2017年度の通常国会は事実上の閉会となり、政府側は「もりそば」「かけそば」を「手打ちそば」にしたいということのようだ。だけど、この二つの「スキャンダル」は非常に奥が深いと思うので、これからも考えたいと思う。日本の社会と文化のあり方をよく表しているのではないかと思うのだ。
加計学園問題に関しては、高村副総裁が「加計学園の問題は岩盤規制に政治主導で穴を開けた立派な決定だというのが本質だ。しっかり説明し、野党の一部が言い張るゲスの勘ぐりを払拭(ふっしょく)してほしい」と16日に語っている。もしそれが本当なんだったら、最初から内閣府の文書をどんどん公開すればいいのに。文科省の文書を「怪文書」などと言い放って、もう調査しないと言い続けてきた。それは何故なのか? やっぱり何か怪しいことがあるんじゃないか。
そう思うのが普通の感性だろう。違うだろうか?少なくとも、「怪文書」と言い続けた菅官房長官の信用性は地に堕ちたというべきだ。第2次、第3次安倍政権で、連続して官房長官を続ける記録を更新している菅氏だが、もう交代の時期ではないか。僕なんか、前々から「菅語」が嫌いだから、「何の問題もないと思いますよ」と言うと「問題あるな」、「それ以上でも以下でもない」と言うと「それ以上だな」と思ってしまう。都議選後にあると思われる夏の内閣改造で交代させた方がいい。
ところで、加計学園問題は二つの段階に分けられる。一つは「獣医学部の新設を認めるべきかどうか」の問題。もう一つは「新設するとして、どこに作るべきか」の問題。高村氏の言う「岩盤規制」とは、長いこと獣医学部の新設を認めて来なかったことを指す。その規制を撤廃するべきだと考えたとしても、別に岡山の加計学園が海を渡って愛媛県の今治市で作らなくてもいいだろう。だから高村副総裁の「ゲスの勘ぐり」発言は説明になっていないのである。
なんでも京都産業大学が京都府綾部市に新設するという計画もあったという。別にどっちが作ってもいいじゃないか。両者を比べて加計学園の方がいい計画だから選ばれたのではない。「広域的に獣医学部がない」という条件が作られたから、京都側は引いてしまった。大阪に別の獣医学部があるから無理だと悟ったわけである。応募が一つしかないから加計学園になった。それで「国家戦略」として考えた時に、どっちがよりよい計画なのか比較して考察するという機会は失われた。
さて、話を第一の問題に戻したい。「獣医学部の新設を認めるべきか」という話である。調べてみると、獣医系大学は全国で16大学あり、確かに東日本の方が多い。少ないから全部書いておくと、北海道に北大、帯広畜産大、酪農学園大、青森に北里大、次いで岩手大、東京に東大、東京農工大、日大、日本獣医生命科学大、神奈川に麻布大、後は岐阜大、大阪府立大、鳥取大、山口大、宮崎大、鹿児島大の16大学である。(下線が私立大学で、5つある。)
中国地方は鳥取と山口があるから岡山には無理なんだろう。畜産の盛んな九州の宮崎、鹿児島にもある。四国にはないけど、元々の人口が少ないし、畜産が特に盛んというわけでもないから、獣医学部がなかったというだけの話だと思う。愛媛県の加戸守行前知事(元文部官僚)は、産経新聞に「四国になくて今まで困った。長年の悲願だ」というようなことを書いているけど、鳥インフルエンザやBSE対策などが常時求められるわけでもないだろう。困った時もあるだろうけど、愛媛県に新設しても、卒業生を愛媛では引き受けられない。全国最多の160人定員だそうだから。
そう、何でも全国の獣医学系大学で一番多数の人数を募集するというのだ。全国すべてで千人ぐらいしかいない獣医大学卒業生を一挙に1割も増やしてしまう。これじゃ、獣医師会や文科省から疑問があがるのも当然だと思う。法学部とか経済学部なんかの、卒業したら普通の民間企業で働く学生が主な学部と違う。獣医学部を出たら、獣医師になるしかない。獣医師の必要数が突然そんなに増えるわけがない。そう言われてみれば確かにその通りだろうと思う。
でも町中に昔より動物病院を見かける気がする。昔は犬や猫なんか、それほど病院に連れて行かなかったと思うけど、ペットは家族同様に大切にされるようになった。だから、動物病院なんかはこれからもっと増えるのかなあなどとも思ったけど、実はペットは減っているんだという。本当かなと思って調べてみると、確かにそのとおりである。厚生労働省とペットフード協会の統計があるけど、どっちでも確かに減っている。厚労省の統計を見ると、犬の登録数、予防注射数を見ても、2009年(平成21年)を最高に減り続けている。(2017年段階で注射数468万頭、最高時511万頭。)
