尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

グザヴィエ・ドラン監督「トム・アット・ザ・ファーム」

2014年11月11日 22時24分22秒 |  〃  (新作外国映画)
 グザヴィエ・ドラン監督の「トム・アット・ザ・ファーム」(2013)を見た。グザヴィエ・ドラン(Xavier Dolan、1989~)って、誰だという人もまだ多いと思うけど、近年世界で最注目の映画監督の一人であることは間違いない。まだ25歳で、ゲイをカミングアウトし、セクシャル・マイノリティをテーマとする映画を作っている。すでに日本公開が4作目で、2014年のカンヌ映画祭では“Mommy”という作品で、審査員賞を受賞している。ゴダールと同時受賞だったが、同じフランス語映画界で超ベテランと新進気鋭が同時に評価されたわけである。今、フランス語映画界と書いたけど、この人はフランスの人ではなく、カナダのフランス語圏であるケベック州で映画を作っている人である。

 2013年に「わたしはロランス」(2012)という映画が公開され、性同一性障害をテーマとした端正な映像美に関心が集まった。僕も見たけど、ちょっと長すぎてテーマがうまく生かされていないように思い、ここでは触れなかった。その後、同監督の「マイ・マザー」(2009)、「胸騒ぎの恋人」(2010)も公開されたが、小規模な公開だったので僕は見ていない。「わたしはロランス」は監督が出演していないが、最初の2作、それに「トム・アット・ザ・ファーム」では監督本人が主演している。この作品はヴェネツィア映画祭に出品され、国際批評家連盟賞を受賞した。また最初の3作品では監督がオリジナル脚本を書いている。つまり、25歳にして、脚本、監督、主演する映画を続々と作っているのである。

 今回の「トム・アット・ザ・ファーム」(原題はフランス語だから“Tom à la ferme”)は初めての原作もので、カナダを代表する劇作家だというミシェル・マルク・ブシャールの戯曲をもとに、原作者とグザヴィエが脚本を書いた。監督が劇の上演を見に行って、すぐに映画化を決めたという。今回の作品も「同性愛」をテーマとしている。冒頭はカナダの田舎にある農場、なんだか人気がない。そこに金髪の青年(トム)が車でやってくる。人がいないのであちこち探しまわる。この段階では何もわからない。やがて合鍵を見つけて、家に入って休んでいると、老女が戻ってくる。どうやらトムは客としてきたのだが、それは彼女の息子であるギヨームが亡くなり、その葬儀に来たらしい。この監督本人が演じている、妻夫木聡を金髪にしたような青年がしっかりしてるのか頼りないのか、不思議な感じ。

 だんだん判ってくるのだが、ギヨームの「友人」だったトムは、実は同性の恋人だったらしいが、そのことは秘密にされていて、今まで存在を知らなかった暴力的な兄フランシスがいて、家を支配している。その兄は、ギヨームにはサラという恋人がいることになっていて母にはそういう風に装えと命令してくる。同性愛だということはどこにも出てこないのだが、画面の暗示することとグザヴィエの映画だから、やはりそうなんだなと思って見るわけである。この「ウソ」で固められた家族の、閉ざされた牢獄のような農場が、怖い。別に壁があって扉は鍵がかかっているという訳ではなく、農場だからどこでも行けるし、逃げることは出来そうである。実際逃げたこともあるけど、とうもろこし畑で怪我して捕まっただけだった。車で来たんだから、車で逃げられそうなもんだけど…。そして「架空の恋人」だったはずのサラが現実に現れて…、人間関係の闇が次第に明らかになってくる。

 こういう「田舎の閉ざされた世界」で、「秩序から排除されるもの」(例えば性的なマイノリティ、あるいは人種的なマイノリティ…)が現実に、または精神的に「閉じ込められる」恐怖を描く映画はアメリカ映画なんかにたくさんある。これもそういう感じだけど、カナダだけに寒そうな農村地帯で、そこを遠望するカメラが美しい。そこで描かれる人間関係の輪は、ものすごく「怖い」ので、これは一種のホラー・サスペンス映画に入るだろう。でも怖がらせることが目的のエンターテインメントではなく、人間関係の孤独を描くアート系映画の感触がある。まだまだ、ホントにすごい映画を見たというほどの興奮や達成感はないけど、この映画は十分の才気と映像美を味わえると思う。注目すべき新人監督として覚えておくべきだし、特にセクシャル・マイノリティ問題を、自分のテーマとする作家として注目すべき存在。それにしても、25歳でこんなに世界の映画祭を席巻した人もいないのではないか。この戯曲も是非日本で翻訳して公演して欲しいと思う。(なお、グザヴィエというのは、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・デ・ザビエル Francisco de Xavier と同じである。)
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「誰よりも狙われた男」

2014年11月11日 21時27分06秒 |  〃  (新作外国映画)
 ジョン・ル=カレ原作の「誰よりも狙われた男」が映画化されて公開されている。(アントン・コービン監督。)この原題は何と言うかと思えば、“A MOST WANTED MAN”である。なるほど。主演はフィリップ・シーモア・ホフマンで、彼の遺作となる。今年の1月に46歳で急死し、「二人の名優の死-フィリップ・シーモア・ホフマンとマクシミリアン・シェル」を書いた。新宿武蔵野館には、ホフマンの大きな立て看板が作られている。
  
 ル=カレの原作はハヤカワ文庫に入ったので、読もうかなと思って買ってしまったけど、長そうで手を付けていない。だから、原作を読まず、細かい筋は知らずに見たわけだけど、ストーリイはともかく、テーマがアクチュアルで、是非見ておくべき映画ではないか。もっともドイツのハンブルクの映画だけど、ドイツ人役のホフマンを始め、皆が英語を話している。そういう点はあるが、非常にリアルな映画だと思う。ただし、問題点もある。

