足のしびれの治療でご来院頂いているある患者さんのお話なんですけどね。かかりつけのお医者さんに「鍼に通ってるんだ」というお話をしたそうです。そのお医者さんは鍼灸に理解がある先生で、よ~く診てもらえと言ってくださったそうなんですよ。ありがたいお言葉でこざいます。
ただね、こうも言われて来たのだとか。
「腰が原因なんだからもっと腰に鍼してもらいなさい」
腰が原因なんだから腰に鍼をする。または腰にお灸をする。
それはごく当たり前のようにイメージされる事なのかも知れませんが、この患者さん、実は腰痛は全く出ておりません。
つまり、レントゲン所見などから考察すると足のしびれの原因は腰椎にあるのですが、その腰には全く苦痛がないという状態なわけです。
このような病体の患者さんの腰に治療をした場合、本当に足のしびれが楽になるのでしょうか?
私にはそうは思えないんです。
確かに西洋医学の観点からすれば原因は腰にあるわけですから、西洋医学的な鍼治療をするなら腰部は非常に重要な治療点となるでしょう。
しかし私も含めた東洋医学的な治療を行う鍼灸師にとって、今現在腰の骨や神経根がどうなっているかという情報は全く治療には必要のない情報なのであります。体の気の過不足を脈などの情報から推測し、それを調節して苦痛を取り除くというのが我々の治療ですからねぇ。
ですから、最も大切な治療は手足への本治法という治療となります。
体の気を動かし、虚実寒熱を調整する。その後に検脈を行い、本治法の効果を判定し、最後に患部をさわる。この場合の患部というのは症状が出ている部位を示しますから、先程の患者さんならしびれている足となります。症状の出ていない腰をいくら熱心に治療しても、東洋医学的な治療の場合、実はあまり意味がないのです。
まぁここまで言っておいて何ですが、必然的に腰部を用いなければならないケースもございますよ(^^;)
それでも、これはあくまでも治療の補助として用いるわけであって、大切なのはやはり手足への本治法なのです。
我々はお医者さんではありませんからね。お医者さんと同じ診方、同じ治療をしていては、鍼灸師の存在意義が薄れてしまいます。
鍼灸師は古典を読み、古典的な治療をするからこそ鍼灸師でいられるのではないでしょうか。
これこそが我々鍼灸師の存在意義なのだと思うのです。
そんな事を考えた、本日でございました。
・・・テープ起こし、おわんない。
どーしましょー。
ただね、こうも言われて来たのだとか。
「腰が原因なんだからもっと腰に鍼してもらいなさい」
腰が原因なんだから腰に鍼をする。または腰にお灸をする。
それはごく当たり前のようにイメージされる事なのかも知れませんが、この患者さん、実は腰痛は全く出ておりません。
つまり、レントゲン所見などから考察すると足のしびれの原因は腰椎にあるのですが、その腰には全く苦痛がないという状態なわけです。
このような病体の患者さんの腰に治療をした場合、本当に足のしびれが楽になるのでしょうか?
私にはそうは思えないんです。
確かに西洋医学の観点からすれば原因は腰にあるわけですから、西洋医学的な鍼治療をするなら腰部は非常に重要な治療点となるでしょう。
しかし私も含めた東洋医学的な治療を行う鍼灸師にとって、今現在腰の骨や神経根がどうなっているかという情報は全く治療には必要のない情報なのであります。体の気の過不足を脈などの情報から推測し、それを調節して苦痛を取り除くというのが我々の治療ですからねぇ。
ですから、最も大切な治療は手足への本治法という治療となります。
体の気を動かし、虚実寒熱を調整する。その後に検脈を行い、本治法の効果を判定し、最後に患部をさわる。この場合の患部というのは症状が出ている部位を示しますから、先程の患者さんならしびれている足となります。症状の出ていない腰をいくら熱心に治療しても、東洋医学的な治療の場合、実はあまり意味がないのです。
まぁここまで言っておいて何ですが、必然的に腰部を用いなければならないケースもございますよ(^^;)
それでも、これはあくまでも治療の補助として用いるわけであって、大切なのはやはり手足への本治法なのです。
我々はお医者さんではありませんからね。お医者さんと同じ診方、同じ治療をしていては、鍼灸師の存在意義が薄れてしまいます。
鍼灸師は古典を読み、古典的な治療をするからこそ鍼灸師でいられるのではないでしょうか。
これこそが我々鍼灸師の存在意義なのだと思うのです。
そんな事を考えた、本日でございました。
・・・テープ起こし、おわんない。
どーしましょー。