まあ、それもそうだろうと思う。ペットを飼いたくても飼えないようなマンション、アパートばかり増えている。子どもは少なくなる一方だから、子どもが犬や猫を飼いたいと親にせがむケースも減る。高齢者はペットが癒しになるとしても、犬は散歩が大変だし、餌代もかかる。じゃあ、金魚や熱帯魚を飼おうという人はいるだろうけど、さすがに動物病院には行かないだろう。ということで、今後高齢化がさらに進行するにつれて、ペット数もどんどん減少することが予測できる。
ということで、政府が切り札のように出してくるのが、「ライフサイエンス」である。「先端ライフサイエンス研究や地域における感染症対策など、新たなニーズに対応する 獣医学部の設置・ 人獣共通感染症」というのが、国家戦略特区で獣医学部を作っちゃおうという時の最大の根拠となっている。では「ライフサイエンス」とは何だろう。検索してみると、「遺伝子の研究などをはじめとした、生命そのものを科学的観点から捉える学問のこと。」だそうである。
遺伝子分野の研究は確かにものすごい発展をとげている。日本が国家的に研究を推進しようというのも理解できる。それはそれでいいんだけど、じゃあ、なぜそれが獣医学部新設につながるんだろう。それは「動物実験を扱う有資格者が必要である」ということなんだろうと思う。
さて、長々と書いてきたけど、加計学園問題であまり触れられてない疑問点。今後もどんどん動物実験をしていくのか、ニッポンは? 世界的には「動物の権利」という概念もあって、動物実験はできるだけ控えるような研究になっていくのではないか。動物実験を増やす、だから獣医師がいる、だから獣医学部を新設するという論理展開でいいのか。いや、人間の権利(人権)さえないがしろにするような人々が、動物の権利などということを考えるはずもない。だから言っても聞き流されるだけのリクツだろうけど、僕はそういうことも書いておきたいと思ったわけである。
加計学園問題に関しては、高村副総裁が「加計学園の問題は岩盤規制に政治主導で穴を開けた立派な決定だというのが本質だ。しっかり説明し、野党の一部が言い張るゲスの勘ぐりを払拭(ふっしょく)してほしい」と16日に語っている。もしそれが本当なんだったら、最初から内閣府の文書をどんどん公開すればいいのに。文科省の文書を「怪文書」などと言い放って、もう調査しないと言い続けてきた。それは何故なのか? やっぱり何か怪しいことがあるんじゃないか。
そう思うのが普通の感性だろう。違うだろうか?少なくとも、「怪文書」と言い続けた菅官房長官の信用性は地に堕ちたというべきだ。第2次、第3次安倍政権で、連続して官房長官を続ける記録を更新している菅氏だが、もう交代の時期ではないか。僕なんか、前々から「菅語」が嫌いだから、「何の問題もないと思いますよ」と言うと「問題あるな」、「それ以上でも以下でもない」と言うと「それ以上だな」と思ってしまう。都議選後にあると思われる夏の内閣改造で交代させた方がいい。
ところで、加計学園問題は二つの段階に分けられる。一つは「獣医学部の新設を認めるべきかどうか」の問題。もう一つは「新設するとして、どこに作るべきか」の問題。高村氏の言う「岩盤規制」とは、長いこと獣医学部の新設を認めて来なかったことを指す。その規制を撤廃するべきだと考えたとしても、別に岡山の加計学園が海を渡って愛媛県の今治市で作らなくてもいいだろう。だから高村副総裁の「ゲスの勘ぐり」発言は説明になっていないのである。
なんでも京都産業大学が京都府綾部市に新設するという計画もあったという。別にどっちが作ってもいいじゃないか。両者を比べて加計学園の方がいい計画だから選ばれたのではない。「広域的に獣医学部がない」という条件が作られたから、京都側は引いてしまった。大阪に別の獣医学部があるから無理だと悟ったわけである。応募が一つしかないから加計学園になった。それで「国家戦略」として考えた時に、どっちがよりよい計画なのか比較して考察するという機会は失われた。
