尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

キッシンジャー、池田大作、細田博之他ー2023年11月の訃報①

2023年12月05日 22時46分04秒 | 追悼
 2023年11月の訃報特集。11月は1回で済むかと思っていたのだが、月末に重要な訃報が集中した。外国人の訃報は少なかったので、内外ではなく「政財界」と「芸術・スポーツ」で分けたいと思う。1回目は誰から書くべきか迷ったが、世界的視野で見ればキッシンジャーだろうなと思った。まあ、若い人だと知らないかもしれないけど。アメリカの元国務長官元大統領補佐官の国際政治学者、ヘンリー・キッシンジャーが11月29日に死去。なんと100歳という長寿だった。1969年から1975年まで国家安全保障問題担当大統領補佐官、1973年から77年にかけて国務長官を務めた。共和党のニクソン、フォード両政権の時代である。
 (キッシンジャーとニクソン大統領)
 もう半世紀前のことになるが、キッシンジャーは確かに世界を変えた。そのことで今に至るも伝説的な存在になってきた。その最大の「業績」は1971年7月の中国秘密訪問である。冷戦下で長く対立していた中国を秘密裏に訪れ、72年のニクソン訪中を決めた。ベトナム戦争解決のため中ソの対立を利用する政治的リアリズムである。この方針は日本など「同盟国」に事前に知らされず、発表されたときには当時の佐藤栄作政権に激震が走った。その当時のことはよく記憶している。1973年にはベトナム戦争終結のための「パリ和平協定」を締結。北ベトナムのレ・ドク・トとともに同年のノーベル平和賞を受けた。
(周恩来と)
 1923年、ドイツに生まれたが、ユダヤ系だったためナチスを逃れて1938年に一家でアメリカに逃れた。ハーバード大学で国際政治学を学び同大学で教えていたが、60年代に政界と関わり始めた。77年の国務長官退任後も外交を論じることが多かったが、一貫して大国同士のパワーバランスを重視した。小国を軽視する「人権」軽視外交であり、批判的に振り返る必要がある。ただ中国は「老朋友」として重視して、2023年に100歳で訪中したときも習近平が会談した。毛沢東、習近平の双方に会っているのである。
(習近平と)
 創価学会名誉会長池田大作が11月15日に死去、95歳。日本人なら誰でも知ってる名前だが、ではどう評価するべきかは難しい。創価学会員には非常に重大な魂を揺るがす訃報だろうが、非会員にはそれほどの意味はない。ただ「公明党」を結成したことで、立場はともかく多くの人に影響がある人物だった。創価学会は日本で公称世帯数827万、海外で280万人を組織していると言われる。近年の公明党の得票数から見ても、これは過大な数字だろう。それでも戦後日本で最大の宗教団体を組織したのは間違いなく、その原動力が1960年に39歳で第3代会長になった池田大作にあったのは確かだ。
(池田大作)
 大勢力となって政界進出を図り、1961年に公明政治連盟、1964年に公明党を結成した。しかし、1970年の「出版妨害事件」を機に政教分離を表明した。その後の様々なことを書いていると長くなるから省略する。聖教新聞に小説『人間革命』『新・人間革命』を1965年から2018年まで断続的に連載、日本最長の新聞小説とされる。2018年段階で、合わせて5400万部刊行とWikipediaに出ている。司馬遼太郎『竜馬がゆく』(2450万部)を大きく越えて、日本で一番売れた「小説」なんじゃないかと思う。世界的な著名人と対談していて、その中にはキッシンジャーとの写真もあった。
(池田大作とキッシンジャー)
 なお、教義面には深入りしないが(よく理解していない)、「日蓮宗」と「日蓮正宗」(にちれんしょうしゅう)が違うことを認識していない人がいるので一言書いておきたい。日蓮宗は仏教の一派だが、日蓮正宗は日蓮を本仏とする「仏教系」宗教である。日蓮の高弟日興に始まるが、日蓮宗は認めていない。創価学会は日蓮正宗の在家信徒集団だが、宗門との関係が悪化して、1991年に宗門から破門処分になった。そのため、学会員の葬儀に僧侶を呼べなくなり「友人葬」を行っている。

 第78代衆議院議長の細田博之が11月10日に死去、79歳。官房長官や自民党幹事長も務めた大物だけに、2021年に衆議院議長に就任したときは期待されていた。それが旧統一協会問題やセクハラなどにちゃんと答えることをせず、「晩節を汚した」印象が残ってしまった。死去直前に議長を辞任したときも、選挙には出ると言って驚かされた。健康にこれほど大きな問題があるとは自分でも思ってなかったのかもしれない。しかし、今「安倍派」と呼ばれている派閥はちょっと前まで「細田派」だったのである。いろんなものを墓場に持って行ってしまったなと思う。
(細田博之)
 元衆議院議員で文部大臣、自治大臣を務めた保利耕輔が11月4日死去、89歳。衆議院議長や官房長官を務めた保利茂の死去により、1979年の衆院選に出馬して当選し、以後12回連続当選した。2005年に郵政民営化に反対して無所属で当選し、自民党を離党した。しかし、国民新党には加わらず、2006年に復党を申請、認められた。福田康夫、麻生内閣では政調会長に就任し、民営化法案反対派の中でも一番「復活」した人だろう。
(保利耕輔)
 財界人から。野村證券元社長の田淵義久が11月8日に死去、91歳。バブル期に業績を大きく伸ばしたが、91年に大口顧客への損失補填や暴力団幹部との取引が発覚して辞任した。初代郵政公社総裁を務めた生田正治が11月13日に死去、88歳。商船三井会長から2003年に郵政公社総裁に就任。小泉首相から請われて、民営化直前の困難な時期に総裁を務めた。三井住友フィナンシャルグループ社長の太田純が11月25日に死去、65歳。金融界のデジタル化を推進したという。
(田淵義久)(生田正治)(太田純)
鶴羽肇、11月12日死去、91歳。ツルハホールディングズ初代会長。北海道旭川の薬局から始まり、ツルハドラッグを日本一のドラッグストアチェーンに育てた人である。
若林正俊、11月11日死去、89歳。元衆議院、参議院議員で、環境相、農林水産相を務めた。この人は3つの珍しいエピソードを持っている。まず、2006年に農林水産相を臨時で「3ヶ月に3回」務めた。たまたま閣僚の死亡、辞任などが重なり環境相ながら農水相臨時代理を務めた。また、2009年の「政権交代選挙」後の首班指名で、麻生首相が敗北して辞意を表明していたため、参議院議員会長だった若林が自民党の首班候補となった。そんな有力議員だった若林が、2010年に席を外していた隣席の青木幹雄のボタンを採決時に押してしまった。一人二票を行使した「前代未聞の不祥事」で、これで議員辞職することになったのである。

 元アメリカ大統領ジミー・カーターの妻、ロザリン・カーターが11月19日に死去、96歳。1946年に海軍軍人だったジミー・カーターと結婚。退役後にジョージア州で家業(ピーナツ栽培)を営みながら、州議会議員、州知事となった夫の政治活動を支えた。その間に福祉政策の助言者として大きな役割を果たしている。ファーストレディ時代(1977から1981)にも閣僚会議に参加するなど大きな存在感を発揮した。1980年にカーターがレーガンに敗れた後も、女性運動家、人権運動家として活動を続けていた。
 (ロザリン・カーター)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 根津神社から上野公園まで散歩 | トップ | 伊集院静、山田太一、三木卓... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

追悼」カテゴリの最新記事