

神保町シアターの「芦川いづみ特集アンコール」の写真を撮っていたことを思い出したので、記念に最初に載せておきたい。ところで、この特集には滝沢英輔監督作品が4本含まれていた。そのうちの「あじさいの歌」は前に書いた。その時には3本と書いてしまったけど、後で見たら最終週に上映の「無法一代」も滝沢監督ではないか。いずれも見応えがある作品で、しっかりした演出力が光る映画だった。だけどまあ、作品世界も演出技法も古くて、しっとりした昔風の情緒はあるけど、いまさら取り立てて再評価の声を挙げようと思っているわけではない。
日活は日本で一番古い映画会社だが、戦時中に製作部門が統廃合され「大映」が作られた。戦後しばらくしてから製作を再開したが、なかなか方向が定まらなかった。最初の頃は「文芸映画」を多作したが、あまりヒットせず、結局「太陽の季節」があたり、原作者の石原慎太郎の弟、石原裕次郎を見出して、アクション映画、青春映画に活路を見出した。芦川いづみという女優も、今までに何回か書いているように、石坂洋次郎や源氏鶏太などの映画化作品で、裕次郎の相手役として存在感を発揮した。だけど、今日書く滝沢監督作品は(「あじさいの歌」などを除き)古い感じの「文芸映画」になる。
製作年の順番ではないが、見た順に「佳人」(1958)から書きたい。これは藤井重夫(1916~1979)原作の映画化だが、藤井重夫と言っても今では誰も知らないだろう。僕も記憶の片隅に引っ掛かりを感じたものの、最初は誰だか判らなかった。調べて思い出したが、1965年上半期の直木賞を「虹」で受賞した作家である。選評では「甘さ」が指摘されている。(そう指摘したのは源氏鶏太。)その藤井が書いた「佳人」は1951年に芥川賞の候補となった。結局、直木賞を受けたが、その後忘れられた作家になった人である。ウィキペディアで調べると、兵庫県北部の豊岡出身で、「佳人」も豊岡が舞台になっている。また城崎温泉も出てきてロケされている(と思う。)

話は久しぶりに故郷に帰る青年・しげる(葉山良二)の回想で始まる。戦前の豊岡のこと、身体が弱かった幼なじみの少女・つぶら(芦川いづみ)は、外に出ることもかなわず、しげるしか相手になってあげる者もいなかった。やがて二人の間に純愛が芽生えるが、青年は戦争に取られる。つぶらの送った石をお守りに戦争を生き抜いて、故郷に戻ったのは、つぶらが兄の友人だった金子信雄と結婚する日だった。兄は戦争で心を病んで自殺し、県会議員だった父も死んだ。財産もなくなったつぶらの家を援助した金子信雄は、亡き父の地盤欲しさに愛もない結婚を強要する、という哀切な物語。何とか救い出そうと葉山らが画策するのだが、悲しい展開が待っている。戦争で儲けて得するもの(金子)と戦争でひたすら悲しい目に会うもの(芦川)がくっきりと描き分けられている。
金子信雄は「仁義なき戦い」や料理番組で知られた演劇人だが、日活アクションで多くの悪役をやっていた。この映画の憎々しいまでの役作りは実に印象的で、感傷的なカップルに涙するためには悪役の演技力が決め手だという大衆映画の作りがよく判る映画だ。しかし、センチメンタルに過ぎるのは間違いない。また、厳格な父は宇野重吉が演じている。他の2本にも出ているし、前回書いた源氏鶏太映画にも全部出ている。民藝の役者は日活によく出ているわけだが、中でも日活で何本か監督までしている宇野重吉が一番出ているのではないか。渡辺美佐子も儲け役で出ている。
「祈るひと」(1959)は僕の好きな田宮虎彦の原作で、複雑な家庭に育った芦川いづみが、悩みながら自立を目指す。その「家庭の秘密」の処理が難しく、あまり面白くなかった。

「無法一代」(1957)は研ぎ澄まされた構図で語られる悲しい物語である。「洲崎パラダイス」と同じく三橋達也、新珠三千代だが、あの映画では食い詰めていた二人だが、こっちでは明治の京都で遊郭の主人になろうとする。芦川いづみは、その廓で働かされる貧しい少女で、実に悲しい人生行路をたどる。その哀切なようすをうまく演じている。原作は京都で共産党の府会議員をしていた党員作家西口克己のベストセラー「廓」。さまざまな映画(溝口健二「赤線地帯」など)で、遊郭の主人側の言い分のエゴイストぶりが辛辣に描かれているが、この映画のように一からのし上がる主人が出てくるのは珍しい。今ではきちんと理解されていない昔の遊郭がきちんと描かれている。