さて、話を第一の問題に戻したい。「獣医学部の新設を認めるべきか」という話である。調べてみると、獣医系大学は全国で16大学あり、確かに東日本の方が多い。少ないから全部書いておくと、北海道に北大、帯広畜産大、酪農学園大、青森に北里大、次いで岩手大、東京に東大、東京農工大、日大、日本獣医生命科学大、神奈川に麻布大、後は岐阜大、大阪府立大、鳥取大、山口大、宮崎大、鹿児島大の16大学である。(下線が私立大学で、5つある。)
中国地方は鳥取と山口があるから岡山には無理なんだろう。畜産の盛んな九州の宮崎、鹿児島にもある。四国にはないけど、元々の人口が少ないし、畜産が特に盛んというわけでもないから、獣医学部がなかったというだけの話だと思う。愛媛県の加戸守行前知事(元文部官僚)は、産経新聞に「四国になくて今まで困った。長年の悲願だ」というようなことを書いているけど、鳥インフルエンザやBSE対策などが常時求められるわけでもないだろう。困った時もあるだろうけど、愛媛県に新設しても、卒業生を愛媛では引き受けられない。全国最多の160人定員だそうだから。
そう、何でも全国の獣医学系大学で一番多数の人数を募集するというのだ。全国すべてで千人ぐらいしかいない獣医大学卒業生を一挙に1割も増やしてしまう。これじゃ、獣医師会や文科省から疑問があがるのも当然だと思う。法学部とか経済学部なんかの、卒業したら普通の民間企業で働く学生が主な学部と違う。獣医学部を出たら、獣医師になるしかない。獣医師の必要数が突然そんなに増えるわけがない。そう言われてみれば確かにその通りだろうと思う。
でも町中に昔より動物病院を見かける気がする。昔は犬や猫なんか、それほど病院に連れて行かなかったと思うけど、ペットは家族同様に大切にされるようになった。だから、動物病院なんかはこれからもっと増えるのかなあなどとも思ったけど、実はペットは減っているんだという。本当かなと思って調べてみると、確かにそのとおりである。厚生労働省とペットフード協会の統計があるけど、どっちでも確かに減っている。厚労省の統計を見ると、犬の登録数、予防注射数を見ても、2009年(平成21年)を最高に減り続けている。(2017年段階で注射数468万頭、最高時511万頭。)
まあ、それもそうだろうと思う。ペットを飼いたくても飼えないようなマンション、アパートばかり増えている。子どもは少なくなる一方だから、子どもが犬や猫を飼いたいと親にせがむケースも減る。高齢者はペットが癒しになるとしても、犬は散歩が大変だし、餌代もかかる。じゃあ、金魚や熱帯魚を飼おうという人はいるだろうけど、さすがに動物病院には行かないだろう。ということで、今後高齢化がさらに進行するにつれて、ペット数もどんどん減少することが予測できる。
ということで、政府が切り札のように出してくるのが、「ライフサイエンス」である。「先端ライフサイエンス研究や地域における感染症対策など、新たなニーズに対応する 獣医学部の設置・ 人獣共通感染症」というのが、国家戦略特区で獣医学部を作っちゃおうという時の最大の根拠となっている。では「ライフサイエンス」とは何だろう。検索してみると、「遺伝子の研究などをはじめとした、生命そのものを科学的観点から捉える学問のこと。」だそうである。
遺伝子分野の研究は確かにものすごい発展をとげている。日本が国家的に研究を推進しようというのも理解できる。それはそれでいいんだけど、じゃあ、なぜそれが獣医学部新設につながるんだろう。それは「動物実験を扱う有資格者が必要である」ということなんだろうと思う。
さて、長々と書いてきたけど、加計学園問題であまり触れられてない疑問点。今後もどんどん動物実験をしていくのか、ニッポンは? 世界的には「動物の権利」という概念もあって、動物実験はできるだけ控えるような研究になっていくのではないか。動物実験を増やす、だから獣医師がいる、だから獣医学部を新設するという論理展開でいいのか。いや、人間の権利(人権)さえないがしろにするような人々が、動物の権利などということを考えるはずもない。だから言っても聞き流されるだけのリクツだろうけど、僕はそういうことも書いておきたいと思ったわけである。
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