015年には自身をモデルにした「プリンス・オブ・ミュージカル」が日本で初演された。
(ハロルド・プリンス)
 「ボサノバの神様」と呼ばれたジョアン・ジルベルトが死去。7月6日、88歳。本名がすごくて、「ジョアン・ジルベルト・プラド・ペレイラ・ディ・オリヴェイラ」と長い。僕はほとんどボサノバを知らないけれど、代表作「イパネマの娘」は知っている。50年代末にリオデジャネイロで作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンと知り合い、多くの名曲が生まれた。8月下旬から映画「ジョアン・ジルベルトを探して」が公開される。
(ジョアン・ジルベルト)
 俳優のルトガー・ハウアーが死去。19日、75歳。オランダ出身で、オランダで死んだ。オランダのポール・バーホーヴェン監督の映画でデビューしたが、ハリウッドに進出し「ブレードランナー」で有名になった。そればっかり訃報に出ているけど、僕は「ヒッチャー」が怖かったなと覚えている。代表作はエルマンノ・オルミの「聖なる酔っぱらいの伝説」だろう。
(ルトガー・ハウアー)
 評論家の竹村健一が死去、8日、89歳。そう言えばあれだけテレビに出ていた人を全然見てなかった。80年に引退していたという。フルブライト奨学生で、最初は英語関係の本が多かった。
 IAEA(国際原子力機関)事務局長の天野之弥(ゆきや)が死去。72歳。
(竹村健一) (天野之弥)
 中国の元首相、李鵬が死去、22日、90歳。天安門事件の弾圧責任者である。
 チュニジアのベジ・カイドセブシ大統領が死去。25日、92歳。「アラブの春」でベンアリ独裁政権崩壊後の民主選挙で当選した。世俗派政党から当選したが、高齢で政権基盤は弱かった。何とか持ちこたえているチュニジア民主化の行方が心配。
(李鵬) (カイドセブシ)
芝祐康(しば・すけやす)、雅楽演奏家、5日死去、83歳。文化勲章受章者で雅楽界で有力者だったらしい。横笛の名手で作曲もした。全然知らなかったけど。
リー・アイアコッカ、2日死去、94歳。元クライスラー会長。70年にフォード社長になるも創業家から解任されてクライスラーに転じた。自伝がベストセラーになり、日本でも知られていた。
ロス・ペロー、9日死去、89歳。米国の大富豪で92年の大統領選に独立系で出馬、2割近く得票した。
草川昭三、元公明党副委員長。17日死去、90歳。もともとは石川島播磨重工の労働運動家で、社会党から出て落選した。その後、非創価学会員ながら公明党推薦の無所属で当選を続け、新進党を経て公明党に参加した。98年以後の「自自公」(自民・自由・公明)の三党連立時の国対委員長だった。 
飯倉照平、24日死去、85歳。中国文学者で魯迅の研究をした。それ以上に知られているのが、南方熊楠の研究者として、全集を編集した他、一般書も著した。
勝田吉太郎、22日死去、91歳。政治学者でロシア政治思想史を研究した。保守派として知られ、産経新聞社系の論壇でよく書いていた。
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