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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

陸前高田に行きました

2011年04月15日 21時42分42秒 |  〃 (震災)
唐桑でお世話になっている方の妹さんが陸前高田から避難して来ています。

今日はその妹さんの思い出の品を探しに行きました。

海辺に近いその集落は完全に壊滅していて、水産会社のさんまがあたり一帯に散乱しています。

結局ご本人のものは見つかりませんでしたが、かなり遠くから流れてきたアルバムを見つけました。市議会議長を務めた方らしく特定できそうです。

その後、高田松原まで行きました。松が数万本あったという名所です。

市内は完全に壊滅していて、僕は「日本のグラウンドゼロ」だと思いました。

地盤沈下してまだ海水が引いてないところがいっぱいあります。湖のような状態。堤防も壊滅しています。

松もほとんどなくなってしまったけれど、奇跡的に一本だけ残っています。まさに復興のシンボルのように。

尾形修一
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震災ワークキャンプ2日目

2011年04月14日 17時04分53秒 |  〃 (震災)
唐桑には今、自衛隊がたくさん入っています。行方不明者の捜索が中心と聞きます。

まだ自衛隊が活動している現場でワークすることがあるとは思いませんでした。

とにかく、未曽有の大災害です。今はまだ、ようやく片付けが始まった段階、ボランティアを受け入れ始めた段階。

屋外作業中心、危険性もないとは言えません。

電気は通じています。物質もかなりあります。それでも、被害が大き過ぎて手当てできないことが多すぎると感じました。
また。

尾形修一
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震災ボランティア1日目

2011年04月13日 16時45分43秒 |  〃 (震災)
昨日東北へ入りました。東北道を福島に入ると道がかなり悪くなり、段差があったり、修理のあとが多くなりました。

夜になって気仙沼の唐桑半島につきました。

今朝からボランティア。災害からひと月立って、まだガレキの山。近くにあるスーパーのコメリの屋根に自動車が乗ったままになっています。

そういう状態なので、今まで国内ではあまり経験したことのない、本物のワークキャンプをしています。

具体的には、被災者宅の荷物片付けをお手伝いしました。

人生の様々な記念の品も皆なくなってしまったわけです。と同時に人間はいかにたくさんのモノに囲まれて生きているか、改めて感じさせられた1日でした。

くわしくは、また。
では、また報告します。
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大震災から4週間②

2011年04月08日 22時06分22秒 |  〃 (震災)
 少し復旧しかかったところで、また昨夜の余震(にしては大きすぎ)で東北地方は停電です。
 あの「巨大津波」を直接体験していない人も、映像が頭に焼き付いているでしょう。体はいつまでも揺れてる感じで「地震酔い」がよみがえった人もいるでしょう。

 だから刺激しないというのも一つの考え方ですが、それより皆がそれぞれの恐怖や悲しみなどを語っていくべきだと思います。特に学校では、淡々と学習することがよいのではなく、この巨大な共同体験を真正面から生徒、児童、学生に語りかけるべきだと思います。

 節電態勢にある東北電力、東京電力管内では生活のあり方が大きく変わったので、まさに「東日本大震災」。阪神淡路大震災、オウム真理教事件が起こった1995年をも超える、巨大な民族的共同体験です。東京では、直後の電車本数がカットされ朝の通勤が大きく乱れました。エスカレータも止まり長い階段を上ったりしなければなりません。(現在もそれは続いています。)しかし、誰一人文句を言う人は見たことがなく、いつも以上に混雑している駅でも整然と行動していました。

 昨日は余震で中途半端で終わったのですが、僕が言いたかったのは「この巨大な共同体験を、強国ナショナリズムに回収させてはならない」ということです。

 そして、エスカレータやエレベータが止まってると、障がいを持つ人々は外出ができなくなっているのではないかという想像力を持つことだと思います。駅にエレベータが付いたのは、つけるように要求してきた運動の成果ですから。

 そして、今後は復興に向けた財源問題が避けられません。今回は長い三陸海岸の漁業生産設備がすべて壊れたというに近く、また多くの田畑が津波で冠水しました。地盤沈下で、今後の防災も考えると、従来の土地に住宅を立て直すということにはならないでしょう。
 つまり、壊れた住宅を立て直すことが大目標だった今までの復興とは、もう全く全然違う。必要なカネもけた外れ。いくら空前の義援金が集まっても、1兆円にはいかないでしょう。しかし復興資金は20兆円近く考えなければならないでしょう。

