実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

『天皇の料理番』  実戦教師塾通信四百四十三号

2015-05-22 11:34:39 | エンターテインメント
 『天皇の料理番』
     ~トンカツ讃歌~


 1 『天皇の料理番』

 もしかしての思いで見始めたが、これはすこぶる面白い。とりあえず、「一途(いちず)」と「いい加減」は紙一重なのだなあ、と改めて思った次第である。しかし欲を言えば、料理を毎回ひとつずつでもクローズアップして欲しいところだと思っている。初回がそうだったからだ。あの牛カツがいかにもそそられたではないか。記憶がいい加減ではあるが、そのまま書いてしまう。
      
 昆布卸(おろし)の名家に婿入りした佐藤健演じる篤蔵(本当は徳蔵)が、ある日、レストランの厨房(ちゅうぼう)に昆布を持っていく場面だ。シェフ役の伊藤英明が、牛肉をたたいて「柔らかくしている」ところだった。牛肉は、もちろん霜降りなどなかった時代(明治)の赤身を使っていた。塩を上から振り、小麦粉でくるみ、玉子をくぐらせ、たっぷりのパン粉で優しくくるんでいく。それはまるで音楽の演奏を聞くようだった。当時の人間だったら、篤蔵でなくとも、
「なにを作っているんだ?」
と聞いたに違いない。それほど謎と魅惑に満ちている手際(てぎわ)と景色。
「カツレツというんだ」
と答えたシェフは、フライパンに薄く敷いた油に、肉を乗せる。そしてレンゲで何度も油をかけていくのである。揚げるカツではない。ミラノ風カツのようであるが、チーズは使っていなかった。
 四つ足を食べるのか、という驚きを隠さない篤蔵を横目に、シェフはナイフを入れ、食べろと勧める。中がレアで、赤いのだ。コンガリとした衣の鮮(あざ)やかさ、肉の外側と内側の色の対照が実にいい。静かな厨房に、牛カツの存在感はとびっきりである。
 牛カツをめぐる物語と立ち上がる匂いに圧倒された篤蔵は、食べる前から味わいという世界にどっしり漬かっている。
「うまい!!」
口の中の、サクッという心地よい音に篤蔵は目を見張る。
「もう一切れ食べて見ろ」
今度はシェフが、デミグラスソースを乗せて言う。もう言われなくとも分かる。うま味は格段に上がる。いや、別物か。
 なんてこった。きっと本番だけは食べたのだろう。
 周囲は小林薫を初め、見事に役者を揃えている。美保純もいいお母さんを演じているのだ。私は思わず、日活でポルノをやっていた頃の、彼女のかわいいオッパイを懐かしんだのだった。 
 篤蔵の無骨な走り方が様になっていて、またいい。

 2 トンカツ万歳!
「なあに 人間そんなにえらくなるこたあねえ」
「ちょうどいいってものがあらあ」
「いいかい学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ」
「それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ」(『美味しんぼ』11巻「トンカツ慕情」より)
      
