尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

名張事件・奥西勝「死刑囚」が死去

2015年10月08日 21時29分35秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 いわゆる名張毒ぶどう酒事件(名張事件)で、無実を訴えて長年にわたって再審を訴えていた奥西勝さんが亡くなった。89歳。10月4日12時過ぎに、移送されていた八王子医療刑務所で死去。僕は4日から7日まで旅行していて、ここに書くことができなかったが、この訃報は記録しておかないといけない。この事件については、ここで何回か書いている。この事件を真正面から描いた映画「約束」の記事中に、それまでの記事も紹介してある。それ以後も、最高裁での棄却決定などがあったのだが、もう改めて追加する中身も正直言ってなかったので、書かなかった。

 三重県名張市で、1961年に起きた事件である。管轄としては、名古屋地裁、高裁ということになる。死刑囚は拘置所に収監されるから、奥西さんは名古屋拘置所で拘束されていた。しかし、2012年に体調を崩して八王子医療刑務所に移送され、その後はずっと「入院」していた。「司法は獄死を待っている」などと批判されてきたが、事実上その通りだろう。僕も、恐らくはそうならざるを得ないだろうと思ってはいた。帝銀事件の平沢貞通さん、牟礼事件の佐藤誠さん、波崎事件の富山常喜さん、三崎事件の荒井政男さん…などに続き、戦後の冤罪救援運動がついに獄から解放できなかった名に連なる。

 僕がこういった問題に関心を持った70年代後半に、「無実を叫ぶ死刑囚たち」(三一書房)という本が出版された。その時点では袴田事件は、まだ最高裁上告中で死刑は確定していなかった。その本に出ていたのは8件の事件だったが、結局のところ、再審無罪で釈放されたのが4件(免田、財田川、松山、島田)で、獄中で死亡して再審請求も終わってしまったのが4件(帝銀、牟礼、波崎、名張)という結果になった。日本の残酷なる司法界において、なんとか4件の死刑再審を開始させたという評価もできるだろう。だけど、多くの再審請求事件はほとんどまともな理由も示されずに、却下され続けてきたという思いが強い。足利事件の菅家利和さんは、再審請求が一回却下され、即時抗告した東京高裁がDNA鑑定をやり直して、無実が明らかとなった。では、なぜ再審請求したらすぐ再鑑定しなかったのか。大きな問題となった事件や事故が起きれば、普通は「検証のための第三者委員会」が作られる。でも、無実の人が死刑や無期になったという出来事があっても、司法界だけは「検証」しない。

 名張事件では、一審の津地裁は無罪判決だった(1964年12月)。それが検察側控訴による名古屋高裁で、逆転して死刑判決が出た(1969年9月)。これは日本の裁判制度では、そういうこともあるわけである。そういうのに慣れてしまうと当たり前に思ってしまうが、世界には「一審で無罪」ならば、もうそれで終わりという国もある。「有罪」の場合、被告側が上級の裁判所に訴えるというのは、侵してはならない人権である。だけど、国家権力の側が国民の税金を使って捜査活動を行い、その結果一回目の裁判で「無罪」だったら、国家がより上の裁判所に有罪を求めて裁判を続けるのは、権力の濫用だと考えるわけである。そういう考えを日本が取っていれば、この事件はそこで終わりだった。

 その後、1972年6月に最高裁が上告を棄却し、死刑が確定する。以来、2015年10月まで、確定した死刑囚として43年以上の歳月が流れた。最初は本人が再審請求を行い、4回も棄却された。1977年の第5回請求になって、ようやく弁護団が結成され、本格的な再審請求運動が広がり始めた。(1997年棄却)以後、1997年に第6次(2002年棄却)、2002年に第7次請求が行われた。この第7次請求になって、2005年4月に再審開始決定が出たのである。先に述べたことと同じことになるけど、一度再審開始決定が出たら、検察側は抗告(異議申し立て)をせずに、やり直しの裁判の中で主張して行けばいいではないかという考え方もある。日本の再審制度がそうなっていたら、ここで再審が開かれていた。

 その後、検察側の異議申し立てを認めて、2006年12月に再審開始が取り消される。それに対し弁護側が特別抗告し、2010年に最高裁が審理を差し戻す。しかし、差し戻された名古屋高裁は2012年に再審請求を棄却、最高裁も2013年10月にそれを追認した。この第7次再審請求は非常に複雑な経過をたどり、内容も科学鑑定の評価が中心でよく判らないところもあったが、日本の裁判史上に残る攻防のすえに「再審請求棄却」で決着したのは本当に残念だった。2013年11月に第8次再審請求、棄却、異議申し立て、棄却を経て、最高裁への抗告中に第8次請求を取り下げ、あらためて2015年5月に第9次請求を申し立てていた。再審はこれで終わりかと思っていたら、親族で引き継ぐ人が現れたということで、その勇気に敬服している。かつて、徳島ラジオ商殺人事件で、富士茂子さんが再審請求中に亡くなり、姉妹が引き継いで再審が認められたという例がある。(ちなみに、この事件の支援集会で、本人とともにずっと支援をしてきた市川房枝、瀬戸内寂聴の講演を聞いた思い出がある。)

 事件の中身について触れる余裕がないが、僕は江川詔子「6人目の犠牲者」を読んで、初めてこの事件の構造をよく理解できた。今は岩波現代文庫で「名張毒ブドウ酒殺人事件」として出ている。確定死刑囚と面会することは(特別に認められた場合を除き)できないから、ジャーナリストも直接会って話を聞くことが半世紀近く出来ていない。人柄などを語ることはできない。写真を載せたが、当然昔のものである。そんな中で、映画「約束」は劇と記録映像を交えながら、この事件の構造を暴き出していた。若い時は山本太郎が、年取ってからは仲代達矢が演じている。実在の死刑囚を演じるのも大変だろうが、このキャスティングに妙味もあった。この事件は内容そのものも不可思議なものだが、結局一番不可思議なのは、日本の司法制度だという気がしてならない。
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