選挙について何回か書いたけど、日本の選挙はとにかく「普通の人が議員にならないように意地悪している」という感じである。日本の政治家に世襲が多いというけど、普通の会社員や主婦が立候補するにはハードルが高いんだから、仕方ないような気もする。さて、選挙制度に関して、様々な意見が見られるので、少し書いておきたい。誤解も多いからである。
去年の総選挙に対して「一票の価値」をめぐって憲法違反、特に2つの高裁では「無効判決」まで出た。選挙制度の抜本改革が必要なのは明らかで、今国会で成立が見込まれる「ゼロ増5減」がなっても、また次回に違憲訴訟が起きるのは確実。そこで、この問題の最終的解決策として、「議員持ち票制」にすればいいという意見が最近チラホラ見受けられるようになった。ある小選挙区の有権者数が、他の小選挙区の有権者数の2倍いるとする。これでは有権者が多い方の選挙区では、「一票の価値」が半分になるではないか、というのが「違憲」とされる。では、有権者の多い選挙区で選ばれた議員に「2票」の価値を国会の投票で与えればいいというのが、「持ち票制」の発想である。
一番有権者の少ない選挙区選出議員を「1票」とし、他の選挙区の持ち票を決めていく。小数点以下をいくつにするか問題だが、仮に小数点2位を四捨五入するとすれば、「1.1票」「1.2票」と小数点1位の数字で持ち票が決まってくる。それで、本会議の投票でもその持ち票を使うというわけである。ちょっと考えると、これは名案である。こうすれば一票の価値の平等は完全に果たされる。
しかし、よく考えると、これはおかしい。自分の選挙区で選ばれた議員が、他の議員の半分の投票価値しか持っていないということは、つまりその選挙区の有権者は国政の決定事項への関与が半分しかできないということである。これでは「一票の価値」が平等ではないという事態は同じではないか。
完全に「一票の価値」を実現させるのが憲法の要請なのだろうか。そう思うなら、小選挙区を止めて比例代表制一本にすればいい。また小選挙区制であっても、2倍の有権者数の選挙区を2つに割ればいいだけのことである。毎年、選挙区をみなおして区割りを訂正して行けばいいだけのことである。「議員持ち票」などという発想をしなくても、「一票の価値」はすぐに実行できる。なのになぜ、そんな面倒なことをしなくてはいけないのか。
面倒と言うのは、与野党が伯仲しているときなど、誰の持ち票が何票かよく判らず、投票してみなくては成否が判らないということになる。その結果、少数点以下で決着することになったとして、それは有効なのだろうか。「一票差でも多い方が勝ち」は理解できる。でも「小数点以下、0.1票の違いで決着」では、負けた方が納得できないのではないか。
それに大体、「議員持ち票制」の方だって憲法違反の可能性が高い。そもそも国民の代表である国会議員に、一票の価値が平等ではないという事態そのものが、法の下の平等に反する感じがする。憲法56条では「両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。 ○2 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。」と決めてある。
これは議員一人ひとりの投票権が平等であることを前提にしている。「出席議員の過半数」で決すると決めている以上、議員の持ち票に関わらず、頭数で半分以上の議員の投票で決するとしか考えられない。どうも、皆いろんなことを考えすぎるのではないか。選挙制度を変えれば済むことを、選挙制度はそのままでも議員の投票価値の方を変えればいいという発想、これも本質を見誤った議論だと思う。
去年の総選挙に対して「一票の価値」をめぐって憲法違反、特に2つの高裁では「無効判決」まで出た。選挙制度の抜本改革が必要なのは明らかで、今国会で成立が見込まれる「ゼロ増5減」がなっても、また次回に違憲訴訟が起きるのは確実。そこで、この問題の最終的解決策として、「議員持ち票制」にすればいいという意見が最近チラホラ見受けられるようになった。ある小選挙区の有権者数が、他の小選挙区の有権者数の2倍いるとする。これでは有権者が多い方の選挙区では、「一票の価値」が半分になるではないか、というのが「違憲」とされる。では、有権者の多い選挙区で選ばれた議員に「2票」の価値を国会の投票で与えればいいというのが、「持ち票制」の発想である。
一番有権者の少ない選挙区選出議員を「1票」とし、他の選挙区の持ち票を決めていく。小数点以下をいくつにするか問題だが、仮に小数点2位を四捨五入するとすれば、「1.1票」「1.2票」と小数点1位の数字で持ち票が決まってくる。それで、本会議の投票でもその持ち票を使うというわけである。ちょっと考えると、これは名案である。こうすれば一票の価値の平等は完全に果たされる。
しかし、よく考えると、これはおかしい。自分の選挙区で選ばれた議員が、他の議員の半分の投票価値しか持っていないということは、つまりその選挙区の有権者は国政の決定事項への関与が半分しかできないということである。これでは「一票の価値」が平等ではないという事態は同じではないか。
完全に「一票の価値」を実現させるのが憲法の要請なのだろうか。そう思うなら、小選挙区を止めて比例代表制一本にすればいい。また小選挙区制であっても、2倍の有権者数の選挙区を2つに割ればいいだけのことである。毎年、選挙区をみなおして区割りを訂正して行けばいいだけのことである。「議員持ち票」などという発想をしなくても、「一票の価値」はすぐに実行できる。なのになぜ、そんな面倒なことをしなくてはいけないのか。
面倒と言うのは、与野党が伯仲しているときなど、誰の持ち票が何票かよく判らず、投票してみなくては成否が判らないということになる。その結果、少数点以下で決着することになったとして、それは有効なのだろうか。「一票差でも多い方が勝ち」は理解できる。でも「小数点以下、0.1票の違いで決着」では、負けた方が納得できないのではないか。
それに大体、「議員持ち票制」の方だって憲法違反の可能性が高い。そもそも国民の代表である国会議員に、一票の価値が平等ではないという事態そのものが、法の下の平等に反する感じがする。憲法56条では「両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。 ○2 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。」と決めてある。
これは議員一人ひとりの投票権が平等であることを前提にしている。「出席議員の過半数」で決すると決めている以上、議員の持ち票に関わらず、頭数で半分以上の議員の投票で決するとしか考えられない。どうも、皆いろんなことを考えすぎるのではないか。選挙制度を変えれば済むことを、選挙制度はそのままでも議員の投票価値の方を変えればいいという発想、これも本質を見誤った議論だと思う。