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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

日本の街にはなぜゴミ箱がないのかー「不便社会」になりつつある日本

2025年05月21日 21時39分37秒 | 社会(世の中の出来事)

 外国人観光客に日本の印象を聞くと「街にゴミ箱が無くて困った」という感想が多いようだ。さらに言うと「日本はゴミ箱がないのに街がキレイ」という感想になる。そこで日本人は清潔好きでゴミを捨てないから、ゴミ箱を置かなくて良いのだなどと解釈する人が出て来る。これは大きな間違いで、数年前まで駅にはちゃんとゴミ箱が置かれていた。僕も駅のゴミ箱がなくなって困っている。だけどゴミ箱があると家庭ゴミを持ち込む人もいるから「家庭ゴミは捨てないで」などと注意書きがあったものだ。

(「感動」する外国人観光客)

 駅のゴミ箱がなくなったのは、「コロナ」が直接のきっかけだろう。コロナ前も何か大きな会議、サミットなんかが日本であると、「テロ対策」とかゴミ箱が使えないようにされたりした。コロナ緊急事態宣言で街から人が消えた時も、確かゴミ箱が使えなかったと思う。電車自体は間引きされても動いていたが、「感染防止」の観点から(つまりマスクなどが不用意に捨てられると、処理する駅員に感染の恐怖がある)使えなくなったように思う。そして、いつの間にか自販機の缶やペットボトルの回収を除き、駅からゴミ箱がなくなった。(いつだか覚えてないけど、そういうお知らせはあったような記憶がある。)

 最近では映画館や劇場などでもゴミ箱が少なくなってきた気がする。最近浅草演芸ホールで「入場料金改定のお知らせ」という告知がホームページに掲載されたが、そこには「処理費用削減の為、御持参した品物についてはゴミをお持ち帰り頂き、こちらで御購入頂いた物のみ回収致します。」と書かれている。ホール内に売店はあるので、そこで売ったもののみ回収するわけである。これは山小屋と同じ方式で、要するに街へ出かけるのも登山と同じようになってきたわけである。だから「SGDs」的観点から望ましいと考える人も出て来るが、ホントの理由は事業所の「処理費用削減」なのである。

 事業系ゴミは有料だが、家庭ゴミは無料だから、自分のゴミは家で出してくれというのが今のゴミ事情である。観光客は家がないから、家にあたるホテルのゴミ箱に捨てるわけで、さすがに今のところホテルのゴミ箱は残っている。駅にはキオスクも無くなってしまい、新聞・週刊誌を駅で買うことも無くなった。人手不足ということが大きいんだろうが、ちょっと小腹が空いたなというときは、コンビニで何か買おうと思うと今度はコンビニのゴミ袋が有料である。駅の前に街角からゴミ箱が消えていったが、昔の映像を見るとかつては街中にもちゃんとゴミ箱があった。何事も経費節減でゴミ箱が無くされていったのである。

(嵐山ではゴミが散乱)

 京都・嵐山が桜や紅葉のシーズンには完全にオーバー・ツーリズム状態になっているらしい。ゴミ箱に入りきらず、ゴミが散乱しているから、京都市はゴミ箱を撤去すると出ていた。これは本末転倒で、ゴミが多すぎるからゴミ箱を無くすのではなく、普通ならゴミ箱を増やして回収も増やすのが当然の道筋だろう。だけど、観光客が多すぎて迷惑だという文脈で語られると、じゃあゴミ箱を無くせばという発想になる。だけど食べ物を売ってる店がある以上、どこかでゴミを処理する必要がある。観光客を受け入れている以上、行政当局もゴミ回収をするべきだし、その費用のために「宿泊税」があるんじゃないだろうか。

 ところで街から消えつつあるのはゴミ箱だけではない。例えば時計もすっかり見なくなりつつある。特に駅にあったはずの掛時計が最近は無いのである。東京の私鉄・JRでは数年前に回数券が無くなってしまい、とても困った。確かにICカードがあるときに回数券を残しておくのは面倒だろう。(そしてICカードも負担が大きいとして無くなっていくらしい。)こういう道筋は理解できると言えばその通りなんだけど、会社や自治体が経費節減を優先し過ぎて日本は「不便社会」になりつつあるんじゃないだろうか。それを「不便」と思わずに、「日本の素晴らしさ」などと宣伝するのは欺瞞というしかない。


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