尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

トルコと日本、そして世界-トルコ今昔⑤

2016年07月23日 23時42分55秒 |  〃  (国際問題)
 僕は時々、「社会科入門編」みたいな「授業」を今でも書きたくなってしまう。まあ趣味みたいなもんで、現在時点での問題の奥にある、歴史的、地理的な問題の方が面白いのである。クーデタ騒動を受けて、トルコの問題を考えてきたが、だんだん飽きてくるので今日で最後にしたい。トルコの「政教分離」をめぐる構造的対立関係を書く前に、トルコの世界的重要性について触れておきたい。

 トルコをよく「文明の十字路」とか「東西の架け橋」と呼ぶ。オスマン帝国以前は今は触れないが、紀元前から興味深い文明が行きかう土地だった。世界地図を見れば一目瞭然、とにかく「シリア内戦」と「IS問題」がある限り、トルコは最前線国家である。アメリカをはじめ、世界のどこもトルコの政情不安を認められない。多少の強権的色彩には目をつぶるから安定的政権であってほしいというのが本音だろう。選挙による限り、政治の運営を握るのは「公正発展党」しか(今のところ)考えられない。

 イスラムの問題は後にして、もう一つ重大な問題は「中央アジア一帯に広がるテュルク語系諸民族」の問題である。日本では、国家名は「トルコ」と呼ぶが、「トルコ系諸民族」(Turkic peoples)を指すときは「テュルク」と訳すことが多い。もともとトルコ民族は中央アジアに起源があり、西へと次第に勢力を広げていった。セルジューク朝ティムール朝などテュルク系大帝国が何度か建設された。中国史に出てくる、「匈奴」(きょうど)とか「突厥」(とっけつ)もテュルク系とされる。ソ連崩壊後に独立国家となったカザフスタンのカザフ人、ウズベキスタンもウズベク人なども同様である。

 だから中央アジアを「トルキスタン」という場合もあり、カザフスタンやウズベキスタンは西トルキスタンにあたる。では東トルキスタンはどこかというと、中国領の新疆ウィグル自治区である。中央アジアのテュルク語系諸民族は、古くからイスラム教を受け入れてきた。さらにカスピ海の東西にあるトルクメニスタンアゼルバイジャンもテュルク語系民族で、トルコ語話者はかなり相互理解が可能だと言われる。ソ連時代はキリル文字で表記していたが、どちらの言語も独立以後にラテン文字(ローマ字)表記に変えた。トルコ語との距離がいっそう近くなったわけである。

 世界には様々な国際協力組織があるが、アジアの大陸諸国だけで作られている「上海協力機構」というものがある。中国とロシアが中心となり、カザフスタン、タジキスタン、キルギスが原加盟国。ウズベキスタンもすぐ参加し、2005年にインド、パキスタンも加盟した。トルコは「対話パートナー」となっていて、現在正式加盟を申請している。トルコはNATO加盟国だから、アメリカのオブザーバー申請を拒絶した上海協力機構に正式にトルコが加盟するのは難しいかもしれない。だけど、中央アジア一帯に広がるテュルク系民族への「潜在的影響力」をトルコが持っているという特殊事情もある。トルコはヨーロッパを志向するだけでなく、アジアをも志向しているのである。世界情勢を見るときに、トルコが非常に重大な意味を持っていることがわかるだろう。

 そのようにかなり特別な歴史背景を持つトルコだけど、国民の99%がムスリム(イスラム教徒)だと言われる。民族的には長い歴史の間に、ほとんどコーカソイド(白色人種)になってしまったというが、文化的には中東のアラブ諸国と近い。しかし、「イスラム教」を強調すると、トルコの民族主義と矛盾が出てくる。第一次世界大戦後はオスマン帝国の敗北により、トルコ民族も国家存続の危機に見舞われていた。だからこそ、ケマル・アタチュルクによって、宗教と切り離した「国民国家」という形で「トルコ共和国」が誕生したわけである。国民感情からすれば、その「政教分離」は厳しすぎた側面がある。国家の危機において、「先へ進み過ぎた憲法」を制定し、敗戦国オスマン帝国の負の遺産を引き継がない意思をはっきりさせたのである。

