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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

民主か独裁か-57年目の「6・15」

2017年06月17日 00時03分40秒 | 政治
 2017年6月15日、翌朝まで続いた国会で「共謀罪」(組織的犯罪処罰法=組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の「改正案」)が強引に成立させられた。参議院法務委員会の採決を省略し、突然本会議で「中間報告」を行い採決するという「奇策」が使われた。

 本会議では賛成が165、反対が70。というんだけど、東京新聞によると「締め切りを告げると、社民党の又市征治氏と福島瑞穂氏、自由党の森裕子氏が慌てて反対票を参院職員に渡したが、時間切れを理由に「投票しなかった」(参院事務局)という扱いになった。3人の「反対」の意思表示は公式記録に残らない。」いくら何でも横暴が過ぎるというもんだろう。

 ニュースなどでは「奇策」だけど「国会法にある規定」などと言うけど、これは「だまし討ち」以外の何物でもない。法相不信任案の提出が早すぎたという民進党への批判もある。戦術的な批判はあるだろうけど、基本的には「あり得ない手法」を取った与党側への批判がなくてはおかしい。法務委員会で審議してきて、「もう十分審議した」から「採決」するわけで、委員会採決なしで本会議を開くこと自体が「審議が不十分」という証である。本来は議長がたしなめないといけない。

 「共謀罪」について今まできちんと書いてない。「テロ等準備罪」などと政府が言い出して、それを使うマスコミもある。これは大間違いである。まるで今まではテロ準備をしても罪にならないかのような誤解を与える。もちろん、そんなことはなかった。殺人やハイジャック等の重要な犯罪には「準備罪」があり、準備段階で罪に問われる。「条約(パレルモ条約=国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約)に入らないと五輪を開催できない」などと言うのも悪質なプロパガンダである。

 この条約自体テロ防止条約ではないし、組織的犯罪対策を進めてきた日本は多分それまでのままで条約に加盟できたと思う。加盟を申請してダメと言われたなら、それから考えてもいいはずだが、共謀罪がないと加盟できないと政府が言い続けてきた。しかし、言っちゃなんだけど、マスコミの半分が政府の宣伝に乗って「テロ等準備罪」と書いている日本の現状では、客観情勢的に成立を防ぐ手立ては思いつかない。

 2015年の安保法制の時に、「何も説明しない」安倍政権に内閣支持率は不支持の方が上回った。「今後もていねいに説明していく」と言いつつ、その後も何も説明しない。それは一人首相に限らず、小渕優子や甘利明なども、金銭スキャンダルで辞任した時は「調査してから説明する」などというが、その後もちゃんと説明はしない。そんな安倍内閣に国民はいつの間にか、再び高い支持率を与えてしまった。もう安倍内閣だったら「共謀罪」に関して、ちゃんと説明しないまま強引に成立させるという成り行きをたどるのは、誰にでも判ることである。

 与党にも野党にも問題はあるけれど、国民自身が一番責任が大きい。だが、僕が思うに、このような「絶望」のような時間の方が今まで長かったではないか。共謀罪ができる前から、国策に異を唱える人々に警察は「事実上の共謀罪」を適用して監視を続けてきた。もう何十年も前からそうじゃないか。それでも未来への責任のために、異を唱えるべき時には恐れずに声を挙げないといけない。

 「6・15」と言えば、60年安保闘争で国会前で樺美智子が殺された日ではないか。ある時期まで、6月15日と言えば皆がそのことを思い出したものだが、今回はマスコミもどこも触れてないと思う。1960年、安倍首相の「母方の祖父」である岸信介が首相を務めていた。(天皇に関しては「女系」が嫌いな安倍首相が、なぜか自分に関しては「総理の女系の孫」であることを誇りにしているらしい。)

 60年安保闘争では、5月19日に衆議院で強行採決されたことで大きく広がっていく。条約だから、憲法の規定により参議院で議決しなくても、「30日以内に議決しない時は衆議院の議決を国会の議決とする」。このため参議院で審議する意味がなくなってしまう。この状況は、今の日本の国会と似ているのではないか。加計学園問題の調査結果も、共謀罪成立後に出してきた。森友学園問題の資料も出てこない。ちゃんと情報公開しようという気がない。まともな審議が国会でできないのだ。

 60年安保の時は、中国文学者の竹内好(よしみ)は「民主か独裁か」という文章を発表した。一種の非常事態下で書かれた緊迫感あふれたマニフェストである。僕が思い出すのは、その「民主か独裁か」という問題設定である。もちろん現代の「独裁」は昔のような軍事独裁、一党独裁ではない。もっとソフトな独裁で、選挙もあるし、一見言論の自由も保証されている。国会でも少数の議席を持つことができる。だけど、いくら審議しても「決めるときは決める」と言われる。

 選挙を何度やってもまた与党が勝つ。国民が支持する「ソフトな独裁」。世界では結構そういう国が多い。ロシアとかシンガポールとか。日本もそういう国に近づいてきたのか。「民主か独裁か」、問われるのは国民自身である。
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