尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

2014年10月の訃報

2014年11月05日 21時32分35秒 | 追悼
 今日になって、桂小金治の訃報が伝えられたが、また別に書く機会を作りたいと思う。10月の訃報では、赤瀬川原平の追悼を書いたが、首都圏では千葉と町田でもともと予定されていた展覧会が開かれている。品切れになっていた文庫本も是非増刷して欲しいなと思う。

 僕の心に残る人として、山下道輔さんが死去した。(10.20没、85歳)朝日に訃報が載ったけれど、掲載されなかった新聞の方が多い。朝日でも「肩書き」は「国立ハンセン病療養所多磨全生園入所者」となっている。これは「肩書き」と言えないが、公的な役職に就いた人ではないので他に書きようがないのだろう。山下さんは、全生園でハンセン病図書館に拠って、ハンセン病資料を集め続けた人である。各地の自治会資料や新聞記事などを丹念に集めて、散逸しないように努めた。ハンセン病関係の知名人という場合、療養所の自治会活動、あるいは国賠訴訟の原告団活動、さらに小説や詩や俳句が評価されるとか、ハンセン病問題を当事者として告発するとか…。山下さんは直接そういう活動を起こしたわけではないが、「縁の下の力持ち」的に図書館を守り続けた。大きな集会があると、集会で皆に呼びかける方ではなく、ロビーの書籍売り場で本を売った。そういう形で「ハンセン病問題」を残した人である。ハンセン病問題に関心を寄せる人なら、大体は名を知っているような人で、多くの人に慕われていた。心に残る人である。

 三浦綾子さんの夫だった三浦光世さんが死去した。(10.30没、90歳)この人は一応「三浦綾子記念文学館長」という肩書がある。「歌人」であり、「著述家」ということにもなる。でも、結局この人の人生は、キリスト者となり、脊椎カリエスの三浦綾子と知り合い、結婚して病妻の文学を支えたということにつきる。「評点」は綾子自身の記述だが、「塩狩峠」以後の作品はすべて「口述筆記」だったというから、驚くしかない。三浦綾子は北海道・旭川に住み続け、キリスト教に基づく人間愛の小説を書いたベストセラー作家だったが、1999年に死去している。旭川には三浦綾子記念文学館があり、「評点」で忘れがたい神楽の外国樹種見本林の一角に作られた気持ちのいい場所である。僕は2回行ったことがあるのだが、旭川で一番心落ち着く場所と言ってもいい。クリスチャンではなく、三浦文学にもそれほど高い評価を置かないのだが、それでもこういう場所があるといいなと思うし、こういう本があるのはいいなと思う。現代にあって、この二人が出会ったのは、確かに「奇跡」とも思える出来事で、現代には稀なる「奇跡の夫婦」だった。

 元長崎市長の本島等氏が死去。(10.31没、92歳)自民党に支持されて当選した保守系政治家だったが、88年に市議会で昭和天皇の戦争責任をあると思うと答弁。右翼に脅迫されても撤回せず、90年1月に右翼活動家から拳銃で銃撃されて一カ月の重傷を負った。この事件は日本の戦争責任問題を考えるときに忘れてはならない事件だが、「保守系」と言っても、原爆を落とされた長崎の地では「歴史が見える」ということだと思う。そういう「地場の保守」の強さは、沖縄などでも見ることができる。

 女優の中川安奈(10.17没、49歳)が死去した。「敦煌」でデビューというけど、見なかった。僕は舞台で見たこともなかったけど、崔洋一「Aサインデイズ」で演じた沖縄のロック歌手が印象に残っている。建築家の岡田新一という人は知らなかった。(10.27没、86歳)芸術院会員だそうだが、最高裁庁舎のコンペで丹下健三チームを押さえて最優秀賞を獲得した。でも最高裁はやっぱり冷たい感じがするし、宇都宮美術館もあんまり見やすい感じがしないなあ。作家で「れくいえむ」で芥川賞を受けた郷静子(9.30没、85歳)の訃報が10月になって伝えられた。「れくいえむ」は自身の戦争体験を描いたもので、書きたいことがあるからそれ一作を書いたというタイプの作家だった。「元駐タイ大使で外交評論家」となる岡崎久彦(10.26没、84歳)が亡くなった。ベストセラーの「戦略的思考とは何か」も読んでないし、当然他の本も読んでない。だから批判も書けないけど、安保法制懇メンバーだった人だし、どうして外務省出身者(「親米保守」の立場)が安倍首相の外交ブレインに慣れるのかも僕には判らない。

 ウォーターゲート事件時のワシントンポスト編集主幹だったベン・ブラッドリー(10.21没、91歳)はワシントンポストを有力紙に育てた。「クリーム」のベーシスト、ジャック・ブルース(10.25没、71歳)が死去。エリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカーと結成した「クリーム」は2年ほどの活動だけど、大きな盈虚を与えた。社会党から衆議院副議長を務めた岡田利春(10.11没、80歳)は土井委員長時代の副委員長でもある。「社会党」を担った人々がどんどん亡くなっている。功罪共にきちんと検証しておかないといけない戦後史だと思う。ノンフィクション作家枝川公一(8.15没、73歳)の訃報が2カ月たって報道された。
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日塩もみじラインをゆく