 こう見てくると、エルドアン大統領と日本の安倍首相に共通の政治的姿勢が見えてくる。日本も第二次世界大戦の敗北の後、国家存続の危機に見舞われた。当時の支配層は、最重要の天皇制護持を優先して、帝国陸海軍は捨て去った。敗戦の責任をすべて軍部に押し付けて、「日本国憲法」で戦争と軍備を放棄した(と当時の政府は憲法を解釈していた)。この憲法も「先へ進み過ぎた憲法」だったと言える。後に政府が解釈を変え(というか、朝鮮戦争を機に占領軍の政策が代わり)、自衛隊(当初は警察予備隊、のちに保安隊)が発足する。国民は自衛隊を拡充していく政党に過半数を与え続けた。

 エルドアンや安倍晋三にとって、憲法は「事実上無視していいもの」である。歴史的経緯から変えるのは大変だし、政教分離や平和主義といったタテマエ自体は否定しない。だけども、経済的発展を掲げて選挙に勝ち、その後は憲法を尊重しない。事実上無視している。そういう姿勢で共通性がある。第二次安倍政権発足後、安倍首相は2回トルコを訪問、エルドアン大統領も1回来日している。昨年のトルコ訪問時には映画「海難 1880」を共に鑑賞している。他にも国際会議時に顔を合わせている。よほど「馬が合う」関係なのではないかと思うが、両者の政治姿勢に共通性があるから、お互いに何となく「同じ匂い」を感じるのだろう。

 憲法裁判所や最高検察庁は、今まで「政教分離」を守るためにイスラム政党に以下に厳しく対処してきたか。それを先に「エルドアンへの道」で見たが、今までのトルコ政治史では「そこまでやるか」的な厳格さで「イスラム政党排除」を徹底してきた。今の段階はそれを事実上無視して進められてきたエルドアン体制が、選挙という国民の支持を背景にして、なし崩しにしつつある。今の世界情勢で、「選挙で成立した政権を軍が打倒する」ことを世界各国は公然とは認められない。左翼政権を倒すのもダメなんだから、右翼政権を倒してもダメである。選挙で勝った政権に正当性がある

 今回指摘されている「ギュレン教団」は、本来穏健なイスラム運動で、政教分離を求めている。エルドアン体制と対立するのは、その強権性を批判したからである。もともと「テロ組織」ではないし、軍に思想的影響を与えたとしても、クーデタを主導したとは考えられない。それよりは昨年来相次ぐテロ事件で求心力が落ちたエルドアン政権が、すでに反対派の大粛清を計画していただろうということである。そうでなければ、これほど素早い対応はできないと思われる。軍内の反エルドアン派も、一掃される前に行動に出る準備を進めていただろう。エルドアン大統領を拘束できていれば、事態は変わっていたかもしれない。しかし、とりあえずクーデタは失敗した。当面、トルコ政局はエルドアン主導で進むことになるだろう。

 日本政府も、人権上の問題が起きないように言っておかないといけない。もともとクルド系難民をほとんど受け入れないなど、トルコ政府との協調を配慮しすぎる面が日本にはある。エルドアン大統領が緊急事態宣言を行い、その緊急体制下に一気に憲法改正を行い、大統領制への変更(今は形式的には議院内閣制なのだが、最初の国民直接選挙で選ばれたエルドアン大統領が指導者になっている)を行うかどうか。伝えられるとことでは、テロ事件を契機に治安意識が高まり、強権への批判が難しくなっているらしい。今回もエルドアン体制勝利を受けて、トルコナショナリズムが高まっているという。今後の行方を今占うのは難しいが、緊急事態下にどこまでの弾圧を行い、自己に有利な政治改革を実行するかがカギだと思う。だが、トルコ国内には根強いエルドアン体制批判もあるので、一方的な肩入れを行うと後々反作用が起きる。まあ、安倍首相や日本の外務省に言っても仕方ないかもしれないが。ちょっと自分でも結論が出ない感じだけど、こんなところで。
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