あまりに暑くて出かけたくない。国会情勢も緊迫し日比谷野音の大集会もあるんだけど、今日はフィルムセンターで李香蘭(山口淑子)の2本の映画を見た。「逝ける映画人を偲んで」という特集である。山口淑子としては、黒澤明「醜聞」が選ばれている。今回は戦時中の李香蘭時代の映画。こちらの上映は珍しい。
3時から「萬世流芳」という1942年の映画を見た。製作したのは「中華聯合製片公司=中華電影=満映」で、形の上では「中国映画」として作られた「反英映画」である。アヘン戦争、南京条約(香港割譲、上海等の開市などを決めた「国辱」条約)の100年記念である。日本でも、1943年にマキノ雅弘(当時は正博)監督による「阿片戦争」という作品が作られている。林則徐が市川猿之助(2代目)で、原節子、高峰秀子などが出ている。全部日本人である。その後、香港返還記念で1997年に謝晋監督による映画「阿片戦争」も作られた。これがまあ決定版だろう。
(萬世流芳)
151分の「萬世流芳」は「いつの世までも芳しい香りが流れる」という原題からわかる通り、アヘン戦争というよりも林則徐の人生行路をフィクションを交えて語っている。はっきり言って、林則徐の描き方は、紋切型で面白くない。初めから立派な人物で、アヘンで清国が滅び行くのを憂えている。勉強熱心で順調に出世し、アヘン撲滅にまい進する。何の葛藤もない上に、演技も型にはまったものである。そこに2人の女性が絡むが、面倒だから省略する。李香蘭追悼なのに、いつ出てくるんだと思う頃になって、歌姫として登場する。アヘン窟に飴売りとして入り込み、好評を呼ぶ。英国人の経営者から人気を認められるが、実はアヘン撲滅の歌を歌っているのである。その「売糖歌」は大ヒットしたという。実際、李香蘭が出てくる場面になると、画面ががぜん生き生きとしてくる。実に魅力的である。
その後の細かいストーリイは略する。英国人役はステレオタイプすぎて、今見ると可笑しいぐらい。だからベースは国策映画としての「反英映画」なんだけど、いずれ中国は立ち上がる、いつまでもアヘンに苦しんではいないと言ったセリフもある。見ていた側は容易に「反日映画」に読み替えて見ることができる。そういう意味で大ヒットしたと言われることが多い。だけど、現代の観点からは、何にしてもあまりにも通俗的で平板な人物描写が退屈な大作であるのは否定できない。李香蘭のシーンだけが魅力的なのである。それは歌手としての魅力で、歌う女優だったということがよく判る。
夜に見た「私の鶯」は1944年に、東宝・満映の共同で製作されたものの、日本では公開されなかった幻の映画である。30年ぐらい前にフィルムが発見されたというが、画面が実にキレイでデジタル修復されたのかと思うほど。クレジットは新しく付けられているが、ほぼロシア語のセリフの翻訳字幕は旧仮名遣いなのでいつ付けられたのか。製作過程からして、謎の多い幻の映画である。大佛次郎原作、島津保次郎監督、服部良一音楽という豪華な布陣。島津保次郎は戦前の松竹、東宝の名監督で、1934年に作られた小市民映画の代表作「隣の八重ちゃん」は僕の大好きな映画だ。(3回見た。)
(私の鶯)
明らかにハルビンにロケした映画で、それだけでも貴重。日本人の娘がロシア人の声楽家に育てられる話である。日本人一家とロシア歌劇団が軍閥の争いを逃れる時に銃撃され、夫は妻・娘とはぐれ、ずっと探し求めるが見つからない。上海、天津、北京と探し回るが、3年経っても消息がつかめず、その日本人は今後のことを友人に頼んで自分は南洋に行く。そして15年。ロシア人声楽家が美しい養女と暮らしている。満州事変が映画の中で起きているが、その辺の時間経過はよく判らない。革命を逃れた白系ロシア人の物語だとばかり思って見ていたら、革命前からハルビンにいたわけである。その声楽家が育てていた娘こそ、日本人の父とはぐれた娘であり、李香蘭が演じることは言うまでもない。李香蘭が歌える少女に育つ時間が、ロシア革命と満州事変の間では近すぎるのだろう。
映画の中ではセリフの9割以上がロシア語で、李香蘭もロシア語で歌う。満映であれ、日本で出た東宝の「支那の夜」などの映画であれ、戦後の日本映画でもアメリカ映画でも、常に複雑で時代を背負った役柄を李香蘭=山口淑子=シャーリー・ヤマグチは演じ続けてきた。その数奇な女優人生の中でも、この映画のようなロシア語を話し歌う映画は、極めつけの珍品だと思う。だが、中国語で歌うよりも、純粋に歌を楽しめるかもしれない。歌唱力も美貌も絶頂期にあったことは明白である。
戦時中に作られながら、歌それもオペラ(「スペードの女王」や「ファウスト」のシーンがある)が出てくるという、ちょっと時代離れした映画である。世の中にはいろんな映画がある。当時の観客は誰も見られなかった映画を、こうして時代を経て見ることができる。この映画の中に、山口淑子の最高の瞬間の一つがあると思う。まあ、映画としては大したことはないが。(なお、満州事変下のハルピンのようすが再現されている。日本軍が入城するまでは、在留邦人によって自警団が組織された描写がある。)
ところで、徳光壽夫という全く知らない監督の追悼として、1940年の「五作ぢいさん」という短編が併映されている。農村のおじいさんが貧しいながら税金を納めようとするという、宣伝映画。何じゃこれという映画である。
