「死刑囚の恩赦問題」一回目では、天皇退位、皇太子の即位が予定されている以上、2019年には必ず一定規模の恩赦が行われるに違いない。その機に際して、あまりにも長い間を死刑囚として処遇されてきた人には恩赦を検討するべきだという提起を書いた。大方の広い賛同は得にくい論題だとは思うけれど、さらに具体的に検討して書いてみたい。
まず最初に「恩赦」という制度について。日本では大規模な恩赦が実施されて来なかったため、なんとなく「行政権による司法権侵害」のように思う人がいるんじゃないかと思うが、それは違う。司法権は「裁判で事実を認定し、有罪者には量刑を決定する」という役割を持つ。だが、裁判で決まった刑罰を実際に執行する権限は「行政権」にある。それは刑務所や少年院などが法務省管轄の行政機関であることで判る。恩赦も憲法で内閣の権限と明記されている。
外国では(特に大統領制度の国)、幅広い恩赦が実施されている。アメリカではオバマ前大統領が、退任間近の時期にプエルトリコの独立運動家、オスカル・ロペス・ リベラの恩赦を決定した。もともとシカゴで人権派弁護士として頭角を現したオバマ前大統領は、在任中に非常に多くの恩赦令を出している。一方、トランプ大統領もアリゾナ州マリコパ郡のジョー・アルパイオ元保安官に恩赦を行っている。この人は裁判所の命令に反して差別的な不法難民取り締まりを行ったとして法廷侮辱罪で有罪になっていた。良し悪しは別にして大統領には恩赦の権限があるわけである。
日本でも「事実上の政治犯」はいっぱいいる。デモや座り込み、あるいは労働組合の団体交渉、街宣活動などで「微罪逮捕」されている人はたくさんいる。裁判では無罪を求めて活発な支援運動が行われたりするが、形式的に有罪を構成していると、裁判所も有罪判決を下すことが多い。(量刑では配慮する場合もあるが。)こういう場合、「恩赦による免訴」があっても良いと思う。裁判が社会を分断するよりも、行政権の判断で「裁判をやめてしまう」のもありなんじゃないか。
問題を「死刑囚の恩赦」にしぼりたい。1960年代末に「死刑囚の恩赦」が政治的に取り上げられたことがある。当時は帝銀事件の死刑囚・平沢貞通など何人かの死刑囚が無実ではないかと大きな問題となっていた。一度50年代に再審開始決定が出た(後に取り消された)免田栄さんもその一人である。また同情すべき事情があると思われた死刑囚もあった。それらの事件は占領下の裁判であり、また憲法や刑事訴訟法が変わって間もない時期だった。
そこで「占領下」ということに着目して、再審の要件を緩和してはどうかという「再審特例法案」が野党側から提出されたのである。提案者は社会党の神近市子議員(大正時代に恋愛のもつれから大杉栄を刺した日影茶屋事件の当事者)である。それに対し、法務省は死刑囚の再審に抵抗し、対象とされた7人の死刑囚には西郷吉之助法相が「恩赦を検討する」と国会で答弁したのである。(西郷は参議院議員で、西郷隆盛の長男寅太郎の三男。)しかし、帝銀事件の平沢の恩赦は最終段階で中央更生保護審査会で却下された。免田事件、財田川事件は再審を求めて恩赦を申請せず、80年代になってようやく再審で無罪となった。
結局、この時に恩赦で無期懲役に減刑されたのは、今は忘れられている二つの事件の二人の死刑囚(一人は戦後初の女性死刑囚)とこれから詳しく書く福岡事件の一人だけだった。その事件は1947年という戦後の混乱時代に、中国人との間で起こったやみ物資をめぐる殺人事件である。旧日本軍の拳銃が使われるなど、いかにも戦後の混乱期という感じだ。その事件では7人が起訴されたが、「主犯」とされた西武雄は立ち会っただけで共謀していないと否認した。一方、実行犯の石井健二郎は拳銃発射を認めたが偶発事件と主張した。この二人には死刑判決が下された。当時は占領下で、中国は戦勝国だから裁判にバイアスがかかったという指摘もある。
