尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

探偵・竹花 「加齢」なる挑戦

2015年10月30日 23時19分00秒 | 〃 (ミステリー)
 仕事で旅行に行ってきた帰りで、疲れているから軽く読める本の記事。藤田宜永(よしなが)の「探偵・竹花 孤独の絆」(文春文庫)という本である。この「探偵・竹花」というキャラクターは、かつてシリーズとして書かれていた。調べてみると、「ボディ・ピアスの少女」(1992)と「失踪調査」(1994)の2作だけだったが。この両作は、昔文庫本で読んだはずである。その後、藤田宜永は「愛の領分」(2001)で直木賞を受賞して以来、恋愛小説が多くなった。しかし、竹花シリーズが最近戻ってきていて、もう4作も書かれているではないか。僕は今回書く短編集が文庫に入って初めて気づいたのである。

 大体僕は「私立探偵小説」というジャンルが大好きである。アメリカのハードボイルドの名作、ダシール・ハメットレイモンド・チャンドラーから始まって。ハメットは実際に「探偵」だったわけだけど、日本では「私立探偵」はなかなか現実味がない。結婚や離婚に関する調査ばかりでは、話がふくらまない。(まあ、今後は「いじめ」や「虐待」を調査して、子どもたちを救い出す探偵シリーズが成立するかもしれないが。)ここで「私立探偵」というのは、明智小五郎や金田一耕助のことではない。彼らも、またホームズやポアロも、頼まれて犯罪を解決する「名探偵」に違いないけど、「トリック」を見破って「真犯人」を名指しするような「名探偵」である。それに対して、ハードボイルドの主人公は、「卑しい街を這いずりまわる」ことによって、ことの真相をつかんでいく。

 かつて、結城昌司が書いた「真木シリーズ」や、原寮の渡辺探偵事務所の「沢崎シリーズ」などが日本で書かれた数少ない傑作私立探偵小説だと思う。日本では、組織的に、あるいは組織をはずれた一匹狼が、事件を解決する「警察小説」の方がはるかにリアルである。だから、そういうジャンルの傑作はいっぱいあるが、これから私立探偵ものなど、あまり書かれないかと思っていた時に、また戻ってきたのが「竹花」のシリーズである。

 麻布十番の外れのビルに、事務所兼自宅の小さな部屋を構える探偵・竹花。そこにはあまり事件も持ち込まれないんだけど、時たまひょんなことから事件調査を頼まれる。そこで、とんでもないクルマを操って、東京を調べまわる。ということで、現代のさまざまな人間模様を見ることになる…んだけど、その前に。かつては40代だった竹花も、今や還暦。張込み中に唇が渇くから、リップクリームを持参している。いや、判る判る。遠くがよく見えず、メモを見るには老眼鏡もいる。肉体的には弱くなってきて、加齢を意識せざるを得ない。いや、もうよく判って、他人とは思えません。

 だけど、暗くない。一人暮らしの竹花は、「孤独」の自由も感じている。世の中は、高齢化社会だ、孤独死だ、と騒ぐけれど、それがどうした。「孤独」の中で単独者として生き抜くことを「風流」と捉える文化があったはずではないかというのである。そういう覚悟が語られる、有料老人ホームから老人二人が「失踪」した問題を扱う「晩節壮快」が特に面白い。竹花が若い世代になる、もっと年上しか出てこない老人の話だけど、その最後のありえない展開も、まあ、そんなこともありでしょうと思える。

 難しいところは全然なく、スラスラ読める娯楽小説で、まあそれだけとも言えるけど、こういうものを読むのも僕には大切な時間。時々必要である。ところで、作者の藤田宜永自身は、同じ直木賞作家の小池真理子と結婚しているのはよく知られている。まあ、そのこととこの小説は特に関係ないと思うけど。
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