今井正監督について書いた時に、60年代は今村昌平や大島渚の時代になったと書いた。その今村昌平(1926~2006)の7回忌追悼として、池袋の新文芸坐で長編映画19本が全部上映される。(23日から6月1日まで)。「甦れ〈重喜劇〉」と題されたその特集、「人間の欲望と性、そして、いのちを見つめつづけた世界の巨匠」とうたっている。確かに今村は「世界の巨匠」である。カンヌ映画祭の最高賞「パルム・ドール」を2回受賞した世界でたった3人しかいない監督の一人である。1983年の「楢山節考」と1997年の「うなぎ」である。(他の二人は「パパは出張中!」「アンダーグラウンド」のエミール・クストリッツァ(セルビア)と「ロゼッタ」「ある子供」のダルデンヌ兄弟(ベルギー)
(今村昌平)
ところがこの2作は今村の代表作ではない。もっとすごい作品を60年代に連発していたのである。僕にとって日本映画史上最高の映画監督である。昔から今村と溝口健二が一番好きで、昔よく見た小津安二郎と黒澤明の位置は下がっている。このような世界的な映画監督ともなれば、結局はその監督の世界を評価するか、好きかどうかになる。黒澤映画はエラそうな人が多すぎ。昔あんなに面白かった「野良犬」を見直したら、志村喬の刑事が新米の三船敏郎に「こんなにたくさんの悪党を死刑台に送ったんだ」と誇示する場面にがく然とした。(ちなみにほとんどの黒澤映画は「姿三四郎」の変奏で、哲人的な先輩と鍛えられていくルーキーのホモソーシャルな物語である。)小津映画も、戦前の失業者が戦後は大企業の重役に出世はするが、人間関係と経済の網の目の中で「結婚」をめぐる取引関係を描く映画がほとんどである。黒澤も小津も、映画に現れる日本の家父長的な構造がいやになる。
日本映画史上最高の愛の作家は溝口健二で、「近松物語」や「西鶴一代女」の気高さといったら比類ない。一方、今村昌平は「猥雑な民衆のエネルギー」を底辺女性を通して描く。世界映画史に他に思い浮かばない。58年の「盗まれた欲情」「西銀座駅前」「果てしなき欲望」の初期3作がすでにそういう感じ。今村は日活の監督だが、その題名を見ればロマンポルノが日活の伝統を受け継いでいた部分があるのが判る。続いて、59年に「にあんちゃん」でベストテン3位。大ベストセラーになった在日朝鮮人の子供の日記の映画化である。映画では「朝鮮」が消されて、貧しい炭鉱の少女のけなげさを描く感動作になってしまった。それはそれで名作だけど。
61年の「豚と軍艦」(7位)から底辺民衆のエネルギーを描く「重喜劇」の傑作が始まる。横須賀を舞台にした米軍基地問題を、「米軍の残飯で養豚しよう」というチンピラの話として展開する発想のすごさ。63年の「にっぽん昆虫記」(1位)はベルリンで左幸子が女優賞を取った傑作で、貧農の娘が生き抜くさまを描く代表作の一本。続く64年「赤い殺意」(4位)も大傑作で、春川ますみの妻が犯罪被害にあってから西村晃の夫との関係が変わっていくさまをじっくり描く。66年の「人類学入門」(2位)は野坂昭如の「エロ事師たち」の映画化で、小沢昭一の映画での代表作。今村には珍しい男が主人公の映画だけど、全然強くないエロ事師(ブルーフィルム製作など性商品の製造販売業)の話で、これもおかしい傑作。67年の「人間蒸発」(2位)は行方不明になった(当時「蒸発」と呼ばれた)婚約者を探す女の話だが、記録映画だか劇映画だか判らない作りになっている。
(「豚と軍艦」)
以上白黒映画で、初のカラーが南島ロケで日活を破産させかけた超大作(178分)、68年の「神々の深き欲望」(1位)。僕は日本映画史の最高傑作と評価している。「神話」として作られていて、映像の喚起力が強いのが魅力なのだ。柳田國男や吉本隆明の「南島論」、のちに島尾敏雄が「ヤポネシア」と名付けた列島最南の島々に展開する一代叙事詩である。70年の「にっぽん戦後史」は白黒に戻った記録映画で横須賀のバー「おんぼろ」のマダムの自分史語り。以後しばらく映画を作れなくなる。黒澤なども同じで、日本映画の危機の中で金食い虫の巨匠ほど映画が作れなくなったのだ。その頃は、1975年に日本映画専門学校(昨年から大学)を開校させ校長となるという大きな事業を始めている。
(「神々の深き欲望」)
