さて今日で民主党政権も終わり。野田政権の話も書いていないので最後に書いておきたいと思う。今さらという感じもあるかと思うが、それぞれの「立ち位置」を測る際に民主党政権の3年間を振り返ることは役にたつのではないか。民主党という党は、ずっと鳩山由紀夫と菅直人が「起業」したという性格が強かった。そこに途中で「代表役員」として小沢一郎が加わる。この「鳩菅小」という頭の上の重石のような存在が引っ込んで、もっと若い世代が前面に出ると少し変わってくるのではないかと最初は少し野田政権に期待しないでもなかった。しかし、それは幻想だった、と少しして気が付いた。でも野田政権を大批判するばかりでは、自民政権カムバック支援運動になってしまうだけ。どうせどんなに遅くても2013年8月にはなくなる内閣を批判してもつまらないから、僕は何も書く気がなかった。大体今の時点でも、野田佳彦、安倍晋三、石原慎太郎、橋下徹で「首相公選」をするんだったら、仕方ないから僕は野田に一票を入れる。「ルペンにするわけにはいかないから、シラクに入れる」というようなもんだ。(2002年のフランス大統領選挙では、左翼が振るわず棄権した人が多かったので、極右のルペンが2位になって決選投票に残ってしまった。)
今思うのは、「小泉政権の呪縛」の大きさ。「自民党をぶっ壊す」と言い放ち、郵政民営化法案が参議院で否決されたら、関係ないはずの衆議院を解散して大勝利した。後継首相はその大議席を減らすリスクを抱え続け、結局2009年夏まで解散できず、民主党に大敗してしまった。その「オセロゲーム」の怖さを知る民主党もまた、解散先送りを続けることになる。小泉以後にも首相には「小泉的な振るまい」が求められ、福田康夫は自分が国民を熱狂させるリーダーではないと自覚していただろうが、安倍、麻生、政権交代後も鳩山、菅と「強いリーダー」を演じられる(と自分では思い込める)タイプが首相を務めては失敗してきた。
鳩山由紀夫が「最低でも県外」と言ったのは、たぶん当てがあったのではなく、選挙での受けねらいで「善意」からそう言ったのだろう。菅首相が参院選で消費税に言及したのも、本気で財政立て直しが必要だという「善意」だったんだと思う。自民党は官僚にあやつられ既得権力を守るだけの「悪人集団」で、民主党はそういう自民政治を打ち破る「善玉のヒーロー」だというだというムードをあおって政権獲得をしてしまったから、この党には権力を動かしていくときの「あくどさの力」が不足していた。そんなものはいらないということはないだろう。民主党政権で使った「権力者の力」は、鳩山首相が福島少子化担当相(社民党首)を罷免したときと、菅首相が東電に乗り込んだときくらいだったのではないか。僕が民主党政権に思うことは、「善人は若死にをする」(by大西赤人)という言葉である。権力には「悪」もついてくるが、それは劇薬で間違えて使うと身を滅ぼすが、必要な時もある。必要な時に民主党政権は使わなかった。中曽根、後藤田みたいな政治家が民主にいれば、(別に全然好きではないんだけど)また違ったかもしれない。仙谷由人は多少そういう「悪人性」があったが、その力をうまく使えていたとは思えなかった。
せっかく得た権力は内輪で分配することで使い果たしてしまった。各グループの長老級老人連に交代で大臣枠を配っていったのはまずかった。まあ高齢議員には二度とない政権与党だから、どんどん大臣を量産したのかもしれないが。女性大臣の数が極端に少ない。自民党政権では、野田聖子だの小渕優子だの皆抜擢されてきた。まあ蓮舫がいるではないかというかもしれないが。菅内閣で一時女性閣僚がゼロになった時は、僕はこのブログで批判したけれど、マスコミでは大きな問題にはならなかった。千葉景子法相、蓮舫行政刷新相、岡崎トミ子国家公安委員長、小宮山洋子厚労相、田中真紀子文科相の3年間合わせてたった5人である。(社民党の福島党首を除く。)党内には閣僚適齢期の女性議員がいなかったのは確かである。でも抜擢と民間人枠を使っても、女性閣僚を内閣に5人くらい入れればイメージはだいぶ違った。小泉、安倍の自民党では4人もいたのである。そこら辺の感覚、党内のやっかみをおさえても「お飾り」を入れる力。それが現代では必要だった。
