実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

読書特集 '24(2) 実戦教師塾通信九百二十四号

2024-08-09 11:39:42 | 思想/哲学

読書特集 '24(2)

 

 

☆『傲慢と善良』辻村深月 2022年 朝日文庫☆

「売れてる本」と「読まれてる本」は違うと、何度か書いた。「売れてる本」を買って大体は失敗するが、これは違っていた。数ページ読んで、勘繰りの強い私は、この事件の概要をつかんだように思った。それはあらかた間違ってなかった。しかし、「架(かける)君、私を助けて」という恋人真実(まみ)の声は、ストーカー絡みとは別な深いところから出ていたのである。そこまでは分からなかった。例えば経験上の話。愛する家族を失った時に「どうして〇〇しなかったのか」「どうしてあんなことを言ってしまったのか」という取り返しのつかない思いに私たちはとらわれる。これは、愛する者への懺悔である。しかしそれだけではない。これは自分の不完全さへの未練、つまり「ナルシシズム」の裏返しとも言える。この懺悔を「善良」に、そしてナルシシズムを「傲慢」と置き換えれば、この作品のコンセプトが見えて来る。そんな人間の性(さが)が、作品にはたくさん散りばめられている。ふたりが遭遇する事件に、多くの人間が現れる。それらのひとりひとりの発する言葉は、胸を抉(えぐ)るようだ。しかし、読んだものの多くも、同じ思いにとらわれるに違いない。的を得ている、他人ごとではないと思えるはずだ。

「だって、悪意とかそういうのは……巻き込まれて……悟るものじゃない? 教えてもらえなかったって思うこと自体がナンセンスだよ」/「あの子は……自分のこと、大好きだもん。……自己評価は低いくせに、自己愛が半端ない」/私が……見下すように「相手として見られない」と思った誰もが、私なんかと結婚しなくて……正解だった。

謎解きの苦行は、同時に「覚醒」への道でもあった。何故か、分岐点・転回点は東日本大震災、正確には震災後の東北である。物語は急速に、それまでと別なかじ取りをする。そこで学んだものが、解答(と、私は思っている)へ導く。「あの人たちのことが、大嫌い」という解答である。そこには「善良」と違う場所があった。

 

☆『狼煙を見よ』松下竜一 2017年 河出書房新社☆

今年が明けて、指名手配の桐島聡が見つかったと思う間もなく、亡くなった。桐島レポートのブログを読んだ出版社の編集者から、松下竜一の『狼煙を見よ』を勧められた。今回の読書特集『豆腐屋の四季』の著者だ。『豆腐屋……』発表によって、名もなく貧しく美しく生きる、今どき珍しい青年として松下は巷から絶賛される。人々が松下をこき下ろすようになったのは、地元・大分の大型プロジェクトに、松下が先頭切って反対運動を始めてからだ。松下は、これを機に「市民の敵」と呼ばれるようになる。桐島レポートを読んでない人のために繰り返すと、70年安保闘争後に立ち上げられたのが「反日武装戦線」であり、その一翼を担ったのが「狼」グループである。1974年の三菱重工ビル爆破は、この「狼」が実行した。あの頃を振り返っておく。全共闘運動という場所にいたものは、学費値上げ反対や寮の自治要求など、いわゆる「民主化」路線を歩む。その一方で、激化していたベトナム戦争に反対する戦いも展開していた。私たちは生活上のものと世界(反戦)を、同時に手に入れようとしていたように思う。しかし、2年も遅く入学したものには、すでに「世界」の方しか残されていなかったのではないだろうか。頭でっかちで、むやみに「階級」や「革命」を言いたがる後輩に、ずい分手を焼いた。爆弾闘争の主張にも、同じものを感じた。だが、「狼」の大道寺将司は違った。北海道に生まれた大道寺は、遭遇する事件ばかりでなく親族にも触発されている。1948年生まれ。同期だ。松下とつながるのは、獄中の大導寺が出した手紙がきっかけだ。『豆腐屋……』が、収監中の政治犯の中で小さなブームとなっていた。二年後、この書の元となる作品が、季刊『文芸』に発表される。大道寺の迷いを押し切ってのことだ。そこには、息子の逮捕をテレビで知り、「狼」の存在を初めて知った両親の驚き。メディアの取材攻撃、警察の動向などが、これでもかと克明に描かれる。逮捕された時の様子で、息子の覚悟を知った両親は、