 バッハマン(フィリップ・シーモア・ホフマン)はドイツの対テロ諜報組織の責任者で、ベイルートで過去に失敗があり、国内のハンブルクに異動させられた。現在の最重要課題は、イスラム過激派の動向と国内潜入である。ある日、組織の監視カメラがイスラム過激派としてマークされているチェチェン人イッサの姿をとらえる。この人物が会おうとしているのは誰か。どうやら大手銀行の頭取らしく、人権派女性弁護士を通して面会しようとしている。その目的は何か。バッハマンはイッサを泳がせて、より大きな目標をねらおうと画策するが、そこに国内の他組織や米国CIAの動向も絡んできて…。「この結末は誰も予想できない」。まあ、具体的な細部はともかく、ミステリーファンなら、ラストの予想がつかないでもないとは思うけど、一応やはり「衝撃のラスト」というべき結末に至る。

 冷戦終結後に「スパイ小説はどうなるか」と言われたものだが、「9・11」以後は「対テロ戦争」をめぐる諜報活動が重大になり、実際にこういう話があるのではないかと思うようなリアルな映画だと思った。主演のホフマンは記憶に残る名演で、これが最後とは悲しい。過去の傷を引きずりながら、仕事にのめり込むタイプを全身で演じている。諜報と言っても、現在のネット社会での変容が印象的である。ところで、今回の事件の背景にあるチェチェン問題を考えると、ロシア軍の方が「国家テロ」と呼ぶべき蛮行を繰り返し、その問題が背後に潜むことがだんだんわかってくる。イスラム過激派に対抗するために、国家の側も「国家テロ」を行っている実態が明らかになってくる。そういう意味では恐ろしい映画である。ル=カレの映画かと言えば、スマイリーを主人公とする「裏切りのサーカス」が記憶に新しいが、あのような「目で見るチェス」のような知的なゲーム性はない。もっと本格アクション映画っぽい作りだけど、多分実際の対テロ諜報戦そのものも、そういう荒っぽい世界なのではないか。ビンラディン暗殺作戦などにも、その一端がうかがわれる。現実を反映しているらしき点は怖い映画だと思う。ただ、これではイスラムの慈善団体がテロ支援団体であるように思えてしまう。「西欧の目」というバイアスのかかった映画であると思う。
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映画「ニンフォマニアック」

2014年11月11日 00時10分40秒 |  〃  (新作外国映画)
 それなりに重要な新作映画を見たら、できるだけ短評を書いておくことにしたい。デンマーク出身のラース・フォン・トリアー監督の新作「ニンフォマニアック vol.1/vol.2」を見た。1と2は続いているので、順番に見ないといけない。これは題名で判る通り、シャルロット・ゲンズブールが演じる「ニンフォマニア」(色情狂)の女性の半生記である。トリアーだけあって、またまた過激な描写が満載で、今回は性描写が半分位を占めている。だけど、全然性的な興奮をもたらさない。その意味では、ポルノグラフィとして作られているが、いつもの通り「観念的」な作品になっている。
 
 大体トリアーの映画は、変すぎて好きになれないものが多い。初期の映画は見てないのだが、「奇跡の海」が素晴らしく心に沁みる名作だと思った以外は、カンヌでパルムドールの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を含めて、どうも好きになれない。特に、最近の「アンチ・クライスト」「メランコリア」は、それぞれシャルロット・ゲンズブール、キルスティン・ダンストにカンヌ映画祭女優賞をもたらしたものの、映画としては納得できない感じがぬぐえない。判るとか判らないとか、評価するとかしないとかと別に、肌が合わない。今回の「ニンフォマニアック」を含めて、「うつ3部作」というらしいけど、そういうことかと思う。見ていて辛いというか、「イタイ」という映画だと思う。

 今回は鞭打ちの場面もあり、見ていてずいぶん「痛い」。主人公ジャンの若い頃からの男性「あさり」も、見ていて楽しいものではなく、痛ましいという感じがする。冒頭で、雪の中に倒れている女性(シャルロット・ゲンズブール)を老人男性が救助する。その男性は自分の家に連れて行き、彼女の話を聞く。彼女はその日までの人生を語り始め、驚くべき「ニンフォマニア」の人生が明らかになる。という構成で、途中で前編が終わるが、話は後編に続いている。その人生行路を一々書いても仕方ないけど、明らかに「居場所のない」人生で、僕には痛ましいとしか思えなかった。途中で性的快感を得られなくなり、それでも性交を求め続け、さらには「鞭打ち」などにも通う。ホントにやってるのかなと思えるような場面である。職場でカウンセリングに通うことを命じられるが、「セックス依存症」と言われて、自分で「ニンフォマニア」と規定し直している、でも、本質はどう見ても依存症そのもので、この映画は「依存症患者の悲しみ」を描いていると思った。

 まあシャルロット、及び彼女の若い時代を演じる女優の体型の好みもあると思うけど、ここまで性を描きながら全く興奮しないというのも、自分がおかしいのか。楽しいかと言えばまったく楽しくないし、見る意味があるのだろうか。それでも「女性の一代記」なので、ストレートな進行が判りやすく、また老人との会話の観念性がある意味で興味深い。依存症患者の苦しみを体感する意味はあるし、最近の2作、あるいはその前の「ドッグヴィル」「マンダレイ」よりは面白い。それはセックスというテーマのせいかなと思う。ラース・フォン・トリアーの「問題作」。好感は持てないけど、やはり見ておくべき作品となるだろうか。
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