野田氏は「運命のいたずら」で党の代表を引き受けることになった。新進党で96年総選挙に落選した野田氏は、「さきがけ」出身で最初から民主党で当選を続けている前原、枝野らに比べ当選回数が一回少ない。2002年9月の代表選挙では、若手統一候補として出馬して、鳩山、菅に次ぐ3位となり、横路を上回った。しかし、2005年の郵政解散惨敗後の代表選では、若手統一候補に前原が選ばれて代表に当選した。そのため、鳩山、菅、岡田、小沢、前原と5人いる代表経験者は、2009年の鳩山政権成立時に閣僚または幹事長になったのに、野田は財務副大臣に留まった。しかし財務大臣の藤井が翌年早々に辞任、続いて横滑りした菅直人のもとで副大臣、菅が首相になると財務大臣昇格と一番重要なポストが転がり込んできた。前原が外相を献金問題で辞任していたという事情もあり、菅内閣の総辞職後は首相にまで上り詰めた。つまり、民主党では次代のリーダーは「野田か前原か」と言われ続けていたわけだが、野田の方が首相になれたのは「人間万事塞翁が馬」というようなもんだろう。
この段階では、参議院で過半数を持っていないという事情を野田氏が引き継いだわけで、元々保守の野田氏は「民自公でできること」に政策をしぼらざるを得なかった。それは仕方ないと言えば仕方ないんだけど、今から思えば「筋から言えば野田内閣そのものがなくても良かった」と思う。野田氏がもっと早く解散していれば、政権は失っただろうが150程度は当選したのではないか。民主党内では、もう一回予算編成をしてから野田首相を代えて解散すればよかったというようなグチを言う人もいるようだが、一月ほどの細野内閣を作って何の意味があるか。「4人目の首相」では50議席も行かなかったのは確実である。保守的な政治観の持ち主だからとって、世襲でもない野田氏が新進党崩壊後に自民党に行っていても、首相になれていたはずはない。せいぜい大臣一回経験したくらいだろう。野田氏が民主党に入ったのは正解だった。野田首相と対抗する自民党総裁を選ぶときも、まあ思い出立候補の町村氏を除き、安倍、石破、石原、林と50代の候補がそろった。もうこれからは世界と伍していくために、大体は50代以下の指導者になっていくだろう。野田氏の最大の功績をあえて挙げれば、政界の若返りを進めたことではないか。
民主党政権になったらすべてうまく行く、「官僚政治」は完全に変わるなどという期待は、僕はほとんど抱いていなかったので、逆に民主党政権に裏切られた、失望だけだなどという感想はない。参議院の過半数を失った中で、「高校授業料の無償化」ができただけでもそれなりの実績である。そう思うんだけど、菅内閣にはまだあった、2010年夏に「韓国併合100年」の総理大臣談話をだすというような発想が、野田内閣にはなかった。「外交オンチ」がはなはだしく、人権と歴史の感覚も乏しかった。そういうタイプのリーダーが、自民では出世できないと見切って民主党に集まってしまった。世代交代を進めて、一時は清新さを出したけれど、結局「本性はタダのおじさん」だったというのが野田内閣ではないか。7月7日(盧溝橋事件の日)に尖閣国有化を決め、9月11日(満州事変の起きた9・18の直前)に国有化を実行するなどと言うのは、外務官僚は何をしてたのか、ブレーンはいないのか。中国からすれば「挑発」というべき日付で、そういう配慮ができる人ではなかった。まあ、国会周辺に行った人は知ってると思うが、この3年間右翼街宣車は、「民主党の反日亡国政治打倒」なんてことを言って回り続けていた。右傾化する日本の状況を反映して、目が国内にしか向かなくなってしまったのが、野田政権だったのではないか。