3時から「萬世流芳」という1942年の映画を見た。製作したのは「中華聯合製片公司=中華電影=満映」で、形の上では「中国映画」として作られた「反英映画」である。アヘン戦争、南京条約(香港割譲、上海等の開市などを決めた「国辱」条約)の100年記念である。日本でも、1943年にマキノ雅弘(当時は正博)監督による「阿片戦争」という作品が作られている。林則徐が市川猿之助(2代目)で、原節子、高峰秀子などが出ている。全部日本人である。その後、香港返還記念で1997年に謝晋監督による映画「阿片戦争」も作られた。これがまあ決定版だろう。

151分の「萬世流芳」は「いつの世までも芳しい香りが流れる」という原題からわかる通り、アヘン戦争というよりも林則徐の人生行路をフィクションを交えて語っている。はっきり言って、林則徐の描き方は、紋切型で面白くない。初めから立派な人物で、アヘンで清国が滅び行くのを憂えている。勉強熱心で順調に出世し、アヘン撲滅にまい進する。何の葛藤もない上に、演技も型にはまったものである。そこに2人の女性が絡むが、面倒だから省略する。李香蘭追悼なのに、いつ出てくるんだと思う頃になって、歌姫として登場する。アヘン窟に飴売りとして入り込み、好評を呼ぶ。英国人の経営者から人気を認められるが、実はアヘン撲滅の歌を歌っているのである。その「売糖歌」は大ヒットしたという。実際、李香蘭が出てくる場面になると、画面ががぜん生き生きとしてくる。実に魅力的である。
その後の細かいストーリイは略する。英国人役はステレオタイプすぎて、今見ると可笑しいぐらい。だからベースは国策映画としての「反英映画」なんだけど、いずれ中国は立ち上がる、いつまでもアヘンに苦しんではいないと言ったセリフもある。見ていた側は容易に「反日映画」に読み替えて見ることができる。そういう意味で大ヒットしたと言われることが多い。だけど、現代の観点からは、何にしてもあまりにも通俗的で平板な人物描写が退屈な大作であるのは否定できない。李香蘭のシーンだけが魅力的なのである。それは歌手としての魅力で、歌う女優だったということがよく判る。
夜に見た「私の鶯」は1944年に、東宝・満映の共同で製作されたものの、日本では公開されなかった幻の映画である。30年ぐらい前にフィルムが発見されたというが、画面が実にキレイでデジタル修復されたのかと思うほど。クレジットは新しく付けられているが、ほぼロシア語のセリフの翻訳字幕は旧仮名遣いなのでいつ付けられたのか。製作過程からして、謎の多い幻の映画である。大佛次郎原作、島津保次郎監督、服部良一音楽という豪華な布陣。島津保次郎は戦前の松竹、東宝の名監督で、1934年に作られた小市民映画の代表作「隣の八重ちゃん」は僕の大好きな映画だ。(3回見た。)

明らかにハルビンにロケした映画で、それだけでも貴重。日本人の娘がロシア人の声楽家に育てられる話である。日本人一家とロシア歌劇団が軍閥の争いを逃れる時に銃撃され、夫は妻・娘とはぐれ、ずっと探し求めるが見つからない。上海、天津、北京と探し回るが、3年経っても消息がつかめず、その日本人は今後のことを友人に頼んで自分は南洋に行く。そして15年。ロシア人声楽家が美しい養女と暮らしている。満州事変が映画の中で起きているが、その辺の時間経過はよく判らない。革命を逃れた白系ロシア人の物語だとばかり思って見ていたら、革命前からハルビンにいたわけである。その声楽家が育てていた娘こそ、日本人の父とはぐれた娘であり、李香蘭が演じることは言うまでもない。李香蘭が歌える少女に育つ時間が、ロシア革命と満州事変の間では近すぎるのだろう。
映画の中ではセリフの9割以上がロシア語で、李香蘭もロシア語で歌う。満映であれ、日本で出た東宝の「支那の夜」などの映画であれ、戦後の日本映画でもアメリカ映画でも、常に複雑で時代を背負った役柄を李香蘭=山口淑子=シャーリー・ヤマグチは演じ続けてきた。その数奇な女優人生の中でも、この映画のようなロシア語を話し歌う映画は、極めつけの珍品だと思う。だが、中国語で歌うよりも、純粋に歌を楽しめるかもしれない。歌唱力も美貌も絶頂期にあったことは明白である。
戦時中に作られながら、歌それもオペラ(「スペードの女王」や「ファウスト」のシーンがある)が出てくるという、ちょっと時代離れした映画である。世の中にはいろんな映画がある。当時の観客は誰も見られなかった映画を、こうして時代を経て見ることができる。この映画の中に、山口淑子の最高の瞬間の一つがあると思う。まあ、映画としては大したことはないが。(なお、満州事変下のハルピンのようすが再現されている。日本軍が入城するまでは、在留邦人によって自警団が組織された描写がある。)
ところで、徳光壽夫という全く知らない監督の追悼として、1940年の「五作ぢいさん」という短編が併映されている。農村のおじいさんが貧しいながら税金を納めようとするという、宣伝映画。何じゃこれという映画である。
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