「命を懸けていたあの子の気持ちを分かってください」

と訴えるのだ。ビル爆破で惨禍にあった被害者に、だ。東アジア反日武装戦線立ちあげから爆弾製造・実験へと、レポートは細部にわたる。究極とも言える、天皇爆死をねらった「虹」作戦の自供場面は、本人の口述であることを確かめずにはおられまい。ビル爆破について「狼」は失敗と断じる。直接関係のない人々を巻き添えにしたからだ。しかし、この戦い自身は正しいという犯行声明を提出。「これからも我々は爆弾闘争を貫く」という文面は、無原則の極北と言える。松下や松下の『豆腐屋の四季』と出会うことによって、この「無原則な原則」が次第に変わっていく。

 

☆『老いの深み』黒井千次 2024年 中公新書☆

忘れもしない35年前、茨城の私立高を受験した生徒が入試問題を持って帰って来た。そこには黒井千次の『春の道標』が、問題文として抜粋されていた。ひた向きで危なっかしい心が、みずみずしい文体の上にあった。ここから始まって、黒井千次の作品を何冊か読むこととなった。黒井の作品には、どうやっても抗えないものと、そのあとにやって来る悔いがいつもあった。その黒井千次が現在92歳だという。調べてみると、『春の道標』発行は1984年だった。その時作者は52歳。それから40年。『老い』シリーズの三巻目だ。黒井の作品に必ず登場する「抗いがたいもの」は、ここでは「老い」ということになる。しかし、もうひとつの「後悔」は、このシリーズにはない。扉の「必要以上に若く元気でいたいとは思わない。かといって慌てて店仕舞いする気もない」のが基本的スタンスだからだ。しかし、作者の「言い訳」「強がり」「負け惜しみ」「負けず嫌い」は紛れもない。それでも、この本を読んだ後味は悪くない。作者が、自分のみっともなさをどこかで分かっているからだ。たまたま散歩で一緒になった老婆を、ついに追い抜くことが出来なかった。「でも、抜かれなかった」と言ったあと、「それは、老婆が初めから前にいたからだ」と述懐する。このしょうもない煩悶を「かわいらしさ」として、私たちはとらえる。スイカを忘れた黒井が、券売機で切符を買えずに困った経験では、ついに購入「成功」のあげく、それなら領収書を発行しろと機械に注文。切符よりはるかに立派な領収書を手に入れたことが愉快で、大切に保管するのだ。老いさらばえた男の話ではない。通信機器はファクスを最後に、黒井は現在を「旅」している。悲嘆にくれることはない、と自分を奮い立たせて旅をしている。「老化管理人」から、居眠りは怠慢や逃避を原因とする行為ではないかと言われる。行為の底にある気の緩みが問題だと思う管理人の空気がある。仮眠なら、毛布やひざ掛け等を用意してからするがいい、という圧がある。しかし、

「居眠りとは、これから居眠りしよう、と決心して実行するような行為ではあるまい。他のことをしているうちに、座ったままつい眠ってしまうのが居眠りの在り方である」

老いに備えて読むものではない。周囲と自分の距離や対処を見通す、それを「旅」へと高める本なのだ。

 

☆後記☆

原爆祈念式典のあり方が分かれました。長崎の式典に、市長はイスラエルを招待しなかった。広島はそうではなかったのかとか、長崎市長のあり方を「英断」としたり、原爆を政治的問題にするなとか、様々な思惑が駆け巡っています。でも一番は、今回の展開が全く思いもかけないものだった、そう言えばこんなことがあり得るんだというものではなかったでしょうか。広島の式典にロシアが招待されない一方で、イスラエルが招待されていた実情など、私たちの視界からすっぽり抜け落ちていたはずです。だからこそ、長崎の式典に「イスラエル招待せず」を知って、驚いたのです。オリンピックでは両国の参加を巡って、話題にこと欠かなかったというのに……。長崎市の判断について、林内閣官房長官は「市の判断であり、国が関与するものではない」と、全く煮え切らない記者会見でした(ちなみに野党は、全くインポッシブルな見解)。でも、ユダヤ人虐殺に加担した歴史を持つ欧州からすれば、長官発言は許し難いものだったはずです。これらのことを前にして思います。日本はアメリカに謝罪を要求したことはない。今まで繰り返して来たのは、原爆を二度と使ってはいけない、そのためにも製造・開発は止めねばならない、という一点なのです。79年前の今日は11時2分、長崎の上空で原爆がさく裂しました。鈴木市長の思いが通じますように。

 ☆☆

火曜の深夜、TOKYO MXで配信中の『メシを食らひて華と告ぐ』、見てますか。仲村トオル主演の食べドラマ。いつも同じ流れに沿って、12分のドラマが完結していきます。深夜ですから、私は見のがし配信で見ています。久々の仲村トオルを、これを見たかったという仲村トオルを観ています。なんでも演れる俳優なんかにならなくていいから、とつぶやきながら観ています。お勧めです👍


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