実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

取手いじめ事件報告書(中) 実戦教師塾通信六百五十四号

2019-05-31 11:37:54 | 子ども/学校
 取手いじめ事件報告書(中)
     ~学校的対応の源(みなもと)~


 ☆初めに☆
今回のことにコメントし、
「何かが起こったら、大騒ぎした方がいい」
という学校関係者がいました。「おおごとかも知れない」という姿勢で取り組むということです。こういう学校関係者は珍しいのです。きつい胸が少し緩(ゆる)んだ気がしました。
前回の記事に対し、オマエは大きな事件ばかりを対象にしてるが、何か下心があるのかという感想もあります。学校が「大騒ぎを回避する」のはたまたまではありません。それを体質/本質として学校は抱えています。だから、こういう読者には「ちゃんと読んでください」と言ってます。
 ☆☆
いい先生はたくさんいます。学校はそんな先生たちに支えられています。そしてそんな先生たちが陥(おちい)ってしまう道は、いつも「善意」で敷きつめられています。じゃあオマエは完璧だったのかという、抗議に似た感想もあるのです。いつも言ってますが、私も道に迷いそうになった時や失敗は数々あります。その辺りも誤解を恐れつつ書いていこうと思います。

 1 学校的対応の源
 奈保子さんが亡くなった11月10日の夜、学校にスクールカウンセラーが来て、3学年職員と打合せを行う。そこで言ったことだ。以下の< >内は、報告書からの引用。
<「初期の対応で配慮すべきことは,デマを防ぎ,憶測を生まないようにすることです。………これから緊急支援を行っていくうえで大切にしていきたいことは,次の2点です。①今回のことで受けたショックがこれ以上深くならないこと。②1日も早く先生や生徒のみなさんが安全と安心感をとり戻し,自然に通常の学校生活に戻ることができるように......」>
信じられないことだが、ここには「『まずは』事実と向き合う」という姿勢が欠如(けつじょ)している。「受けたショックがこれ以上深くならない」対象として、奈保子さんの遺族が見当たらない。つまり、遺族の受けた衝撃にどう向き合うかという気持ちが見当たらない。それで「1日も早く………自然に通常の学校生活に戻る」となる。学校的対応の源はこれだ。「これ以上のおおごとはならん」のである。
 館山いじめ事件の講演会のお誘いで、私が柏市内の小中学校を回った時のことだ。
「私たちは、いじめた生徒もすべての生徒も、そして教職員を守らないといけないんだよ」
と胸を張ってくれた校長がいた。「では、(生徒が死んだのは)仕方がないのですね」と言った私に、少し慌ててくれた、とは以前書いたと思う。学校は「なぜ?」と「向き合う」のではなく、「どうしたらいいか」と反応してしまう。
 以下は、取手の学校/行政のとった対応である。見事と言うのも変だが、このカウンセラーの姿勢通りに進む。

 2 「通常の学校生活に戻そうとする」対応の数々
 奈保子さんが亡くなってすぐ、両親から、
<死亡理由が自殺であることを公表してよい>
意思を学校は受け取るのだが、この日の午後、県と市と校長との打合せにおいて,
< 生徒及び保護者の動揺を考慮し,「不慮の事故」とすること>
が確認される。ちなみに、ここで言う「保護者の動揺」は遺族ではない。しかし、この点を両親は了承する。死因が<「思いがけない突然の死」>となったため、臨時保護者会が見送られる。この時点から奈保子さんの死のすべては、生徒と保護者の間の「噂」として「丸投げ」される。こういう時は必ず、生徒と保護者の間で、
「なにがあったのか」「そっとしておいた方がいいのか」
という動揺が瞬(またた)く間に拡がる。しかしそれは放置される。
 このとき,教頭から両親に対し,
<今後調査を実施していくこと。アンケートをとる場合は事前に内容を両親に見せ,アンケート結果を両親に報告すること>
が伝えられた。しかし、この約束がどうなるか、もう知れている。
 12月の行政の対応はこうだ。父親は、<『娘が………書いていた………ことを伝えて良い」………「アンケートには娘へのいじめ項目」>を要望した。しかし教育参事及び指導課長は,
<(それは)「難しい」,「アンケートはこの形が妥当」>
と回答。結局<本事案に即した具体的な質問事項は盛り込まれなかった>。確かに市教委は、アンケートを「事前に内容を両親に見せ」た。しかし、それは「両親の意向に沿った」という意味ではなかった。そのあとの展開も、残念ながら見えている。12月18日の夜、学校における打合せで、
<指導課長は,「いじめ防止対策推進法で...原因となったいじめがあったのかどうかのための調査………結果………いじめがあったと答えている生徒はいない………とわかったのです。………いじめによる自殺であったとは判断できない,ということです。」>
などと述べて,本事案が「重大事態」であることを明確に否定した。このあと両親は<日記に名前の出てくる生徒からの聴き取りを要望した>が,指導課長は<任意の調査………で受験期間に入るため保護者の判断を尊重>と答える。一人の子どもが亡くなっていることの重大さが「保護者の判断や受験」の前でたじろいでいる。いや、蔑(ないがし)ろにされている。両親は決断する。<当該中学校の生徒を自宅に呼んで聴き取りを行った>のだ。おそらくは弔問(ちょうもん)などで、すでに協力の意向を示している保護者/生徒もいたのだろう。
 三カ月後、「この事案が重大事態に該当するかの判断を求める」話し合いがされる。本当は<重大事態発生報告書が提出された>のであるから,<市教委臨時会が重大事態の該当性の判断をする必要性は全く無い>。しかし、
<「この事案が重大事態に該当するかの判断を求める」議案(議案第8号)を提出>
そして「重大事態に該当しない」議決がされる。全く解せないが、そのあと<第三者委員会を設置…の結論>がされる。つまり「重大ではない事態」だが、「第三者委員会に審議をお願い」することになってしまったのだ。