 じゃあ、どうする? って、いくら政府が節約しても限界があり、国債増発にも問題があるから、どうしたって増税しかないのです。ここをきちんと語れる政治勢力があるかどうか。
 今回は、増税分はすべて復興で支出され民間企業に回るので、年金財政を支えるための増税のようなデフレ効果はありません。政治家皆判ってるのに、だけど最初に言い出せない。
 (福島原発問題はまた別に論じます。) 
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大震災から4週間①

2011年04月07日 22時21分32秒 |  〃 (震災)
 今日は、三鷹高校土肥前校長の裁判の本人尋問を傍聴に行ってきました。争点は細かいので今は書きません。希望者が多くて補欠で待ち時間があったので、携帯メールでかなりの人に一斉連絡してみました。5人から反応があったからかなりの高率。いや、若い人はケータイでこのブログを見てるけど、年長者はケータイでブログは見れないと思ってたり、パソコンもたまにしか開かないって人がけっこう多いんですよ。ブログはほぼ毎日更新してるし、東北キャンプの話も出てきたから、実は周りの人には毎日見て欲しいなあと思ってるわけ。

 さて、震災について何回か書きます。
 この大震災の全貌、影響はまだまだつかみ切れません。ひと月近くたって、死者数は阪神大震災の2倍ほど。しかし、いまだに行方不明者の方が、死者よりさらに多いのです。こんな災害は僕らの想像力を超えています。東京大空襲とか原爆とかに匹敵する歴史的な出来事に今直面していると思うべきでしょう。

 そんな中で、テレビでは「AC」の広告ばかりが流されています。勘違いしやすいのですが、ACは政府広報ではありません。マスコミ各社の作った財団法人だそうです。自粛や経済悪化で民間企業の広告が少なくなったところに流しているわけです。だから、それほど日本経済が落ち込んでるという指標と見るべきでしょう。それでもあまりに多いので、最後に流れてた「エースィー」のとこがうるさいという苦情が殺到したらしく、最近は最後の音はなしのヴァージョンになってます。

 それにしても「日本は強い国」編は何とかならないのでしょうか。弱くたっていいじゃやない。病気の人、障がいの人、未だに悲しみを忘れられない人…。いろんな人がいるでしょうに、あれじゃ「弱い人を追いつめる」恐れを感じます
 
 「日本はやさしい社会。大変な時はみんなで支えあう。障がいのある人も…外国から来た人も…高齢者も子供たちも…ペットだって…」。そこで、この前3週間ぶりに海上で救出されて飼い主のもとに戻れた犬が尾を振る。というのはどうですか?

 今またかなり強い地震。もう飽きたよなあ。また明日に続けます。
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FIWC気仙沼・唐桑キャンプ

2011年04月04日 22時33分53秒 |  〃 (震災)
 昨日のお花見で知ったのですが、フレンズ国際ワークキャンプでは、早くも東北の支援に動き出していました。

 場所は、今は気仙沼市になっている旧唐桑町。ここはFIWCとかかわりがあります。1972年、ハンセン病回復者の鈴木重雄さんが町長選挙に立候補し惜敗したという歴史があります。詳しいことは、以下のホームページで知ることができます。http://musubi.la.coocan.jp/pdf/mu/musubi9.pdf

 FIWCは、元々は外国由来のボランティア団体で日本でも各地にありますが、鈴木さんとの関わりは関西委員会が中心のため、僕は思い浮かべませんでした。

 韓国で、中国で、フィリピンで、ネパールで、と海外での活動がここ20年以上中心ですが、昔は伊豆の狩野川台風の救援キャンプ(確か、当時関東委員会所属の故筑紫哲也さんが参加した)とか、いろいろ日本各地でもやっていました。阪神淡路大震災の時も実施しています。

 ということで、来週にでも参加しようかと今考えています
 今直ちにということは、健康保険や年金とかの処理があるので、できません。も少し準備がいる。

 学生、「フリーター」の人などで、参加希望の方はいますか? もしいたら、連絡ください。車がないとダメなので、一緒に行って一週間程度をまず、となるでしょう。
 くわしい日程は相談で。自分の携帯アドレスは昔公開してあるので、ここに連絡してください。
bv-ogata@ezweb.ne.jp
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大震災と知事発言

