工藤鍼灸院・院長のひとりごと2

真岡市(ハローワーク向かい)
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あなたの街のはり屋さん
お灸もやってます

なんとなく思った話

2007年05月19日 23時59分45秒 | その他
土曜日は一週間で一番アクセス数が少ない曜日でございます。まぁね、みなさん束の間の休日初日にわざわざパソコン立ち上げないですよねぇ。僕だって仕事のない日は立ち上げないもん。
そこで本日はね、最近感じた事をあてもなく思いつくままに語ってみようかしら~と思っております。御覧頂いている皆様方は、どうぞお気軽にお付き合いくださいませ。きっとつまんないと思いますけどね。

今年に入りましてからというもの、自分自身が「老いる」という事に対する考え方に変化が出て参りました。
それまでもね、まぁ漠然とした形ではありましたが、自分自身の老後についてあれこれ想像するってのはありました。今はまだそんなに感じておりませんが、ある程度老いてくれば体力的に今と同じような仕事のやり方は難しくなってくるだろうと。夜中の1時に往診へ行って朝5時にはもう鍼灸院に患者さんがいるとかね、今は全然苦じゃないですが、そんな無茶苦茶な仕事っぷりはこの先20年も30年も続けられるはずがない。それだけのやる気というか、いくつになっても今と同じ無茶苦茶な仕事を続けたい気持ちはあると思うんですよ。でもね、体力の限界は必ずやってくるはずなんです。あの大横綱・千代の富士だって例外ではなかったのですから。
仕事以外の面でもね、例えば動きが鈍くなってくればクルマの運転だってどこかで一線を引かなくちゃならなくなるだろうし、そうなれば今のように自由に行きたい場所へ行くってのもできなくなるかも知れないじゃないですか。自由を奪われるってのは辛いよね、きっと。
僕はねぇ、老いる事それ自体に対してはそれほど否定的な考えは持っていないんですよ。ただしかし、老いる事で様々な制限が生じてくるっていう可能性に関してはね、今までは大きな不安を抱いていたのでございます。

それがですねぇ、果たしてその老後という年代まで自分は生きているのか?義父のように、元気だった自分ももしかしたら突然若くして死んでしまうかもしれないっていう、そんな可能性もあるんだっていう事に気付いたんです。気付いたというよりも、あえてそういう可能性は考えないようにしていたのだと思います。自分自身が還暦前に死ぬなんて、全く考えた事もありませんでした。

だから要するにね、老後の事を考えるってのはさ、老いてもなお健康でいる事に対する備えをするっていうのではなく、生きる事に対するリスクそのものを考えるって事なんだなぁってね、そういう考え方に変わって参りましたよ。

そう考えればね、そのリスクを回避するには早死にするか長生きしちゃった時のための保険的な何かを用意しておくか、どっちかなわけね。
早死にしちゃうのは不本意だし、できれば孫の顔でも見られるくらい、ある程度の年令までは生きてみたい。でも生きれば生きるほど仕事や私生活に対するジレンマが発生してくるし・・・。まだこのへんは自分の中でも未解決でございます。

とまぁそんなわけでね、何だかあやふやなおわり方なんですけどね、少しずつ老後についての考え方が変わってきたっていうお話でした。
つまんなかったね、ごめんね。
コメント
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