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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

あまりに変な映画「ロブスター」

2016年03月30日 21時36分56秒 |  〃  (新作外国映画)
 ちょっと前に見たんだけど、「ロブスター」という映画、あまりに変な映画なので特におススメしないのだけど、やっぱり書きおいておこうかと思う。2015年のカンヌ映画祭審査員賞受賞作で、コリン・ファレル(「アレクサンダー」「マイアミ・バイス」)やレイチェル・ワイズ(「ナイロビの蜂」)、レア・セドゥ(「アデル、ブルーは熱い色」)など国際的キャストを組んだ作品。カンヌ受賞に恥じない傑作で、出来は確かにいいのだが、あまりにも変なので付いていくのが難しい。

 設定がとにかくぶっ飛んでいて、「独身が罪とされる社会」なのである。でも、それだけならよくある「ディストピアもの」の変種として理解はできる。この映画ではさらに、独身者はホテルに送られ、45日以内にパートナーを見つけないと「動物に変えられる」というルールがある。犬を選ぶ人が多いので世界は犬ばかり。ホテル到着時になりたい動物を申告することになっているが、主人公デヴィッドが選ぶのが「ロブスター」である。デヴィッドは妻が別のパートナーのもとに走り、独身となってしまった。すでに犬に変えられた兄とともに、ホテルに着く。ホテルの周りの森には脱走した独身者が潜んでいて、ホテル滞在者は麻酔銃で独身者を狩りに行き、一人確保すれば一日滞在日数を延ばせる。

 もちろん、こういったルールは変である。でも、物語の内部で変わった設定になっていることは多い。「バトル・ロワイヤル」だって変だし、「マッドマックス」シリーズだって変である。でも、そういう映画では冒頭で「説明」があることが多い。何か理由があってそうなったとされる。そして、いったんそのルールを受け入れれば、後は了解可能な物語が進行する。だけど、「ロブスター」では説明が一切ない。ルールは観客の方でセリフを聞いて理解しないといけない。というか、理解しようがないルールである。「独身は罪」は判るが、「動物に変えられる」は理解しようがない。だから、映画の展開もどうなるか判らない。「エンタメ映画文法」で出来ていない「アート映画」なのである。

 じゃあ、これは一体何なのだということになる。ある種の寓話なんだろうけど、その意味はよく判らない。映像は美しく、明らかにアート映画としての質は高い。だけど、一体この物語は何なのだろうという気はする。主人公は彼なりのもくろみでパートナーを作るが、結局破綻して逃げ出す。しかし、独身者の森に逃げ込んでも、今度は「恋愛禁止」という新しい抑圧にさらされる。そこで知り合った女性は視力を奪われてしまい、最後は「春琴抄」。シリア内戦を逃れても、ヨーロッパでも受け入れられない。現実に世界のどこにも居場所がないというのは、現代人の感覚に訴えるものがある。説明を極度に省略して、ほとんどが内容も画面も暗い。見ていて楽しくなるということがないんだけど、同時にこれはすごい映画を見ているかもという気がしてくる。

 この映画を作ったのは、ギリシャの映画監督ヨルゴス・ランティモス。1973年生まれで、これが4作目。2作目の「籠の中の乙女」(2009)はカンヌ映画祭「ある視点」部門グランプリ。父親が娘を閉じ込めて育てる物語で、日本でも公開されたけど見ていない。「ロススター」は4作目で、初の英語映画。全篇アイルランドで撮影されたという。風景を見るとなるほどと思う。この過激に変な映画は、多くの人が好きになるようなタイプではないだろう。でも、世界では一定の人がそういう映画を見にいく。だから、国内マーケットで受けることだけ考えている必要はなく、特に「持ち運び自由」の映画においては、ごく一部に評価されるような自己の美学で作って、世界の映画祭に出品するというやり方もある。日本でも、こういうぶっ飛んだ発想の映画を構想する人が出てきて欲しい。ヨルゴス・ランティモス、また覚えておくべき難しい名前の監督が現れたようである。
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てがみ座「対岸の永遠」を見る

2016年03月30日 00時21分08秒 | 演劇
 劇作家の長田育恵(おさだ・いくえ)が主宰する「てがみ座」の公演、「対岸の永遠」を見た。シアター風姿花伝という劇場は初めて。とても心に沁みる傑作だけど、30日で終了。

 1987年にノーベル文学賞を受賞したヨシフ・ブロツキーという詩人がいる。もとはソ連時代のレニングラードで育ったユダヤ人で、ソ連当局に忌避されて強制労働刑に処せられたりしたあげく国外追放になった。その後はアメリカで暮らし市民権も取り、ノーベル賞はアメリカ人として得ている。今回の劇はブロツキーに材を取りながらも、名前をアンドレイ・ミンツ(半海一晃)と変えて自由に創造力をはばたかせている。場所はソ連崩壊後に改名されたサンクト・ペテルブルクのあるアパートの一室。そこでは何人もが住んでいるが、アンドレイとは11歳で別れさせられた娘エレナ(石村みか)が今も住んでいる。夫と別れて娘サーシャと住んでいるが、父アンドレイの思い出は封印してきた。そこにニューヨークからアンドレイの遺品を持ったユリウス・ミラーが訪ねてくる。

 という設定で、この一室の3日間に限定された劇だが、ここに死んでいるアンドレイも自由に出てきて手紙を読んだりする。時間も場所もさまざまに移り変わり、演劇空間の魅力を伝えてくれる。ソ連からの亡命文学者というテーマは70年代には大きな問題だった。ソ連崩壊後はもう忘れられた問題に近いと思うが、そこに「父と娘の和解」を中心としながら、テロや戦争などの「国家悪」、チェチェン問題、同性愛など様々なテーマが出てくる。だが基本となるのは、父を許せずに来た娘の人生がどのように変容していくかである。その意味では「親子」という永遠のテーマを扱っている。強権的政治体制への批判をベースにしながらも、そんな中でも生きて行かざるを得ない人々の「赦し」が感動を呼ぶ。

 そういうテーマ性もあるけど、長田育恵の劇作が非常にうまい。そのアパートの同室者たち、あるいは前は崩壊後にアパートを買い取った元の住人などサブの人物たちが、コミカルかつ深刻なセリフで場を盛り上げる。皆よく酒を飲みタバコを吸い、ソ連崩壊後の困難を語る。(この喫煙シーンが多いことがほとんど唯一のマイナス。客席にかなり漂ってきて事前にマスクを希望者に配布した)そんな中で、時間を行き来しながらアンドレイの手紙に収れんさせていく作劇術に感嘆する。戯曲の構造が素晴らしいために、遠いと思われがちな世界が身近に感じられる。娘エレナの石村みかの演技も優れている。

 ニューヨークもサンクト・ぺテルブルクも知らないけど、運河沿いに海を目指すという言葉だけで、心に沁みるものがある。古い都の魅力とでもいうような。独ソ戦のレニングラード包囲戦を戦い抜いた少年アンドレイのエピソードも印象的。ソ連の裁判での「国家の寄生虫」宣告もすごいが、このような非道な体制に抗い続けた人々が多数いたことも忘れてはいけない。ソ連と韓国の政治犯救援が僕の世界認識のベースだった。劇中に「あのKGB(カーゲーベー)出身の男」批判のセリフが頻出するから、ロシアでの公演は難しいのかもしれないが、ぜひサンクト・ペテルブルクの人々にも見て欲しい劇だと思った。作者の長田育恵は年末に民藝で柳宗悦を劇化することになっていて、それも楽しみである。夜に見たばかりで、あまりまとまった感想になってないけど。
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