2014年11月05日 00時22分55秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 からだのあちこちが温泉を欲している気がしていたけど、トリュフォー映画祭に行ってたので時間が作れなかった。ようやく出かけてきたのは、「大正村 幸の湯温泉」というところで、値段は安くてお湯がとてもいい。栃木県の北の方、塩原と那須の中間、板室温泉に行く途中に35年ぐらい前に出来た温泉である。もひとつ、このあたりに秋に行くときは、「日塩もみじライン」を通ると、ハズレがなくて素晴らしい紅葉を見られる。紅葉は僕の大好きな日光が有名だけど、あまりにも渋滞がすごくて、混雑していて宿も取りにくい。塩原・那須方面もおススメである。

 最後の方に載せると、見るときに流されがちだから、2日目に見た紅葉の写真を最初に載せておきたい。日塩もじじラインと言うのは、鬼怒川温泉の奥から奥塩原・新湯温泉に通じている有料道路である。一番高い所に「ハンター・マウンテン」、略してハンタマというスキー場があって、夏はユリを見るリフト、秋は紅葉を見るゴンドラが出る。道路の高低差が数百メートルあるので、どこかが紅葉に最適なことが多い。今回はハンタマは寒そうで、(値段も高いし)乗らなかった。そこで食べなかったので、しばらく行った白滝の峠の茶屋で食べたが、そのあたりの紅葉が今の見ごろ。
   
 今の最初の写真のように両側が紅葉という場所はあまりないけど、黄色く映える中を進む道は多い。塩原に出るところに有名な紅葉スポットがあるが、うまく停められなかった。素晴らしいところは多いけど、運転中に撮るわけにも行かないし、前後に車がいることが多く、路肩に駐車もままならない。でも、いいのである。写真が目的ではなく、もみじの中をドライブすることが目的なんだから。
   
 鬼怒川に近いあたりに、「太閤おろしの滝」というのがあった。全然聞いたこともない滝で、見ると大したこともないことが多いんだけど、時々停まって歩くようにしないと身体に悪いから、散歩することにする。ところがこれが結構いい滝で、二段に分かれて滝壺が深くえぐられエメラルド色に輝いていた。流れゆく川の流れも黄葉を映して黄色く見える。駐車場から見た周りの山々の姿もキレイだったなあ。行きと帰りに2枚撮ったので、順番に。
   
 宿を出た後で、真っ直ぐに「もみじライン」に向かうのではなく、宿の奥の方に続く道を「深山ダム」「深山園地」という方に行ってみた。まったく聞いたこともない地元しか知らない観光地だと思うけど、この道も紅葉が凄かった。もっとも目的地の園地に着いたら、寒そうで歩く気にならなかった。前日に「沼ッ原湿原」という場所に向かった時も、着いたら寒くて何と雪が舞っていた。山奥の方から「雪の女王」の支配領域が広がりつつあるのである。ところで、山道の途中で展望が広がり、高原の方まで一望できる場所があった。手前の山は(あんまりキレイではないが)黄葉で、空と遠くの高原と近くの山がパッチワークのように区画されている。素晴らしい感じがしたけど、これが写真ではうまく撮れない。近くに合わせると、遠くがボケる。空に合わせると手前が暗い。まあ、とりあえず載せておくけど。
   
 さて、話を戻して最初の日から。まずは西那須野塩原インターで東北道を下り、千本松牧場に行こうと思うとものすごい混雑で駐車も大変そうなので敬遠。祝日なんだから仕方ない。少し飛ばして、「道の駅 明治の森黒磯」でトイレ休憩。ここは重要文化財の旧青木別邸のあるところ。明治時代に外務大臣を務めた青木周蔵である。前にも載せたことがあるが、気持ちいいところなので。その後、板室温泉を過ぎ「乙女の滝」を見る。滝はともかく、その近くの紅葉が良かったので、川と紅葉を。
   
 沼ッ原湿原に向かったが寒くてすぐ戻り、宿に入る。全館畳敷きでハダシで歩ける(よってスリッパがいらない)。ここは何と言っても、源泉掛け流しのお風呂が有名で、立ち寄り客が多いなあ。お湯はいっぱいあるからいいんだけど。最近、プールみたいなところに綱につかまって入るという「綱の湯」ができた。いや、完全に深くてけっこう大変、浮力があるから綱につかまると浮いてしまう。「歩行浴」にも最適で、これは健康に良さそう。写真は撮れなかったので、宿のサイトで。露天風呂が夜と朝の交代で二つ。露天といっても、そこに3つずつ風呂がある。さらに宿泊者専用の「畳敷き風呂」がある。朝から清掃で、8時半から入った露天(つまり前日は女性用だった方)は、豪快な「滝の湯」がウリである。ここまで強い打たせ湯は見たことがないかもしれない。湯量が多すぎて痛い。
    
 宿はちょうど紅葉の時期で、結構キレイ。客も多いようだった。料金は安くて、料理はそれなりだけど、連泊する場合はこのぐらいでいいだろう。朝食の後で外に出てみたら、玄関に近いピラカンサの木に猿軍団が。なんと10頭以上で、子ザルをいる。皆で実を食べまくっている。猿はよくいるけど、こんなとこは見たことないなあ。カメラを持っていなかったので、あとで露天風呂に行くときにまた見てみたら、まだ食べていたんだけど、カメラを上に上げた瞬間にクモの子を散らすように逃げてしまった。何かカメラにトラウマがあるのか。拡大すると少し見えるけど、大した写真にならなかったので載せない。結構広い「談話室」があったり、なかなか面白い宿だった。(写真最後は宿の前の道)
   
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