 3 担任の進路指導
 受験を良く知らない読者のために言うと、「単願」とは進路先高校として、ひとつだけを生徒が希望する方法である。だから、この「単願」の高校に合格すれば、この生徒の受験は終了する。このしくみがあるのは私立だけだ。
 単願の条件は、高校側からたとえば「国・数・英」三科合計が「12以上」などと要求される。奈保子さんのことで考えると、音楽は「5」で、主要5科の合計が「18以上」などが考えられる。また、欠席が1年2年それぞれ「4日以内」などという条件も「単願」にはついて回る。だから、通常の進路指導(面接)においても、「(成績の)数字が足りない」、あるいは「2年時の欠席が多すぎる」等という言葉が、担任からは出る。高校側の条件をクリアするための対応である。高校側に生徒の「人間的魅力」を訴えても、簡単に「皆さん、そうおっしゃいます」といなされるのが相場である。高校側は「明確な証拠」が欲しいのだ。
 さて、以上はあくまで「一般的進路指導」である。たとえば出欠席についても、20年ほど前には様子が変わり始める。「様々な事情」を、高校側も理解するようになったのである。「欠席数はクリアしておりませんが、こういうわけがありまして」という声を、高校が聞いて考慮するようになる。中には「評定に『1』がなければ」なんぞという、過激なスポーツ推薦も出て来る。
 報告書によれば、担任は7月の三者面談で、<本件生徒の単願受験をすることを認めるかどうかは,今後の生活態度を見て決める>とある。これも少し解説しよう。調査書には「行動の記録」なる欄がある。以前はこの欄の「責任感」「公正」に「×」を書く担任がいて、それが不合格の原因となることがあった。しかし、この作業そのものが「主観的」であること、担任の「力量」「性格」が関わって来るなどが問題となった。この結果「行動の記録」の欄は残っているが、この「×」評定はなくなった。また、生徒の不利益になることを調査書に書いてはいけないことにもなった。
 つまり、担任が<単願受験をすることを認めるかどうか生活態度を見て決める>と言うのは、調査書の問題ではない。担任が「相当に『我慢がならん』生徒」である他にこんな対応はあり得ない。私のことで言えば、
「勝手放題のオマエが、いまさら何が推薦だ」
「推薦て『いい生徒です』とハンコを押すことだぞ」
分かってんのかと目をつり上げたこともある。また、学年の会議では「我慢がならん生徒」の「言いなり」になっている担任を叱咤(しった)したりもした。
 では奈保子さんは、この「我慢がならん生徒」だったのだろうか。担任にとってはそうだったのだ。次回になるが、担任の思惑(おもわく)が大きく外れて生まれた「焦(あせ)り」「憎しみ」、それが報告書の要所に出て来る。



 ☆後記☆
字数がかさんでしまいます。三回で終わるかな。いやぁ少しばかり心配なのは、「勝手放題」にされたって?コトヨリ君がいけないんとちゃう? なんぞというチャチャですね。その通りですもんね。でも、「勝手放題の奴」って大体が推薦基準クリアしてないから、どだい無理なんですよ。私は流儀として「これは言わせてもらうから」ってことで、そういう時には言ってました。
 ☆☆
川崎の事件にコメントしないのか、と言われます。実兄の社員寮があったところで、昔は結構通ったところです。南武線。
両方とも2008年に発生した通り魔事件、土浦の金川被告と秋葉原の加藤被告、ふたりとも復讐だったとしか思えません。
亡くなった栗林さんの両親、気丈ですねえ。小山さんにもお祈り申し上げます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