尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「華氏451」から「野生の少年」-トリュフォー全映画③

2014年11月01日 00時43分07秒 |  〃 (世界の映画監督)
華氏451(1966) ☆☆☆
 アメリカのSF作家レイ・ブラッドベリの有名な「華氏451度」の映画化。イギリスで製作され、日本ではATGで公開された。原作は最近改訳が発行されたが、「読書が禁じられた社会」を描く「ディストピア」(ユートピアの反対)ものの傑作である。叙情的な作風のブラッドベリに珍しい哲学的な内容で、必ずしも読みやすい本ではない。それを映画化するのも大変だろうと思うが、「よくやっている」とも言えるし、「うまく行ってない」とも言える。期待度をどのくらいに置くかで変ってくる。まあ、本が燃え上がる瞬間の衝撃、本好きにうれしい細部の描写、妙に忘れがたい画面のムードなどが忘れがたく、★ひとつサービスするが、僕の基本的評価は「失敗作」である。こういうのは、「問題作」と言うべきか。

 近未来物は、今見ると「素朴」に見えてしまうのが一番困った点か。主演のオスカー・ウェルナーは、「突然炎のごとく」のジュールを演じた俳優だが、トリュフォーとこの映画で衝突したという。撮影(トリュフォー初のカラー)は後に監督として有名になるニコラス・ローグ。主人公が救い出す本に「カスパー・ハウザー」がある。後に「野生の少年」を映画化する伏線だろう。最後の「本を記憶する人々」の群れに加わることになるが、その時に出てくる本は原作と全く違う。この時の本が判らないと、かなり興趣が削がれるだろう。そういう意味では、「観客を選ぶ映画」で、やはりアートシアター向けだったかもしれない。(「アンリ・ブリュラールの生涯」や「火星年代記」「高慢と偏見」などである。)キネ旬21位。
  
黒衣の花嫁(1968) ☆☆
 アメリカのミステリー作家、コーネル・ウールリッチ原作の映画化。結婚式で誤って殺された夫の復讐に殺人を重ねていく妻、ジャンヌ・モロー。そのジャンヌの魅力というか、脚などを追うラウル・クタールのカメラが見所のミステリーだけど、怪しい魅力と言う点では日本の「五辨の椿」(原作山本周五郎)の岩下志麻も負けてないし、映画の出来では勝っているかもしれない。こういう話は、狩り出すところが一番面白いのに、最後の「犯行」時だけ描いて行くのが、ミステリー映画としては欠点だと僕は思う。ミステリー映画ではなく、ジャンヌ・モローを見る映画と言われるかもしれないが。キネ旬17位。

夜霧の恋人たち(1968) ☆☆☆★
 アントワーヌ・ドワネル物の第3作。「大人は判ってくれない」を除くと、一番面白い映画。コレットに失恋し、軍隊に入るもののすぐに追い出される。今度は音楽学校に通うクリスチーヌにお熱。彼女の父の紹介でホテルに勤めるものの、探偵にダマされ浮気妻の部屋に夫を案内してしまい大騒動に。ホテルはクビになるが、その時の縁で探偵会社に勤めることになる。見え見えの尾行、靴店への潜入など、楽しい描写が続き、失敗続きのアントワーヌはどうなる…というコメディ。パリ風景も楽しく、面白い映画だと思う。68年のカンヌ映画祭粉砕につながった、マルロー文化相によるアンリ・ラングロワ(フランスのシネマテーク創設者)解任に抗議し、ラングロワにこの映画が捧げられている。アントワーヌはホテルの夜番で「暗闇へのワルツ」を読んでいるのが次作への伏線。キネ旬17位。

暗くなるまでこの恋を(1969) ☆☆☆★
 ウィリアム・アイリッシュ「暗闇へのワルツ」の映画化。(アイリッシュと「黒衣の花嫁」のウールリッチは同一人物。)冒頭でルノワールの「ラ・マルセイエーズ」が引用され、ジャン・ルノワールに捧げられている。それというのも、アフリカ大陸の東にある仏領レユニオン島の物語だからで、「レユニオン」(再併合)の意味が解説されているわけ。この場所が珍しく、目が奪われる。そこのタバコ会社社長、ジャン=ポール・ベルモンド写真花嫁を迎える。フランスでもそういうことがあるのか。船を出迎えると、写真よりずっと美しいカトリーヌ・ドヌーヴがいるのだった。謎めいたドヌーヴの謎を追い、舞台はニース、リヨン、アルプスと移り行き、二人の危険な道行きはどうなる…。破滅へ向かう恋路、あまりにも美しいドヌーヴを、見ているだけで楽しいというか、ただ茫然と見ているだけのミステリーで、今見ると「黒衣の花嫁」より面白いと思うが、当時の評価は低かった。キネ旬48位。

野生の少年(1970) ☆☆☆☆
 この映画から、同時代的に見ている。初見時は受け付けられなかったけど、今回40年以上を経て再見したら、評価が好転した。久しぶりのモノクロ映画だが、これ以後のトリュフォー作品の大部分を撮るネストール・アルメンドロスとの初顔合わせ。ロメール「クレールの膝」などを撮った人だが、後にアメリカに進出して「天国の日々」「クレーマー、クレーマー」で2回アカデミー賞を受賞する名撮影監督である。「狼に育てられた少年」という話があるが(インドのその話は怪しいらしいが)、ヨーロッパの「野人」としては「カスパー・ハウザー」(後、ヘルツォークが映画化)が有名で、当初はこっちを映画化しようとしたらしい。結局、18世紀末にフランスで見つかった「アヴェロンの野生児」を詳細に映画化した。主人公はトリュフォー自身が演じている。キネ旬16位。

 この映画が当初好きではなかったのは、トリュフォーが「文明」の立場を自明視していて、「劣った野生児」を人間生活に引き上げることを目指すのが傲慢に思えたからである。しかし、結局僕も「文明」の一員であり、「恵まれない子ども」を教育の対象にするのは非難できないと思うようになったのである。これは「特別支援教育」の先駆けと言える試みであり、誰かがやらなければならなかった。そのまま野生に戻したり、どこかの檻に閉じ込めて終わったかもしれないところを、一応屋根の下の暮らしを保障できたのだから、それ以上の何を僕が言えるだろうか。いろいろ言えるけど、もはや僕にはトリュフォーを批判できない。そうすると、ここまで美しい画面の下、これほど真剣な「教育」を描く映画が他にいくつあるだろうか。トリュフォーが自演したように、「大真面目」に作っている。それは大事なことだと思うようになったのである。この映画を見たスピルバーグが、後に「未知との遭遇」の主人公にトリュフォーを起用した。宇宙人との遭遇は、野生児との遭遇と本質的に同じだったということだろう。「感動」ではなく、「複雑な感慨」を残す美しい作品
コメント (2)
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