尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

伊集院静、山田太一、三木卓、KAN他ー2023年11月の訃報②

2023年12月06日 22時32分44秒 | 追悼
 2023年11月の訃報、2回目。11月は作家の訃報が多かったので最初に。最初に報じられたのが伊集院静だった。11月24日死去、73歳。様々な伝説に彩られた人だったが、取りあえずは1992年に『受け月』で直木賞を受賞した作家である。まずCMディレクターとして知られ、また1984年に女優夏目雅子と結婚した人として知ったわけだが、夏目雅子は1年後の85年に白血病で亡くなった。1992年に女優の篠ひろ子と再々婚し、96年から篠の出身地・仙台に住んでいた。代表作に『機関車先生』『いねむり先生』『琥珀の夢』などがあるが、読んでない。近藤真彦の『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』など作詞でも活躍した。競輪、麻雀などギャンブル好きで知られ「最後の無頼派」と呼ばれていた。
(伊集院静)
 続いて脚本家、小説家の山田太一が11月29日に死去、89歳。僕は今まで書いているようにほぼテレビドラマを見てないので、書くことが出来ない。しかし、代表作として朝ドラ『藍より青く』(1972)、『男たちの旅路』(86)『岸辺のアルバム』(77)、大河ドラマ『獅子の時代』(80)、『ふぞろいの林檎たち』(1983)などがあり評判は聞いていた。小説では『異人たちとの夏』(1987)で山本周五郎賞。他に『飛ぶ夢をしばらく見ない』(1985)など多数があり、脚本集も多い。映画では自作の映画化『異人たちとの夏』の他、『キネマの天地』『少年時代』など。テレビ関係の賞を数多く受賞していて、業績の大きさがわかる。早稲田大学教育学部卒で、寺山修司と同窓の友人だった。病気で入院中の寺山と交わした書簡集も出ている。
(山田太一)
 芥川賞作家の三木卓が11月18日に死去、88歳。「満州」からの引き揚げ体験を基にした『』(1972年)で芥川賞。『砲撃のあとで』(73)など戦争体験を書いて注目されたが、それ以前に詩集『わがキディ・ランド』(70)などで詩人として知られていた。破傷風にかかった娘を描いた『震える舌』は映画化され注目された。僕は若い頃にかなり読んでいて、『かれらが走りぬけた日』(78)や『野いばらの衣』(79)の素晴らしさは忘れがたい。しかし、後の作品『路地』や『K』を読んでない。また児童文学も多く、『真夏の旗』(71)は素晴らしかった。翻訳やエッセイも含めて、もっと高い評価が必要な作家だと思う。
(三木卓)
 SF作家の豊田有恒(とよた・ありつね)が11月28日に死去、85歳。初期SF作家としてテレビアニメ『エイトマン』の脚本を担当、認められて虫プロで『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』の脚本を書いた。作家としては『モンゴルの残光』(67)に始まるシリーズなど多数の作品がある。邪馬台国論争など古代日本を舞台にした作品も多い。原発支持など反左派的な論客だった。
(豊田有恒)
・他にも第1回ファンタジーノベル大賞を『後宮小説』(89)で受賞した酒見賢一が7日に死去、59歳。他に『墨攻』(91)『陋巷に在り』シリーズなど中国を舞台にした作品を書き続けた。
・外国ではイギリスの作家A・S・バイアットが16日に死去、87歳。『抱擁』(90)でブッカー賞を受けた。映画化され日本でも公開されたが、映画はともかく原作は非常に面白い傑作だった。

 谷村新司以来歌手の訃報が続いているが、11月12日にKANが61歳で死去したニュースには驚いた人が多いだろう。死因がメッケル憩室ガンという珍しいものだったことも話題となった。なんと言っても90年の『愛は勝つ』の大ヒットで知られるが、この歌は震災後にも歌われた。シンプルな歌詞が力強く、皆で歌える元気ソングとして永遠に残るだろう。公表が逆になったが、大橋純子が9日に死去、75歳。『たそがれマイ・ラブ』『シルエット・ロマンス』(81、レコード大賞最優秀歌唱賞)などで知られた。
(KAN)(大橋純子)
・音楽関係では作詞家の三浦徳子が6日死去、75歳。松田聖子の『青い珊瑚礁』を作詞した人である。他に『みずいろの雨』(八神純子)、『お嫁サンバ』(郷ひろみ)などがある。80年代アイドルの歌詞を多数手がけたことで知られる。
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