冤罪を訴える西と面会していた教誨師の僧侶、古川泰龍は無実を確信し、全国的に支援運動を行った。(そのため古川は知られるようになり、連続殺人犯として有名な西口彰が古川宅を訪れ、それが逮捕のきっかけとなった。西口は佐木隆三「復讐するは我にあり」のモデル。)このような事件ではなかなか「明白性」のある新証拠を見つけにくい。再審請求がはかどらない中で、結局法相の答弁を信じて再審をあきらめ恩赦一本にしぼることになった。しかし、1975年6月17日に、中央更生保護審査会は実行犯の石井には恩赦を認めながら、「否認」していた西の恩赦を却下した。そして全く不可思議なことに、同日直ちに西の死刑執行が行われた。法相の答弁を信じて再審を取り下げたことによって、だまし討ち的に殺されてしまったのである。
この時の石井健二郎に対する減刑が、今のところ最後の死刑囚恩赦である。(なお石井は無期懲役囚として14年を過ごし、1989年12月に仮出所が認められ、2008年11月に死去した。)このように恩赦を申請しても認められるとは限らず、認められなかった場合には何の猶予もなく即時に死刑が執行されてしまう前例ができたわけである。本来は一回恩赦が却下されても、その後再び恩赦を申請したり、再審を請求することは出来るはずだが、そういう余裕を与えないために即時処刑が行われたと思われる。(その後遺族が死後の再審を請求している。)
福岡事件のケースを見てしまうと、死刑囚が恩赦を申請しなくなるのも当然だろう。多くの死刑囚、弁護士が恩赦請求ではなく再審請求を行うのは、そういう理由があるからだ。「恩赦」というものは、本来「反省しているものに恩典を与える」ことだから、再審請求をしていては通らない。だから、今後も「個別恩赦」を求める死刑囚はいないのではないか。僕が今言っているのは、個別に審査するのではなく、政府の方針として一括的に減刑を行うという方向である。本来、「大赦」は本人が希望するかどうかにかかわらず、国家の側で一方的に減刑、免訴にするものである。
現在、「昭和時代に確定した死刑囚」は袴田巌さんを含めて5人いる。一番古いのは「マルヨ無線事件」と呼ばれる尾田信夫死刑囚で、1970年11月に確定した。(事件は1966年12月。)強盗傷害は認めているが、放火は否定し再審請求を続けている。犠牲者は一人で焼死だった。再審は日弁連が支援していて、ストーブを足で蹴って倒したという「自白」対し、足で蹴っても倒れず仮に倒れても鎮火することが証明されたが、再審は棄却された。強盗傷害の最高刑は死刑ではないから、執行できないままになっている。再審制度が機能しない以上、恩赦で対応するべきだ。
他にも渡辺清死刑囚など、一審は無期懲役だった人もいる。1988年に確定しているが、認定事実は4人殺害だから、それが確かなら死刑は免れない。だが、一審では4件中2件は無実と主張して認められた。最高裁でも調査官は無実の心証だったと言われている。部分冤罪で、殺害2人でも死刑になることは多いが、複雑な経緯をたどり再審請求が続いている。あるいは本人が控訴を取り下げたピアノ騒音殺人事件の大濱松三死刑囚は恐らくは精神的に執行できないような状態が長く続いているのではないか。他に連続企業爆破事件の益永利明死刑囚もいる。(共犯の大道寺将司死刑囚は昨年5月に死去。)ちょっと事情が違うけど、確定は87年である。
他にも「平成初期」の確定死刑囚にも冤罪可能性が高い人が何人か見受けられる。再審が認められるほど「明白」な「新証拠」は、なかなか見つけられないものだ。血液が残っていれば、DNA型鑑定で真犯人かどうかが判明するケースがあるが、そういう事件ばかりではない。冤罪可能性ばかりではなく、獄内の状況、事件内容など様々な問題を考えないといけない。今は被害者感情がまだ厳しいケースもあるだろう。だが30年以上も死刑執行ができない事件というのは(今のところ、2012年確定の死刑囚まで執行されている)、「死刑」という刑罰を超えている。何かの特別事情があると思わざるを得ない。それは「行政権」による「恩赦」で対応して然るべきではないだろうか。
