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取手いじめ事件報告書(上) 実戦教師塾通信六百五十三号

2019-05-24 11:19:29 | 子ども/学校
 取手いじめ事件報告書(上)
     ~私たちのい続けるべき場所~


 ☆初めに☆
2017年の5月31日、夜の(NHK)ニュースのトップで流された映像を覚えてますか。学校関係者が、家の玄関で謝罪している場面です。
「(謝罪に)行って来いと言われたから来たんですか」
上がり口でそう言うお父さんの顔は、怒りと悲しみでいっぱいでした。
2015年の11月、茨城県取手市立中学の三年、中島奈保子さんが自ら命を絶ちました。今から二カ月前、このいじめ事件の報告書が出たことを覚えていると思います。取手市のホームページに掲載されている報告書は、90頁に及んでいます(概要版は10頁)。むごい内容に読むことを中断することも多く、読み終えるのに一カ月以上もかかってしまいました。
 ☆☆
亡くなった奈保子さんが出会った現実としっかり向き合わないといけないという遺族や調査委員の固い決意が、報告書の内容を構成しています。
このことを私なりにしっかり伝えないといけない、そう思いました。事情を知る関係者と会うことも出来ました。
とても一回で書きおおせるものではありません。三回に分けます。
読者の皆さんにも報告書を読むことをお勧めします。

 1 事件/学校/第三者委員会
◇奈保子さんの上に起こったこと
◇担任/学校の気持ち(対応)
◇第三者委員会の提出したもの

の順で書いていきます。
 この事件は読者も覚えておいでの通り、学校でのトラブルが原因となって大きくなった事件であるにも関わらず、学校/行政が「重大事態に該当(がいとう)せず」と議決(市教委)してしまった事件だ。このことを前提にして立ち上げた市教委の調査委員会は信用できない、と遺族が新たな第三者委員会を立ち上げて欲しいと県に要請。その後ようやく立ち上がった委員会のもとに動き出し、明るみになった事件である。
 良くないことだが良くある傾向として、学級/学年あるいは学校の荒れは、いじめを誘発する(1986年中野区富士見中学2年生鹿川裕二君の事件、2010年桐生市立小学校6年上村明子ちゃんの事件は、ともに校内暴力状態あるいは学級崩壊状態だった)。子どもたちの抱えるストレスが日頃よりも極度に強くなり、捌(は)け口を求めてさまようからだ。唯一の解決方法は、学校そして教師が子どもたちと丁寧(ていねい)に向き合うことである。大変で地道なことだが、これしかない。
 しかし、奈保子さんの中学校ではこれをしなかった。とりわけ<担任教諭の…言動が…いじめを誘発した>過ちは大きい(以下< >内は、報告書部分)。次回に詳しく書くが、この担任が特殊だったわけではない。教師がよく採用する方法を、この担任もとったのである。
 この報告が精緻(せいち)なのは、遺族の方々の、
<娘が日記に『死にたい』『いじめられたくない』という言葉を直接書いていることに向き合って………いったんは娘になりきっていただいて………娘が自死してしまったという問題を捉えていただきたい>(父親)
という強い思いと、その気持ちをしっかり受け止めた第三者委員が生んだ結果である。「推認/説明が可能」という慎重な言い方をしながら、奈保子さんの追い込まれた気持ちに寄り添っている。今まで多くの第三者委員会が避けてきた「自殺といじめの因果関係」にも、勇気を持って踏み込んでいる。これは三回目に書こうと思う。