79年の「復讐するは我にあり」(1位)で復活。佐木隆三の直木賞受賞のベストセラーの映画化で、実在の連続殺人鬼西口彰を緒形拳が圧倒的な迫力で演じる。倍賞美津子の助演が素晴らしい他、スタッフ、キャストの力がすごい傑作だ。以後、81年「ええじゃないか」(9位)、83年「楢山節考」(5位)、87年「女衒」(7位、「ぜげん」)、89年「黒い雨」(1位)と「歴史映画」が多く作られた。「女衒」というのは「女を売買する仕事をするもの」の意味で、日本から底辺女性を「からゆきさん」として東南アジアへ売りとばした村岡伊平次という実在人物の自伝の映画化。「黒い雨」は井伏鱒二の映画化で「原爆映画の最高峰」と言われた。故・田中好子一代の名演である。
ちょっと間が空いて、97年「うなぎ」(1位)がカンヌ最高賞で皆びっくり。よくできた艶笑喜劇みたいな感じで、殺人がベースにあるがあまり重くならない。今村も老いて軽くなったかなの感想を持った。98年「カンゾー先生」(4位)、01年「赤い橋の下のぬるい水」(10位)も同じ。「軽喜劇」に転身したかという老境の遊び心。坂口安吾原作が基の「カンゾー先生」は、戦争中になんでも肝臓病と診断してしまう「カンゾー先生」という医者の話で、僕は大好き。このほかテレビドキュメンタリーの傑作がある。「からゆきさん」や「未帰還兵を追って」などで東南アジアを舞台にした底辺民衆史が中心。こうしてみると、僕にとっては79年「復讐するは我にあり」までが真にすごい作品の時代で、なんといっても60年代が創造力にあふれていた黄金時代だと思う。
映画の中に貧しい人が出てくる映画は世界にたくさんある。アメリカの「怒りの葡萄」(スタインベックの傑作をジョン・フォードが映画化)や、イタリアのネオ・レアリスモの代表作「自転車泥棒」みたいに、悲惨な中にも気高く生きる民衆像が普通である。エネルギッシュで猥雑な民衆像という映画は珍しい。イタリアのフェデリコ・フェリーニには近い部分があるが、フェリーニは芸術家としての肥大した自我が強い。今村昌平はそういう「自家中毒」からほとんど自由なのがすごい。「性表現の自由」がある程度確保された国でないとできないが、左翼の民衆像(貧しい人々が団結して戦う)が教条的に見えてきた60年代に真に重要な意味を持ったと思う。80年代になると歴史の中の民衆を描くようになり、それが今一つ見ている側に「隔靴掻痒」(かっかそうよう)のもどかしさを感じさせた。そういう点も含めて、この偉大な映画監督の全体像はこれから再評価されていくだろう。もっともっと高く評価されるべき映画監督である。
(今村昌平)
ところがこの2作は今村の代表作ではない。もっとすごい作品を60年代に連発していたのである。僕にとって日本映画史上最高の映画監督である。昔から今村と溝口健二が一番好きで、昔よく見た小津安二郎と黒澤明の位置は下がっている。このような世界的な映画監督ともなれば、結局はその監督の世界を評価するか、好きかどうかになる。黒澤映画はエラそうな人が多すぎ。昔あんなに面白かった「野良犬」を見直したら、志村喬の刑事が新米の三船敏郎に「こんなにたくさんの悪党を死刑台に送ったんだ」と誇示する場面にがく然とした。(ちなみにほとんどの黒澤映画は「姿三四郎」の変奏で、哲人的な先輩と鍛えられていくルーキーのホモソーシャルな物語である。)小津映画も、戦前の失業者が戦後は大企業の重役に出世はするが、人間関係と経済の網の目の中で「結婚」をめぐる取引関係を描く映画がほとんどである。黒澤も小津も、映画に現れる日本の家父長的な構造がいやになる。
日本映画史上最高の愛の作家は溝口健二で、「近松物語」や「西鶴一代女」の気高さといったら比類ない。一方、今村昌平は「猥雑な民衆のエネルギー」を底辺女性を通して描く。世界映画史に他に思い浮かばない。58年の「盗まれた欲情」「西銀座駅前」「果てしなき欲望」の初期3作がすでにそういう感じ。今村は日活の監督だが、その題名を見ればロマンポルノが日活の伝統を受け継いでいた部分があるのが判る。続いて、59年に「にあんちゃん」でベストテン3位。大ベストセラーになった在日朝鮮人の子供の日記の映画化である。映画では「朝鮮」が消されて、貧しい炭鉱の少女のけなげさを描く感動作になってしまった。それはそれで名作だけど。