まず最初に「恩赦」という制度について。日本では大規模な恩赦が実施されて来なかったため、なんとなく「行政権による司法権侵害」のように思う人がいるんじゃないかと思うが、それは違う。司法権は「裁判で事実を認定し、有罪者には量刑を決定する」という役割を持つ。だが、裁判で決まった刑罰を実際に執行する権限は「行政権」にある。それは刑務所や少年院などが法務省管轄の行政機関であることで判る。恩赦も憲法で内閣の権限と明記されている。
外国では(特に大統領制度の国)、幅広い恩赦が実施されている。アメリカではオバマ前大統領が、退任間近の時期にプエルトリコの独立運動家、オスカル・ロペス・ リベラの恩赦を決定した。もともとシカゴで人権派弁護士として頭角を現したオバマ前大統領は、在任中に非常に多くの恩赦令を出している。一方、トランプ大統領もアリゾナ州マリコパ郡のジョー・アルパイオ元保安官に恩赦を行っている。この人は裁判所の命令に反して差別的な不法難民取り締まりを行ったとして法廷侮辱罪で有罪になっていた。良し悪しは別にして大統領には恩赦の権限があるわけである。
日本でも「事実上の政治犯」はいっぱいいる。デモや座り込み、あるいは労働組合の団体交渉、街宣活動などで「微罪逮捕」されている人はたくさんいる。裁判では無罪を求めて活発な支援運動が行われたりするが、形式的に有罪を構成していると、裁判所も有罪判決を下すことが多い。(量刑では配慮する場合もあるが。)こういう場合、「恩赦による免訴」があっても良いと思う。裁判が社会を分断するよりも、行政権の判断で「裁判をやめてしまう」のもありなんじゃないか。
問題を「死刑囚の恩赦」にしぼりたい。1960年代末に「死刑囚の恩赦」が政治的に取り上げられたことがある。当時は帝銀事件の死刑囚・平沢貞通など何人かの死刑囚が無実ではないかと大きな問題となっていた。一度50年代に再審開始決定が出た(後に取り消された)免田栄さんもその一人である。また同情すべき事情があると思われた死刑囚もあった。それらの事件は占領下の裁判であり、また憲法や刑事訴訟法が変わって間もない時期だった。
そこで「占領下」ということに着目して、再審の要件を緩和してはどうかという「再審特例法案」が野党側から提出されたのである。提案者は社会党の神近市子議員(大正時代に恋愛のもつれから大杉栄を刺した日影茶屋事件の当事者)である。それに対し、法務省は死刑囚の再審に抵抗し、対象とされた7人の死刑囚には西郷吉之助法相が「恩赦を検討する」と国会で答弁したのである。(西郷は参議院議員で、西郷隆盛の長男寅太郎の三男。)しかし、帝銀事件の平沢の恩赦は最終段階で中央更生保護審査会で却下された。免田事件、財田川事件は再審を求めて恩赦を申請せず、80年代になってようやく再審で無罪となった。
結局、この時に恩赦で無期懲役に減刑されたのは、今は忘れられている二つの事件の二人の死刑囚(一人は戦後初の女性死刑囚)とこれから詳しく書く福岡事件の一人だけだった。その事件は1947年という戦後の混乱時代に、中国人との間で起こったやみ物資をめぐる殺人事件である。旧日本軍の拳銃が使われるなど、いかにも戦後の混乱期という感じだ。その事件では7人が起訴されたが、「主犯」とされた西武雄は立ち会っただけで共謀していないと否認した。一方、実行犯の石井健二郎は拳銃発射を認めたが偶発事件と主張した。この二人には死刑判決が下された。当時は占領下で、中国は戦勝国だから裁判にバイアスがかかったという指摘もある。