まあそれはともかく、どこかの党になれば政治を全面的に変えてくれるなどと言うことはない。維新に一票を入れる前に、僕なら大阪市民がより幸せになったかどうかを確認してからにしたい。でも、全員が幸せにならなくてもいいという立場に立ってしまえば、格差が拡大していることをもって「橋下市政がうまく行った証拠」とみなす人もいるかもしれない。想像力がますます必要な時代を迎えるんだろう。僕は民主党はなくてもいいと思うけど、というかどこの党もなくてもいいけど、自民よりも左の方である程度の大きさのある党、が存在しないと、自民党がまた国民の不信をかったときに、右の選択肢しかなくなってしまうのも困る。まあ、今後の話はいつか書くとして、民主党の3年間を検証することは今こそ必要なのではないか。
今思うのは、「小泉政権の呪縛」の大きさ。「自民党をぶっ壊す」と言い放ち、郵政民営化法案が参議院で否決されたら、関係ないはずの衆議院を解散して大勝利した。後継首相はその大議席を減らすリスクを抱え続け、結局2009年夏まで解散できず、民主党に大敗してしまった。その「オセロゲーム」の怖さを知る民主党もまた、解散先送りを続けることになる。小泉以後にも首相には「小泉的な振るまい」が求められ、福田康夫は自分が国民を熱狂させるリーダーではないと自覚していただろうが、安倍、麻生、政権交代後も鳩山、菅と「強いリーダー」を演じられる(と自分では思い込める)タイプが首相を務めては失敗してきた。
鳩山由紀夫が「最低でも県外」と言ったのは、たぶん当てがあったのではなく、選挙での受けねらいで「善意」からそう言ったのだろう。菅首相が参院選で消費税に言及したのも、本気で財政立て直しが必要だという「善意」だったんだと思う。自民党は官僚にあやつられ既得権力を守るだけの「悪人集団」で、民主党はそういう自民政治を打ち破る「善玉のヒーロー」だというだというムードをあおって政権獲得をしてしまったから、この党には権力を動かしていくときの「あくどさの力」が不足していた。そんなものはいらないということはないだろう。民主党政権で使った「権力者の力」は、鳩山首相が福島少子化担当相(社民党首)を罷免したときと、菅首相が東電に乗り込んだときくらいだったのではないか。僕が民主党政権に思うことは、「善人は若死にをする」(by大西赤人)という言葉である。権力には「悪」もついてくるが、それは劇薬で間違えて使うと身を滅ぼすが、必要な時もある。必要な時に民主党政権は使わなかった。中曽根、後藤田みたいな政治家が民主にいれば、(別に全然好きではないんだけど)また違ったかもしれない。仙谷由人は多少そういう「悪人性」があったが、その力をうまく使えていたとは思えなかった。
せっかく得た権力は内輪で分配することで使い果たしてしまった。各グループの長老級老人連に交代で大臣枠を配っていったのはまずかった。まあ高齢議員には二度とない政権与党だから、どんどん大臣を量産したのかもしれないが。女性大臣の数が極端に少ない。自民党政権では、野田聖子だの小渕優子だの皆抜擢されてきた。まあ蓮舫がいるではないかというかもしれないが。菅内閣で一時女性閣僚がゼロになった時は、僕はこのブログで批判したけれど、マスコミでは大きな問題にはならなかった。千葉景子法相、蓮舫行政刷新相、岡崎トミ子国家公安委員長、小宮山洋子厚労相、田中真紀子文科相の3年間合わせてたった5人である。(社民党の福島党首を除く。)党内には閣僚適齢期の女性議員がいなかったのは確かである。でも抜擢と民間人枠を使っても、女性閣僚を内閣に5人くらい入れればイメージはだいぶ違った。小泉、安倍の自民党では4人もいたのである。そこら辺の感覚、党内のやっかみをおさえても「お飾り」を入れる力。それが現代では必要だった。