2011年03月16日 20時25分12秒 |  〃 (震災)
 地震のことで気持ちがいっぱいで、教員免許更新制のことがなかなか書けません。
 しかし、どうしてもこのことを書いておきたいと思います。

 大震災が起こり無神経な発言をした知事がいました

 そうです。大阪府の中川和雄知事です。阪神大震災の翌日、「(被災者は、大阪を頼らず)コメと台所があれば自ら炊き出しができるのにそれをしようとしない」と発言しました。
 覚えていますか?
 結局中川知事はこの発言が批判されたことも一因で、4月の知事選には立候補せず、1期で退いたのでした。(後任に当選したのは、横山ノックでした。)

 ♪まわる まわるよ 時代はまわる
 
 さて、今回の大震災に対して「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。」と石原都知事が発言しました。

 無神経度では、今回の方が上回ると思うのですが、どうでしょうか?

 4月の都知事選に不出馬の観測が強く、あろうことか隣県の知事が後継含みで立候補宣言までしたのに、急遽4選出馬を宣言。理由が「このまま割れると1位の得票率が25%に満たなく決選投票になる可能性があるから」「これまでの石原都政が大きく変化する可能性があるから」とかいうものらしいです。
 これは「我欲」ではないのですか?

 是非、中川氏にならったきれいな出処進退を強く望んでいます。

 こういうことを言う人はいつもいます。関東大震災のあとでは、「天譴論」(てんけんろん。堕落した東京に対して天が譴責したという議論)が現れました。地震という自然現象に社会的な意味を見出すのはおかしいですが、それでも天譴論の場合、批判対象=東京と被害地域=東京が重なってはいました。今回の天罰発言では、東北地方の海岸地域の住民が特に「我欲」で生きていたとでも言うのでしょうか。

 もちろんどんな地域にもいろんな人がいるでしょうが、今回の被災地域にはこんな素晴らしい人々がいます。読んだことがありますか?必読ですよ。
 気仙沼市の畠山重篤さんの本。「森は海の恋人」「リアスの海辺から」(どちらも文春文庫)
 「森は海の恋人」運動については、http://www.mori-umi.org/

 勤務先では、あさってが卒業式。明日からは、学校の思い出について書いてみたいと思っています。
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情けは人のためならず

2011年03月13日 22時08分23秒 |  〃 (震災)
 今回の大震災、マグニチュード9.0.日本で最大。1世紀に5回ほどしか起こらない規模。

 東日本の太平洋岸の被害は、未曽有の規模であることがはっきりしてきました。
 正直言って、このような規模の地震がこの地域で起きることは誰も予想していなかったのではないでしょうか。北海道から東北沖は今までも地震は起こっているし、一方、関東・東海・南海地域はしばらく大地震が起こっていません。

 阪神・淡路大震災は都市直下型で、だからこそ高速道路が倒壊したりしました。それも大変でしたが、今回は県庁所在地からも遠い地域で、救援にもなかなか行けない恐れがあります。

 阪神の時は関わっている団体のボランティアを手伝いに行きました。もう何週間か経っていましたが、新幹線は大阪どまり。でも阪神を乗り継いである程度近くまでいけました。
 
 今回は、被害者数、倒壊家屋数では測れない、恐るべき惨状が予想されます。もともと大都市で人口が多かった、家も多かった神戸と違い、今回の三陸沿岸の町ではほとんど都市地域自体がなくなってしまったかのような映像が放映されています。戦争の写真でしか見たことがないような光景です。

 地域社会の復興には、阪神大震災以上の時間と資金がかかることを予想しておかなければならないでしょう。

 現時点では、直接できることは少ないと思います。節電の協力と資金援助。あとは専門家に任せる段階です。

 内田樹さんがブログで述べているように、「寛容」、「臨機応変」、「専門家への委託」が現状でわれわれが心がけるべきことだと思います。
 
 あと二つ、あえて付け加えると、「自信をもって」と「情けは人のためならず」。

 東京でも結構揺れたのに、被災地を含め、学校が倒れて生徒が多数死んだとか、役場が倒れて行政機能が止まったとかの例は聞きません。手抜き工事はなかったわけです。
 あたりまえだけど、略奪とかもどこでも起こらない。あたりまえです。でも、それが新鮮に見える社会もあるわけです。