 2 いじめは教師たちとともに
すべては女子生徒が中心となった事件である。
<自分の気持ちをだれかにぶつけたい。...だれかに..
今はピアノにぶつけてる。...でもそれじゃ 本当の音楽じゃない。 でも受け止めてくれるのは ピアノだけ。全てを...何を言っても やりかえしてこない。ありがとう。苦しい。悲しい。さびしい。 つらい。心が痛い>
奈保子さんが亡くなる20日前の日記だ。都内の有名音楽科高校を希望していた奈保子さんは、校内合唱コンクールのピアノ奏者としても活躍し、一年二年生の時はともに楽しく生活していた。
 仲よくしていた生徒と離れた三年生(この中学校、どうやら毎年クラス替えをしていたようだ)で異変が起こる。学校に携帯を持ち込んだ生徒(報告書では「A」と表記)が、写真をSNSにアップしたことが発覚。その場にいた奈保子さんは、担任から<(携帯を持ち込んだAと)同じように悪い>という指導を受ける。
 母親からAと距離を置くように言われ奈保子さんがそうしたところ、Aが<(奈保子さんから)無視されている>と騒ぎ、友人からの同情と奈保子さんへの反感を誘った。その仲間の一人は、やはり生徒指導上困難な生徒だった。この生徒の<面倒を見る>役割を、担任は奈保子さんに負わせる。隣同士の席としたのだ。窓側の一番後ろ。「生徒指導」のあり方としては、とても信じがたい場所。ところが、この女子と仲よかった別な女子が、その仲を裂かれたように思って奈保子さんを憎む。奈保子さんへ敵対感情を持った生徒が複数となり、壮絶ないじめは始まる。
 中学校の現場を知るものなら、みんな経験しているはずだ。意味ありげな視線、見えるような耳打ち、大きい声の「冗談」、また班決めや体育の授業でのグループ編成、そして修学旅行での部屋決めなど。そこで起こる陰湿で激しい駆け引き。しかしそこで、生徒の「自治」やら「解決」を主張するのは間違いだ。こういうのを私は「丸投げ」と、いつも言っている。教員(大人)が積極的に介入しないことにはどうしようもない。
 しかし奈保子さんは、大人からの援助を受けずに、これらの集中砲火を浴びる。奈保子さんの個別アルバムには、
<●●(本件生徒を指す)ってほんとうんこだよ,クソってるね! キモーw まぁ,がんばれよ 好きとかいってあげる」と書き込み,Hは「●●(本件生徒を指す)きらーい。うざーい。まじないわー。クソやろー。とくに とかwくそわろたw うっそよーん♡ 大好き♡ あいしてる♡ うふふ♡>
と書き込む。この個別アルバムとは多分、ひとりひとりファイルにし、行事ごとに写真を貼って記録を重ねるもの。そこに友人たちがその時々、思い思いに感想を書いて卒業時に渡すというものだ。だから担任は、これを随時に回収していた。しかし内容を確認していなかった。
 奈保子さんが亡くなったあと、母親が制服のポケットから「くさや」という付箋(ふせん)を見つけている。三年の9月下旬か10月上旬から「くさや」は始まり、Aを中心とする三人は奈保子さんの手を引き、他の生徒の前で<「嗅いでみて。」「臭くない?」などと言った>。そんな悪無限の状況下、11月10日、音楽室のガラスが割れる。
 帰りの会の時、Aに誘われ三人で音楽室の絵を見に行った奈保子さんが、先に教室に戻ろうとした時ガラスの割れる音がしたので、音楽室に戻るとガラスが割れていたという事件。この時、ガラスを割ったAが<「私が割ったので弁償します」>と言っているのに、そして奈保子さんが複数の教師に対し、<「下に降りようとしていて,割った現場は見てないんです。」>と言っているのに、その声は職員間で共有されなかった。そして教頭は、<「社会に出ると自分がやった行動の責任をきちんととらなければならない」>と言い、担任は残した生徒たちに、<「ここに残っているということは,何かしら自分が悪かったと反省しているからだと思います。」>と言う。
 全く一方的な展開に、奈保子さんの絶望は頂点となったと考えて間違いない。奈保子さんの余りに激しい泣き方を、<この時の本件生徒は周りの生徒から見て,顔全体を真っ赤にし,それ以前には見せたことのない激しい泣き方だった。>と感じている。遅くに帰宅した奈保子さんは、母親に対しても同じだった。心配した母親が学校に電話する(担任も電話するつもりだったらしい。しかし、こんな事態に、本当なら担任は本人に付き添うか、最低でも本人が下校の途に着くと同時に電話すべきである)。担任は、
<本件生徒が逃げる態度をとったことが悪かった>
などと述べるとともに,
<本件生徒が「給食時間など開始の時間に席についていない」とか「今回も帰りの会に遅れたことが悪い」>
と言う。少しここで注釈が必要と思う。Aを始めとする自分をいじめるメンバーに接近し、ともに行動する奈保子さんの動機である。いじめられる子が、いじめる側のいいなりに使い走りやピエロになることが良くある。たとえば銀行強盗に遭遇した人質が、犯人に「自ら」協力するケースがある。「ストックホルム症候群」と呼ばれている。身に迫る危険から逃れるためである(本当はもっと複雑な議論なのだが)。いじめられた子どもたちのこうした行動は、それに似ていると私は考えている。
 さて一方で、ガラスの件についてはどう言ってるかと、担任が母親に尋ねる。母親は、
<「泣いています。関係ない。知らないと言っています」>
と答えると、担任教諭は、
<「泣いているということは本人も反省をしているということです。」>
と述べた。電話のあと、これは担任と奈保子さんが噛み合ってないと思い、母親は奈保子さんに、
<別のクラスの幼なじみの子と仲良くするのはどうか>
などと話して何とか気持ちを和らげようとしたが、奈保子さんは、
<「同じクラスでないとだめなんだ」,「孤独は恐いんだよ」>
と言って泣いた。母親は、
<「卒業まであと3ヶ月。我慢できないの?」>
と尋ねると,
<「3ヶ月は長いんだ。大人はみんなそう言うんだ。」>
と答えた。この後、二年生まで一緒のクラスで仲のよかった友人に電話で相談する。そして、ピアノのレッスンに母親と(犬も)出かけ帰宅する。母親は、
<後日,本件生徒の気持ちが落ち着いてから………と考え,深く立ち入って話しかけることを控えた。>
二階に上がっていく奈保子さんの姿を見たのが最後だった。



 ☆後記☆
奈保子さんを追い込む、もう一つの大きな要因に「進路問題」がありました。やりがち/ありがちな、でもやってはいけない「指導」が繰り返されました。次回に書きます。
茨城県では、この事件で知事が動きました。千葉県館山市の事件では知事は動きませんでした。どうも知事の器(うつわ)がことの核心ではないようです。ややこしい問題に関わって、政治家は自分の立場を危うくすることをいやがります。そのことにあえて関わろうとするのは「選挙」があるかどうか、が大切なことのようです。館山の市長も選挙が近づくと、それまでしぶっていた第三者委員会設置を認めたのです。
この事件に関して以前、複数の読者から何度か問い合わせも入っていました。遅すぎる記事だったでしょうか。でも、仕方ないのです。
 ☆☆
寝屋川事件の容疑者が、死刑判決の控訴を取り下げましたね。でも、あの容疑者、本当に犯人なのでしょうか。

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