野田氏は「運命のいたずら」で党の代表を引き受けることになった。新進党で96年総選挙に落選した野田氏は、「さきがけ」出身で最初から民主党で当選を続けている前原、枝野らに比べ当選回数が一回少ない。2002年9月の代表選挙では、若手統一候補として出馬して、鳩山、菅に次ぐ3位となり、横路を上回った。しかし、2005年の郵政解散惨敗後の代表選では、若手統一候補に前原が選ばれて代表に当選した。そのため、鳩山、菅、岡田、小沢、前原と5人いる代表経験者は、2009年の鳩山政権成立時に閣僚または幹事長になったのに、野田は財務副大臣に留まった。しかし財務大臣の藤井が翌年早々に辞任、続いて横滑りした菅直人のもとで副大臣、菅が首相になると財務大臣昇格と一番重要なポストが転がり込んできた。前原が外相を献金問題で辞任していたという事情もあり、菅内閣の総辞職後は首相にまで上り詰めた。つまり、民主党では次代のリーダーは「野田か前原か」と言われ続けていたわけだが、野田の方が首相になれたのは「人間万事塞翁が馬」というようなもんだろう。
この段階では、参議院で過半数を持っていないという事情を野田氏が引き継いだわけで、元々保守の野田氏は「民自公でできること」に政策をしぼらざるを得なかった。それは仕方ないと言えば仕方ないんだけど、今から思えば「筋から言えば野田内閣そのものがなくても良かった」と思う。野田氏がもっと早く解散していれば、政権は失っただろうが150程度は当選したのではないか。民主党内では、もう一回予算編成をしてから野田首相を代えて解散すればよかったというようなグチを言う人もいるようだが、一月ほどの細野内閣を作って何の意味があるか。「4人目の首相」では50議席も行かなかったのは確実である。保守的な政治観の持ち主だからとって、世襲でもない野田氏が新進党崩壊後に自民党に行っていても、首相になれていたはずはない。せいぜい大臣一回経験したくらいだろう。野田氏が民主党に入ったのは正解だった。野田首相と対抗する自民党総裁を選ぶときも、まあ思い出立候補の町村氏を除き、安倍、石破、石原、林と50代の候補がそろった。もうこれからは世界と伍していくために、大体は50代以下の指導者になっていくだろう。野田氏の最大の功績をあえて挙げれば、政界の若返りを進めたことではないか。
民主党政権になったらすべてうまく行く、「官僚政治」は完全に変わるなどという期待は、僕はほとんど抱いていなかったので、逆に民主党政権に裏切られた、失望だけだなどという感想はない。参議院の過半数を失った中で、「高校授業料の無償化」ができただけでもそれなりの実績である。そう思うんだけど、菅内閣にはまだあった、2010年夏に「韓国併合100年」の総理大臣談話をだすというような発想が、野田内閣にはなかった。「外交オンチ」がはなはだしく、人権と歴史の感覚も乏しかった。そういうタイプのリーダーが、自民では出世できないと見切って民主党に集まってしまった。世代交代を進めて、一時は清新さを出したけれど、結局「本性はタダのおじさん」だったというのが野田内閣ではないか。7月7日(盧溝橋事件の日)に尖閣国有化を決め、9月11日(満州事変の起きた9・18の直前)に国有化を実行するなどと言うのは、外務官僚は何をしてたのか、ブレーンはいないのか。中国からすれば「挑発」というべき日付で、そういう配慮ができる人ではなかった。まあ、国会周辺に行った人は知ってると思うが、この3年間右翼街宣車は、「民主党の反日亡国政治打倒」なんてことを言って回り続けていた。右傾化する日本の状況を反映して、目が国内にしか向かなくなってしまったのが、野田政権だったのではないか。
まあそれはともかく、どこかの党になれば政治を全面的に変えてくれるなどと言うことはない。維新に一票を入れる前に、僕なら大阪市民がより幸せになったかどうかを確認してからにしたい。でも、全員が幸せにならなくてもいいという立場に立ってしまえば、格差が拡大していることをもって「橋下市政がうまく行った証拠」とみなす人もいるかもしれない。想像力がますます必要な時代を迎えるんだろう。僕は民主党はなくてもいいと思うけど、というかどこの党もなくてもいいけど、自民よりも左の方である程度の大きさのある党、が存在しないと、自民党がまた国民の不信をかったときに、右の選択肢しかなくなってしまうのも困る。まあ、今後の話はいつか書くとして、民主党の3年間を検証することは今こそ必要なのではないか。