 人間は生まれ育ったところが、やはり一番懐かしい。時間がかかっても、必ずや町の復興は成し遂げられるはずです。そう言い切れるのが、それが災害とともに生きてきた日本人の誇りだと思っています。

 今、中国からもニュージーランドからも救援隊が来ています。四川やクライストチャーチを日本人が助けに行きました。別にお返しを期待して救援したわけではないですが。
 でも、こういうのが「情けは人のためならず」だと思います。

 「同情するのは相手のためにならない」という意味だと間違っている人が多いというこのことわざ。もちろん、「他人を手助けすれば、いざ自分が困ったときにも助けてくれる」という意味です。

 東京の人間は、ものごころついた時から、いつか東京で大地震が起きると言い聞かされてきました。まだ起きない。でも、やはりいつかは必ず起きるはずです。そう思っています。
 その時は、全日本、全世界から救援に来てくれると、心から信じています。
 だから、今回も「情けは人のためならず」。 
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大地震と学校

2011年03月13日 01時00分40秒 |  〃 (震災)
 毎日更新中のブログは、中途で挫折!しかし、やむを得ません。

 11日は、もちろん学校にいて、生徒約100人ほどと朝まで避難していました。都立高校は避難ステーションになり、終日お仕事でした。

 12日、帰ってみると、本棚が倒れ、部屋が大変なことになっていました。
 「帰って、寝て、夕食食べて、本を片付けて、お風呂に入って、ナウ」です。

 しかし、学校にいる時で良かった!! 帰宅途中だったり、休暇や出張で出ていたら、大変なことになっていました。まあ、地震が起きる時間は自分で選べませんが。

 もちろん、地震当初は数時間で交通機関が復旧すると思っていたので、朝まで無理らしいとなったときは、えええっって!感じでしたが。でも、今から考えると、政府や都の「職場で待機方針」が素早く出て、正しかったということです。

 地震当時は生徒数人と職員室でおしゃべりしていました。揺れ始め、小さな揺れが長いので、遠くて大きいなと感じましたが、その後東京でも相当大きな揺れになりました(震度5弱)。過去の地震の記録から、生命身体の危機にはならないとわかっていたので、落ち着いていました。
 でも、今まで経験した中で一番長い揺れで、船酔いするような感じでしたよね。

 学校では、プールの水があふれ、時計や本が落ちましたが、大きな被害はありませんでした。
 ただし、生徒が100人ほどいました。
 勤務先は、3部制高校で、朝の部の生徒は(部活動などで数名はいたけど)、あまりいない時間帯。夜の部の生徒も、まだあまり来ていない時間帯。ということで、2部(午後部)中心に、100人ほど、となります。

 学校は、暖房もあり、非常用の毛布や食料もあります
 さらに、3部のための給食もあったので、ずいぶん恵まれていました。学校にいて良かったと最初に書いたのはそういう意味です。

 普段は給食を食べたことのない1・2部の生徒は、携帯電話で写真を取っていましたね。
 小説や漫画の中では文化祭前に泊まり込んだりする場面もあるけど、今じゃ学校に泊まることは許されないから、この段階の生徒には、ある種の「非日常的な興奮」もありましたよね。

 でも、すさまじい被害実態が伝わるとともに、家族ともなかなか連絡がつかない場合も多く、週末の疲れがたまってきたようです。でも、余震が東京でもすごく多くて、寝られなかった生徒も多いようでした。
 東京は外的被害自体はほとんどないのに交通が止まったということなので、アドレナリン出まくり状況にはならないで、ただ疲れがたまるというのに近い感じだったかな。

 勤務先の学校は場所、規模から外部の人の救援はあまり多くありませんでした。もっと規模の大きな高校では一般の人が多数避難にきて、大変な状態で勤務した先生も多かったのではないかと思います。

 一日たって、まだ被害の全貌は見えません。想像を絶する津波被害が出ているのではないかと心配です。学校としても、自分としても、何ができるか考えていきたいと思います。
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