冤罪を訴える西と面会していた教誨師の僧侶、古川泰龍は無実を確信し、全国的に支援運動を行った。(そのため古川は知られるようになり、連続殺人犯として有名な西口彰が古川宅を訪れ、それが逮捕のきっかけとなった。西口は佐木隆三「復讐するは我にあり」のモデル。)このような事件ではなかなか「明白性」のある新証拠を見つけにくい。再審請求がはかどらない中で、結局法相の答弁を信じて再審をあきらめ恩赦一本にしぼることになった。しかし、1975年6月17日に、中央更生保護審査会は実行犯の石井には恩赦を認めながら、「否認」していた西の恩赦を却下した。そして全く不可思議なことに、同日直ちに西の死刑執行が行われた。法相の答弁を信じて再審を取り下げたことによって、だまし討ち的に殺されてしまったのである。
この時の石井健二郎に対する減刑が、今のところ最後の死刑囚恩赦である。(なお石井は無期懲役囚として14年を過ごし、1989年12月に仮出所が認められ、2008年11月に死去した。)このように恩赦を申請しても認められるとは限らず、認められなかった場合には何の猶予もなく即時に死刑が執行されてしまう前例ができたわけである。本来は一回恩赦が却下されても、その後再び恩赦を申請したり、再審を請求することは出来るはずだが、そういう余裕を与えないために即時処刑が行われたと思われる。(その後遺族が死後の再審を請求している。)
福岡事件のケースを見てしまうと、死刑囚が恩赦を申請しなくなるのも当然だろう。多くの死刑囚、弁護士が恩赦請求ではなく再審請求を行うのは、そういう理由があるからだ。「恩赦」というものは、本来「反省しているものに恩典を与える」ことだから、再審請求をしていては通らない。だから、今後も「個別恩赦」を求める死刑囚はいないのではないか。僕が今言っているのは、個別に審査するのではなく、政府の方針として一括的に減刑を行うという方向である。本来、「大赦」は本人が希望するかどうかにかかわらず、国家の側で一方的に減刑、免訴にするものである。
現在、「昭和時代に確定した死刑囚」は袴田巌さんを含めて5人いる。一番古いのは「マルヨ無線事件」と呼ばれる尾田信夫死刑囚で、1970年11月に確定した。(事件は1966年12月。)強盗傷害は認めているが、放火は否定し再審請求を続けている。犠牲者は一人で焼死だった。再審は日弁連が支援していて、ストーブを足で蹴って倒したという「自白」対し、足で蹴っても倒れず仮に倒れても鎮火することが証明されたが、再審は棄却された。強盗傷害の最高刑は死刑ではないから、執行できないままになっている。再審制度が機能しない以上、恩赦で対応するべきだ。
他にも渡辺清死刑囚など、一審は無期懲役だった人もいる。1988年に確定しているが、認定事実は4人殺害だから、それが確かなら死刑は免れない。だが、一審では4件中2件は無実と主張して認められた。最高裁でも調査官は無実の心証だったと言われている。部分冤罪で、殺害2人でも死刑になることは多いが、複雑な経緯をたどり再審請求が続いている。あるいは本人が控訴を取り下げたピアノ騒音殺人事件の大濱松三死刑囚は恐らくは精神的に執行できないような状態が長く続いているのではないか。他に連続企業爆破事件の益永利明死刑囚もいる。(共犯の大道寺将司死刑囚は昨年5月に死去。)ちょっと事情が違うけど、確定は87年である。
他にも「平成初期」の確定死刑囚にも冤罪可能性が高い人が何人か見受けられる。再審が認められるほど「明白」な「新証拠」は、なかなか見つけられないものだ。血液が残っていれば、DNA型鑑定で真犯人かどうかが判明するケースがあるが、そういう事件ばかりではない。冤罪可能性ばかりではなく、獄内の状況、事件内容など様々な問題を考えないといけない。今は被害者感情がまだ厳しいケースもあるだろう。だが30年以上も死刑執行ができない事件というのは(今のところ、2012年確定の死刑囚まで執行されている)、「死刑」という刑罰を超えている。何かの特別事情があると思わざるを得ない。それは「行政権」による「恩赦」で対応して然るべきではないだろうか。