尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

フジコ・ヘミング、星野富弘、桂由美、P・オースター他ー2024年4月の訃報①

2024年05月06日 19時25分30秒 | 追悼
 2024年4月の訃報特集。1回で終わるかと思ったら、最後になって重要な訃報が相次いだ。タイトルに挙げた4人はいずれも5月になって報道された人である。1回目は文化関係者をまとめて。まずピアニストのフジコ・ヘミングが4月21日に亡くなった。92歳。そのドラマティックな人生は大きく報道された。父親はスウェーデン人、母親が日本人で、1931年にベルリンで生まれた。5歳で日本に移り、戦時中は岡山に疎開、その後青山学院高校、東京芸大を卒業した。若き優秀なピアニストだったわけだが、その後留学しようとしたら無国籍だったことが判明した。難民として西ドイツに留学し才能を認められたが、風邪をこじらせて左耳の聴力を失った。それ以前に右耳の聴力も失っていたのである。その後はスウェーデンでピアノ教師をしていた。
(フジコ・ヘミング)
 母親の死後、1995年に帰国。1999年2月にNHKで「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映され、多くの人がこの人の存在を知ったのである。デビューCD『奇蹟のカンパネラ』(パガニーニのヴァイオリン協奏曲のロンドをリストが編曲したピアノ曲)は200万枚の大ヒットとなった。若い人ならともかく、聴力を失いながら(その後左耳は40%回復)高齢になって大ブレイクしたのは印象的である。最近はあまりクラシックのコンサートに行かない僕も上野の文化会館に聞きに行ったものである。まあ何を聞いたか忘れてしまったが。2023年11月に転倒するまで、世界各地でコンサートをしていた。晩年に円熟した人だった。
(CD『奇蹟のカンパネラ』) 
 口にくわえた筆で絵や詩を創作した星野富弘が28日に死去、78歳。もともとは群馬県の中学で体育教員をしていた。しかし、採用初年度の1970年に体操部の指導中に転落事故にあい、脊髄損傷で首から下の身体機能を失った。1972年に口で絵筆を動かして表現活動を始め、74年にはキリスト教に入信した。80年代に「花の詩画展」を全国各地で開催して大きな感動を与えた。評判を呼んで、91年には東村(現みどり市)立富弘美術館が開館した。草木湖畔に立つ美術館には多くの人が訪れている。足尾に通じるわたらせ鉄道沿いの地区で、僕も行ったことがある。人生というものはどこで道が分かれているか、計り知れないということをこの人の人生は教えてくれる。素直に感動した美術館である。
 (星野富弘)
 ファッションデザイナーの桂由美が26日死去、94歳。デザイナーといっても、この人はブライダルデザインに特化していた。洋装のウェディングドレスを日本に定着させた人である。一時は文学座研究生になるなど演劇を目指していたが、後にファッションを仕事に選び、誰もやっていなかったブライダルデザインを選択した。戦時中に育ち、戦後の憧れだったウェディングドレスを「一ヶ月の給料で買える」ようにしたいと思ったのである。ヨハネ・パウロ2世に博多織の祭服を献上したこともあった。政治的には保守派で「日本会議」のメンバーだったという。死去数日前に「徹子の部屋」収録を行っていた。
(桂由美)
 アメリカの重要な作家二人が亡くなった。まずポール・オースターが30日に死去、77歳。日本では柴田元幸訳で新潮文庫に収録されている。『孤独の発明』やニューヨーク3部作(『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』)などは、ある種前衛ミステリー風で取っつきにくい印象がある。しかし、そこで終わらせてはもったいない。『ムーン・パレス』(1989)は最高に心打つ青春小説だし、『偶然の音楽』『リヴァイアサン』も面白かった。もっともその後は買ってあるけど読んでない。
(ポール・オースター)
 映画にも深い関心を持ち、自身の短編を基にした『スモーク』(1995)の脚本を担当、また『ルル・オン・ザ・ブリッジ』(1998)では監督を務めた。ボール・ベンジャミン名義で発表されたミステリー『スクイズ・プレー』(新潮文庫)は野球小説としても秀逸。都市生活者の孤独や憂愁を描き、日本でも人気が高い作家だった。『スモーク』は近年修復版が公開され、新宿東口映画祭で上映がある。タバコをめぐる綺譚だが、本人は肺がんで亡くなったのである。
(映画『スモーク』)
 アメリカの作家、ジョン・バースが2日死去、93歳。実験的な作風と物語を融合させた『酔いどれ草の仲買人』(1979)や『旅路の果て』『やぎ少年ジャイルズ』『キマイラ』などが代表作とされる。アメリカのポストモダン文学の代表者と言われるが、短編しか読んでないのでよく判らない。同じ日にフランスの女性作家マリーズ・コンデが死去した。90歳。カリブ系黒人だが、パリに学んでソルボンヌ大学を出た。ギニアの俳優と結婚してアフリカで活動したが、70年にフランスに戻り創作活動を本格化させた。世界的に高く評価されていて、『生命の樹 あるカリブの家系の物語』『心は泣いたり笑ったり マリーズ・コンデの少女時代』など邦訳もある。2018年にスウェーデンの市民団体が設立したニューアカデミー文学賞を受賞した。
(ジョン・バース)(マリーズ・コンデ)
 「ぼくら」シリーズで知られる作家、宗田理(そうだ・おさむ)が8日死去、95歳。この人を有名にした『ぼくらの七日間戦争』(1985)は、昔中学校の文化祭で演劇にしたことがある。その思い出が鮮烈なんだけど、今回Wikipediaで知ったそれ以前の「編集者時代」が凄かった。日芸映画学科に進み若い頃から脚本の助手をしたが、仕事が減って高利貸し森脇将光の「森脇文庫」の編集者となった。今じゃ知らない人が多いと思うけど、造船疑獄の端緒となった森脇メモは宗田が書いたというのである。その後PR会社を設立し自動車業界の裏情報を梶山季之、清水一行らに提供した。そして水産業界の裏を知って書いた『未知領域』が直木賞候補となって作家専業となった。「ぼくら」シリーズは中学生に始まり、高校生編、青年編、教師編と延々と何十冊も書かれ、累計発行部数2千万部と言われる。全然知らない前半生があって、それは忘れられている。
(宗田理)
 フランス文学者、文芸評論家、詩人の粟津則雄が19日死去、96歳。特に詩人ランボーの研究や翻訳で知られる。小林秀雄の影響を受け、詩や文学に止まらず美術や音楽などヨーロッパ文化について幅広く評論活動を展開した。正岡子規、萩原朔太郎など日本の詩人に関する本も多い。特に草野心平と交友が深く、草野心平記念文学館長も務めた。翻訳ではゴッホ書簡全集、ランボー全詩集、モーリス・ブランショなどがある。法政大学名誉教授。芸術院会員。
(粟津則雄)

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