実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

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1968年(番外篇) 実戦教師塾通信六百三十号

2018-12-14 11:43:27 | 戦後/昭和
 1968年(番外篇)
     ~「フランス五月」~


 ☆初めに☆
「1968年」シリーズは、年明けに「下」を出す予定でした。でも今回、予告通り「番外篇」をお届けします。
バリケード、そして投石は50年前もありました。しかし「略奪(りゃくだつ)」という行為は、記憶にありません。歴史上「革命」と呼ばれる出来事で、略奪行為が称賛されたことはありません。それが「不当に奪われた」ものでない限り、「人のものを奪う」ことは非難されるのは当然です。
つまり逆に、人々の行為が「不当に奪われた」ものを取り返すものだったのかという検証を、私たちはやらないといけないということでもあるのです。
 ☆☆
「フランス五月」と言われるゆえんは、それがたったの一カ月の出来事だったからです。若者を中心とした反戦/改革の運動は、日本のように3~4年にわたって続いたのは、世界を見渡しても例がないといいます(ドイツのノルベルト・フライ)。
でも、1968年におけるフランスの一カ月間は、世界中がそうであったように、あらゆる可能性を秘めていました。
パリのソルボンヌ大学やシャンゼリゼ通りの落書きは、見事に詩的でラジカルだった。
        *写真の多くは『壁は語る』(1969年発行・竹内書店)によっています

 ☆デモ☆
この「五月」によって「ド・ゴールの追放」があったことは、最大の出来事と言っていい。
ナチスドイツによって占領されたフランスでの抵抗運動(レジスタンス)を、亡命先のイギリスから指示したド・ゴールは、文字通りフランス解放の英雄だった。その英雄がやり玉にあげられたのだ。


自由の敵に自由を許すな
ネクタイをつけての革命なんてくそ食らえ!



1968年に自由であること それは参加することだ


☆街頭闘争☆
そもそも学生たちの要求/目的は、こう言ってはなんだが、国を揺るがすようなものとは思えない、大学の「権威主義的構造」に対してだった。ところが大学は、いとも簡単に警官隊を導入したり大学をロックアウトしたりした。つまり「権威主義的」に対応した。この辺りは、日本とまったく事情を同じくしていた。

走れ! 同士よ 老人が君の後ろにいる


自由は与えられるのではない それは奪取(だっしゅ)されるのだ


貼り紙禁止を禁止する


 ☆占拠(せんきょ)☆
これはパリのオデオン座。政府閣僚との団交や、公開討論会もここで行われた。哲学者・ジャン・ポール・サルトルが参加したことは語り種(ぐさ)だ。そして、写真がみつからず残念だったのは、このサルトルがルノー工場のドラム缶の上に立って、労働者向けにアジテーション(演説)する姿である。「行動する哲学者」は、この時期健在だった。


想像力が権力を奪う
想像力の欠如(けつじょ) それは欠如を想像しないことだ



バリケードは通りを封鎖するが、道を拓(ひら)く


全世界の百万長者よ団結せよ 風向きが変わったぞ


何ものも求めない
何ものも要求しない
奪取するのだ
占拠するのだ



現在のパリだが、デモに対する支持率が半減した。一方で、マクロンへの要求や不満に対する支持率は、高止まりしている。これも50年前と同じ状況なのである。ド・ゴールはあの時、
「フランス万歳!」
と演説を締めくくり、大衆はそれを報道するテレビ画面に石を投げつけた。マクロンの演説は、謝罪ともとれるものだった。
今回のフランスでの出来事が、テロという絶望の行為に波及しなかったこと、そして「テロとして報道されなかったこと」を最大の思い入れを持って評したい。「これは暴力かそうでないか」という議論になる大衆運動を、私たちはずっと長い間見てなかった気がする。しかし眼前で拡がった行動に、そんな議論が白熱したのだ。



 ☆後記☆
いやあ寒い!ですね。「きっぱりと冬が来た」って高村光太郎ではないですが、そんな感じ。昨日、冬用の布団に変えました。
この時期に花を咲かせてくれるクジャクサボテンです。
子どもたちに素敵なクリスマスが来ますように。
MerryChristmas!


 ☆☆
そう言えば藤井君、最年少100勝だとか。なぜか、藤井君に元気をもらえます。素人(しろうと)でも分かる「ただ者ではない」佇(たたず)まいのせいですかね。また楽しみな来年です。おめでとう!

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