尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『頬に哀しみを刻め』と『黒き荒野の果て』ーS・A・コスビーの犯罪小説①

2024年08月31日 22時05分07秒 | 〃 (ミステリー)
 最近の翻訳ミステリーベストテンでは、イギリスの作家アンソニー・ホロヴィッツが毎年のように上位になる。しかし、この2年ほど「このミステリーがすごい!」のベストワンは違う作家で、ホロヴィッツは2位止まりだった。2024年版(2022年11月から2023年10月に刊行された本が対象)では、アメリカのS・A・コスビーの『頬に哀しみを刻め』が1位だった。誰だと思ったが、その前年にも『黒き荒野の果て』が6位に入選していた。それが初翻訳で、今年になって『すべての罪は血を流す』も出た。いずれも加賀山卓朗訳でハーパーBOOKSから出ている。小さいミステリー文庫なので知らない人も多いと思うが、この作家はすごい。

 アメリカの犯罪小説(クライム・ノヴェル)は面白いけど、お国柄を反映して銃弾が飛び交う暴力描写が凄まじい。そういう世界に耐えられない人もいるだろうから全員におすすめはしないが、この作家の本はチェックしておいてもよい。S・A・コスビー(S・A・Cosby、1973~)はアメリカのミステリー作家には少ない黒人作家なのである。しかもヴァージニア州が舞台になっていて、白人至上主義的な風土が描かれる。大学で文学を専攻しながら、卒業後は警備員、建設作業員、葬儀社のアシスタントなどをしていて、2019年にデビューした。デビュー作は未訳だが、第2作が『黒き荒野の果て』、第3作が『頬に哀しみを刻め』である。
(S・A・コスビー)
 『黒き荒野の果て』も面白かったが、『頬に哀しみを刻め』(Razorblade Tears)はミステリーとしての出来映えも見事だが、それ以上に作品の設定に驚いた。ヴァージニア州で息子を殺された男が二人。警察がなかなか犯人にたどり着けないので、何とか自分たちで犯人を追いつめたいと思った。二人とも今は足を洗っているが元囚人である。そして一人は今は庭園管理会社を経営している黒人男性、もう一人はトレーラーハウスに住んでるアル中の貧乏白人。二人は息子たちの葬儀で初めて出会った。彼らの息子たちは人種を越えて「同性婚」をしたのだが、その生き方を認められず、二人とも結婚式には出なかったのだ。

 二人とも子どもを失って初めて自分たちの間違いに気付いたのである。やっぱり子どもを愛していたのに、息子たちが愛する相手を見つけたときに認めてあげることが出来なかった。白人であれ、黒人であれ、「親の教育の間違い」で息子がゲイになったという周りの目に立ち向かえなかったのだ。だけど、今になって思うと生きてさえいてくれれば、それが一番だったのに。二人は文化の違い、境遇の違い、人種の違いで何度も衝突する。保守的なアメリカ南部で、黒人であること、貧乏白人であること、同性愛者であることのいずれが一番大変なんだろうか。それらは比べる問題ではないことを彼らは今ようやく学んでいく。

 もちろん、それは単純なヘイトクライムではなかった。明らかにプロの犯罪だったし、裏には隠された事情があるらしい。警察には出来ない元犯罪者のやり口で、二人は少しずつ真相に迫っていく。だがその結果多くの大切なものも失うのである。この二人の、普通だったら絶対に出会わないタイプの男たちの組み合わせが良い。ただ息子たちの親というだけの関係だったのに、次第に友情めいたものが芽生えてくる。どうしようもない性差別者で、息子の苦しみに背を向けて生きた二人が、最後の最後に息子に詫びたいと心底後悔する。暴力描写も凄まじいが、やはり親の心情こそが読みどころだと思う。
(ヴァージニア州)
 地図を見れば、何でここがアメリカの「南部」なのか理解出来ない。しかし、南部とは南北戦争時に「南部連合」(アメリカ連合国)に参加した州を意味することが多い。当初は南部連合の首都はヴァージニア州都のリッチモンドに置かれたし、総司令官のリー将軍もヴァージニア州の出身だった。(一方で連邦残留を選択した西部地方が「ウェストヴァージニア州」として離脱した。)小説を読むと、今も街に南部の旗を飾ったりしている描写が出て来る。未だに人種対立も厳しいが、さらに性的マイノリティへの差別も激しいことがわかる。そんな地域で人種を越えた同性婚をしたという二人という設定はものすごく深い意味を持っている。

 『黒き荒野の果て』(Blacktop Wasteland)も出来が良い。こちらは映画化権が売れてるようだが、とても面白い映画になるだろう。何しろものすごい「走り屋」が主人公なのである。犯罪組織の手伝いで運転手をしていた伝説的なドライバーが、足を洗って自動車整備工場を開く。しかし、経営不振で追い込まれ、これが最後と決めて宝石店強盗を企む知り合いを手助けする。そしてそれは成功したのだが、実はその店は絶対に手を出してはいけない店だったのだ。ギャング御用達のマネーロンダリング用の店だったのである。激怒したギャングが追ってくるわけだが、裏切りに次ぐ裏切り、驚くべきカーアクション、知恵比べが続くノンストップアクション小説。ただ面白いと言うだけならこっちかも。
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