尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

高石ともや年忘れコンサート

2012年12月20日 00時33分54秒 | 自分の話&日記
 僕が多分1982年以来30年間、夫婦で行っている高石ともや年忘れコンサート。これに行くと今年も終わるんだなあと思う。昔は有楽町の読売ホール(旧そごう、今のビックカメラの8階)でやっていたが、そこはもうホールが使えないので、ここ数年は亀戸のカメリアホール。そこは小さいので、大体満員。コンサートや舞台というより、僕には東京大空襲や関東大震災の集会で行った思い出の方が強いところ。

 毎年ホノルルマラソンの直後だけど、今年も30何回目かの参加をしてきたという。何でも足を痛めて入院した後だったということで、それでもよく走れると感心。まあ、70を超えてフルマラソンを走るということ自体がすごい。歌うだけでなく、今でも70を超えてギターがうまく弾けるようになってきたという話をしている。そういうところもすごい。ちょうど今日、上野千鶴子「男おひとりさま道」(文春文庫)を読んでいるのだが、高石ともやさんも去年から「死別シングル」である。料理もしながら頑張っているらしい。

 6月に安倍晋三と法然の集まりで偶然隣になって、「健康はもういいんですか」と聞いたら、「最近いい薬ができて」という話だったという。「失礼しました。歌うたいの高石ともやと言います」と自己紹介したら、「受験生ブルースですね」と言う話になったというのがおかしい。安倍晋三は1954年生まれで、僕の一つ上、まさに同時代で、ラジオで冬になると「受験生ブルース」が流れていた。でも、高石ともやさんは1941年12月9日生まれ、ハワイの真珠湾攻撃の翌日の生まれである。ハワイ時間で言うと、7日がパールハーバー、8日がジョン・レノン暗殺の日だという。ジョン・レノン殺害犯はハワイ生まれで、奥さんが日系人だったという。そこで「イマジン」を歌った。

 北山修が「戦争を知らない子供たち」の詞を書いたけど、加藤和彦がこの詞では曲を書けないと言って、杉田二郎が書いたという。子どもが大きくなって、「はだしのゲン」を読んで広島の記念館を見たいと言って連れて行った。アメリカは悪いと子どもは言ったけど、戦争では日本人もひどいことをしたと子どもに伝えて行かなくてはと思って、北山修は新しい歌詞を書いた。それが「戦争を知らない子供たち 83’」と言う曲である。教科書の文章を引用しながら、日本が朝鮮で、中国で起こした出来事をつづっているという難しい歌詞。これを最近はかなり歌っている。若い人が戦争の時代を知らないことに対して、伝えて行く役目もあるということで。

 ギターを聞かせるという趣旨もあって、カーター・ファミリーやウディ・ガスリー、ボブ・ディラン「神が味方」(朝日新聞から、ボブ・ディランがノーベル賞を取ったらコメントをお願いしますと事前の電話があったという話)、ゴードン・ライトフット「朝の雨」などを歌った。今年はチケット売り出しの日に買ったので、席はかなり前。バンジョーの名手坂本健の「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」を毎年聞いてるけど、今年が一番近くで見たかもしれない。やはりうまいなあ。

 昔のようにいろいろなゲストを呼ぶことは今はない。灰谷健次郎や岡本文弥はここでしか聞いてない。谷川俊太郎の詩に曲を付けたCDを作った時の谷川さん。高田渡も良かったけど、遠藤賢司(エンケン)を聞いた時はホントビックリ。「カレーライス」なんかの曲は知ってたけど、本人は見たことはなかった。あまり驚いて、CDを買ってしまった。そういう風に実にいろいろなゲストを呼び、昔はそれが面白かったけど、今は毎年来てるような高齢化した観客とともに、ひっそりと隠れ里的なコンサート。僕も事前にアナウンスする気はない。毎年の楽しみと一年の終わりの確認。
コメント
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