ここの所外国からの旅行者が多く、大きな荷物をゴロゴロ動かして電車に乗ってくる
人間一人軽く入りそうな大きさをみてこの「ごろごろ」を考え付いた人は偉いなあ、先見の明があるなあ、と感心する
昭和の終わりまで、大きな荷物を持って旅をするとき、各ステーションに「赤帽さん」という荷物を運ぶ人がいた
赤い帽子をかぶって、歩きやすく裾を絞ったズボンに網靴を履いて、いとも軽々荷物を運んでいた
東京駅㋨赤帽さんに荷物を頼み、列車まで運んでもらう。そうするとその赤帽さんが私が降りる京都の赤帽さんに連絡を取ってくれて、京都駅に着くとホームに迎えに来てくれて、タクシーまで運んでくれた。赤帽さんたちの連携は完璧で、顔見知りになってくると、同じ人がいつも荷物を持ってくれる
そのころはまだ宅急便が発達していなかったので、人と荷物は同時に目的地に行く、その頃のスーツケースは車などついていなかったので、手で持つしかない。着物って結構重いので大荷物だ。赤帽さんはそれを軽々ともっていく。500円札があって荷物一個の値段だったかな。1000円をいつもポチ袋にいれて渡していたように記憶している
「こんどはいつ?」とか聞いてくるようになり、すっかり仲良しこよしになって、いつも着物を着ているので覚えやすいのだろう。何年もチャ子ちゃん先生のことを「裏千家の人」と思っていたらしく、どうしてだろうと思ったら、一番はじめが姉と一緒で、確かに姉は裏千家の人だったから、てっきりそう思い込んだのであろう
時代が下がって車のついたスーツケースをもって京都駅に降りたら、改札口でばったりいつもの「赤帽」さんがいて
「やっぱりこういう世界になったね」
とそれでも手持ちでタクシーに運び込んでくれたので、ポチ袋を渡そうとしたら手を振って受け取らず、静かにお辞儀をして見送ってくれた
そしてそれが最後になって、その後まったくお目にかかっていない
おおきなスーツケースが並んでいる前の座席を眺めながら、あの赤帽さんたちはその後どんな職業に就いたのだろうかと思いだしていた
時代って超スピードでどこに行くのだろう