これはバブル期に成功を納めた経営者が、ひもじかった30年前の学生時代を回顧した場面である。
 今でこそトンカツは、必ずしもぜいたくな一品とは言えないのかもしれない。しかし、今やトンカツは、「かつ太郎」「とんQ」などファミレス系を初め、「かつや」などのファストフード、そして「和幸」などの老舗(しにせ)と棲(す)み分けをしつつ、しっかりジャンルを確立したものだ。今となっては「洋食」ではなく「和食」として、である。つまりトンカツはいま、「とりあえず」というグレードに始まり、「特別な」クラスまで網羅(もうら)した場所なのだと言い換えてもいい。これほどまで日本人が望み、こだわったトンカツなのである。
 池波正太郎によれば、トンカツは大正の関東大震災のあと、はやり出した豚肉料理の中のひとつだったらしい。洋食屋で始まったとも言われるトンカツは、あっと言う間に味噌汁とお箸(はし)を添える和食店へと進出し、大盛りでキャベツが下に敷かれるスタイルとなっていく。
 それでもトンカツは、やっぱり「特別な御馳走」であったことは間違いない。おそらく多くの日本人は「トンカツを食べたい」思いでいた。作る方もそれで「トンカツ」という料理を磨(みが)き上げていったと思える。こんな中で、トンカツは「和食という文化」にまで押し上げられた。それは大正から戦後、高度成長期とわたって続いた。そして日本人は、トンカツの衣の色と匂い、口に含んだ時の触感を「味」とするようになった。また、油が鼻につくものは、肉が厚かろうが柔らかろうが敬遠する。多くの人は「特別な料理」として口にするのである。『美味しんぼ』のトンカツ屋「トンカツ大王」の店主は、
「トンカツをいつでも食える」
くらいが「ちょうどいい」と言った。分厚い肉ばかりを食べていれば「トンカツが食べたい」とは思わないだろう。でも、トンカツもままならない生活とは、きっとつらいものだ。常に「帰ってくる場所」としてトンカツがある。そういう場所なんだよ、と店主は言っているように思えた。
 池波は、銀座の『煉瓦亭』と目黒の『とんき』を名店としてあげる(それぞれ支店がある)。並々と盛られたキャベツに乗せられたカツ、ご飯と香の物にビールを頼んで千円を切る(30年以上前だが)と驚くのである。そして、
「うむ……」
とうなり声を上げて食べるらしい。キャベツはお代わり自由で、ここが大事だが、店で働く女の子たちが、実に楽しそうに働いているという。客のひとりが、
「もう、ここへ来たら、バカバカしくて酒場やクラブへは行けませんよ」
と言ったという。これは『とんき』の話。ここに来ると「未来が信じられる」とも思うらしい。

 3 『和さび』
 遠方でこれを読んでる方には申し訳ないが、地元のお店を紹介したい。柏西口から徒歩5分、国道6号線をまたいですぐのところにある『塩梅』も大きくておいしいカツを出してくれるが、今回は同じく東口から徒歩8分のところにある『和さび』である。
 鈴木京香似の女将(おかみ)さんが振りまく笑顔は、間違いなく店の集客を手伝っている。気分よく食べ、気分よく店を出ることが出来るのは、彼女のおかげが大きい。
 さて、肝心な料理である。
      
これは「牛ハラミのカツ」である。右側に少しだけ映っているが、このタレにからませて食べる。なんと、夜も「定食」として出している。800円!じゃなかったかな。まあ輸入の肉だろうが、それはこの際おいとく。これがうまい。もう繰り返しになるのでやめるが、あの篤蔵の肉を食べるシーンだ。見事に肉がレアなのだが、これが実に熱々なのだ。熱々ではあっても、レアなのである。ステーキの名店?に行って、冷たいレアを出されるのを思い出して欲しい。
 この店のカウンターを気に入っている私は、例によってあれこれうるさく言いながら食べる。厨房をこれもたったひとりで仕切っている板前さんが、
「ハラミって、肉というより内臓なんです」
と教えてくれた。あばらの下にある横隔膜を言うのだそうだ。不覚にも私は初めて知った。よその店でも、ものの本でも、また牛の部位を示す図でも、それを知ることはなかった。ついでに、この店で初めて食べた時の枝豆のうまさや、あまり目にすることのない銘酒『明鏡止水』が置いてあることも言わずにいられなかった。ひとつひとつていねいに、そして嬉しそうに答える板前さんに、ドラマ『天皇の料理番』の料理長・小林薫の、
「料理は真心だ」
の言葉を思い出してしまう。
 夫婦ふたりだけで仕切るこの『和さび』は、いつ行っても大勢の客が、楽しそうに食べている。


 ☆☆
ということで、これは私が作ったカツ丼。
      
『和幸』のトンカツを友だちからいただきまして、もうたまらずって感じで作りました。アオサの味噌汁と、いわきのおばちゃんからいただいて持ち帰った細昆布の煮物です。『余市』をオンザロックで。いやあ美味しい。
ってオマエは今回はなにを書いてるって言われるのかな。すべては『天皇の料理番』の牛カツがいけないのです。

 ☆☆
いやあ、大相撲面白いですねえ。昨日のようにバタバタと力士が負けていくと、普通は興ざめするものです。混戦が面白いというのは、きっと実力のある力士が揃っているということです。今場所は、白鵬への汚い嫌がらせが見られないのもいいですねえ。
遠藤も旭天鵬も頑張れ~

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