61年の「豚と軍艦」(7位)から底辺民衆のエネルギーを描く「重喜劇」の傑作が始まる。横須賀を舞台にした米軍基地問題を、「米軍の残飯で養豚しよう」というチンピラの話として展開する発想のすごさ。63年の「にっぽん昆虫記」(1位)はベルリンで左幸子が女優賞を取った傑作で、貧農の娘が生き抜くさまを描く代表作の一本。続く64年「赤い殺意」(4位)も大傑作で、春川ますみの妻が犯罪被害にあってから西村晃の夫との関係が変わっていくさまをじっくり描く。66年の「人類学入門」(2位)は野坂昭如の「エロ事師たち」の映画化で、小沢昭一の映画での代表作。今村には珍しい男が主人公の映画だけど、全然強くないエロ事師(ブルーフィルム製作など性商品の製造販売業)の話で、これもおかしい傑作。67年の「人間蒸発」(2位)は行方不明になった(当時「蒸発」と呼ばれた)婚約者を探す女の話だが、記録映画だか劇映画だか判らない作りになっている。
(「豚と軍艦」)
以上白黒映画で、初のカラーが南島ロケで日活を破産させかけた超大作(178分)、68年の「神々の深き欲望」(1位)。僕は日本映画史の最高傑作と評価している。「神話」として作られていて、映像の喚起力が強いのが魅力なのだ。柳田國男や吉本隆明の「南島論」、のちに島尾敏雄が「ヤポネシア」と名付けた列島最南の島々に展開する一代叙事詩である。70年の「にっぽん戦後史」は白黒に戻った記録映画で横須賀のバー「おんぼろ」のマダムの自分史語り。以後しばらく映画を作れなくなる。黒澤なども同じで、日本映画の危機の中で金食い虫の巨匠ほど映画が作れなくなったのだ。その頃は、1975年に日本映画専門学校(昨年から大学)を開校させ校長となるという大きな事業を始めている。
(「神々の深き欲望」)
79年の「復讐するは我にあり」(1位)で復活。佐木隆三の直木賞受賞のベストセラーの映画化で、実在の連続殺人鬼西口彰を緒形拳が圧倒的な迫力で演じる。倍賞美津子の助演が素晴らしい他、スタッフ、キャストの力がすごい傑作だ。以後、81年「ええじゃないか」(9位)、83年「楢山節考」(5位)、87年「女衒」(7位、「ぜげん」)、89年「黒い雨」(1位)と「歴史映画」が多く作られた。「女衒」というのは「女を売買する仕事をするもの」の意味で、日本から底辺女性を「からゆきさん」として東南アジアへ売りとばした村岡伊平次という実在人物の自伝の映画化。「黒い雨」は井伏鱒二の映画化で「原爆映画の最高峰」と言われた。故・田中好子一代の名演である。
ちょっと間が空いて、97年「うなぎ」(1位)がカンヌ最高賞で皆びっくり。よくできた艶笑喜劇みたいな感じで、殺人がベースにあるがあまり重くならない。今村も老いて軽くなったかなの感想を持った。98年「カンゾー先生」(4位)、01年「赤い橋の下のぬるい水」(10位)も同じ。「軽喜劇」に転身したかという老境の遊び心。坂口安吾原作が基の「カンゾー先生」は、戦争中になんでも肝臓病と診断してしまう「カンゾー先生」という医者の話で、僕は大好き。このほかテレビドキュメンタリーの傑作がある。「からゆきさん」や「未帰還兵を追って」などで東南アジアを舞台にした底辺民衆史が中心。こうしてみると、僕にとっては79年「復讐するは我にあり」までが真にすごい作品の時代で、なんといっても60年代が創造力にあふれていた黄金時代だと思う。
映画の中に貧しい人が出てくる映画は世界にたくさんある。アメリカの「怒りの葡萄」(スタインベックの傑作をジョン・フォードが映画化)や、イタリアのネオ・レアリスモの代表作「自転車泥棒」みたいに、悲惨な中にも気高く生きる民衆像が普通である。エネルギッシュで猥雑な民衆像という映画は珍しい。イタリアのフェデリコ・フェリーニには近い部分があるが、フェリーニは芸術家としての肥大した自我が強い。今村昌平はそういう「自家中毒」からほとんど自由なのがすごい。「性表現の自由」がある程度確保された国でないとできないが、左翼の民衆像(貧しい人々が団結して戦う)が教条的に見えてきた60年代に真に重要な意味を持ったと思う。80年代になると歴史の中の民衆を描くようになり、それが今一つ見ている側に「隔靴掻痒」(かっかそうよう)のもどかしさを感じさせた。そういう点も含めて、この偉大な映画監督の全体像はこれから再評価されていくだろう。もっともっと高く評価されるべき映画監督である。