尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

本田路津子「MY PORTRAIT」ーレアCDの話③

2018年08月22日 22時26分23秒 | アート
 本田路津子(ほんだ・るつこ、1949~)が「秋でもないのに」でデビューしたのは、調べてみると1970年9月のことだった。僕は本田路津子のベストアルバムを持っているけど、そこには「天使の歌声」「オリジナル・カレッジ・フォークのすべて」と書かれている。もう知らない人が多いかもしれないが、僕はその澄み渡る歌声にすぐに魅せられた。憂いを秘めた歌詞も好きだった。

 「秋でもないのに」って冒頭に明示されているんだから、秋じゃないに決まってる。でも「淋しくて黙っていると」「沈む夕日に魅せられて」という歌詞は何となく秋っぽい。つい秋になると口ずさんでしまうんだけど、あれ「秋でもないのに」って歌詞だったと気付く。いつの季節の歌なのかなあ? 若いころに聞いた曲は何となく体になじんでいて、時々知らずに口ずさんでいる。この前はハミングしてた曲が何だったっけと考え込んでしまって、数分経って浅田美代子の「赤い風船」だと気づいたときは我ながらビックリした。全然ファンじゃなかったのに、そんなこともあるんだな。

 本田路津子はその後も「風がはこぶもの」とか「一人の手」など素晴らしい曲を歌った。特に「風がはこぶもの」は山上路夫の傑作だ。「翼をください」も「瀬戸の花嫁」も…、70年代のヒット曲をたくさん作った山上だけど、この曲も忘れないで欲しい。そしてNHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「藍より青く」(山田太一作)のテーマ曲「耳をすましてごらん」「藍より青く」を歌った。ウィキペディアで見ると、71年(一人の手)と72年(耳をすましてごらん)と2回続けて紅白歌合戦にも出場した。

 そんな本田路津子は、いまどうしているのか? そもそも「路津子」(るつこ)という名前が珍しいが、これは両親がクリスチャンで旧約の「ルツ記」から取ったという。そして桜美林大学聖歌隊で活躍し、「カレッジフォーク」としてプロ活動をした。カレッジフォークというのは、青山学院の森山良子ら大学生でフォークソングを歌った人のこと。アメリカのジョーン・バエズの影響が強かった。そして、本田路津子は75年に結婚して歌手活動を引退して渡米した。

 ウィキペディアでも、それまでのレコードしか書かれていないが、本田路津子はその後も活動している。それは教会を中心にした讃美歌、ゴスペルの歌手としてである。もともと特に信者じゃなかったが、結婚渡米を機にクリスチャンとしての生き方を選択したらしい。讃美歌などのCDも何枚もある。僕はその中の一つ、「MY PORTRAIT」を持ってる。「秋でもないのに」や「風がはこぶもの」も最初の方に入ってるけど、後半は讃美歌。歌声が素晴らしくて、僕のように信者じゃなくても心が清められる感じがする。銀座教文館の上にあるキリスト教用品店「エレンカイム」で見つけたんだけど、エレンカイムのウェブサイトからも買える。まだまだ忘れられていないのである。
 
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1 コメント

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出ていなかったかな (さすらい日乗)
2018-08-25 08:21:30
「ペンテコステ日本大会」と言うのがパシフィコ横浜であり、私はいたので、大会を見ましたが、そこに出ていなかったのは渡米中だったのかな。それは、小坂忠、久米大作と久保田早紀夫妻、岩淵まことなどキリスト教シンガーの総出演でしたから。

私は、宝塚は別として、本田路津子や歌声運動のようなきれいな歌い方は、中学生の頃から苦手なので、あのタイプはだめです。
宝塚歌劇には関西的なユーモアと派手さがあって面白いのです。
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