チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

陰暦

2010年08月18日 13時17分09秒 | 日記
季節はどうも陰暦に近い様相を見せている
今日は陰暦で7月9日
二日前の七夕の日は
天の川がとても美しかった

暑いわけだよこれから夏の盛りだモノ

二十四節気は太陽暦なので
もう立秋も終わりこの23日は処暑
暑さも収まってくるはず

暦というのは
人が作ったものなので
自然から見たら知っちゃこっちゃない

私は私らしくいきまっせーー
ということか

それぞれの国に
その時代によって暦が作られている
暦は天体をじっくり研究をしないと作れない

人もそれぞれに暦がある
生まれて死ぬまでのときの刻みは
自分の暦でもある

人生の春
人生の夏
人生の梅雨
人生の秋
人生の冬
この暦は自分で選ぶことが出来る
刈り入れをもくろんでいる人は今人生の秋

黄金に輝き
錦の色で輝く
こういう人の毎日は充実しているだろう
きっと
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婆肉

2010年08月17日 11時26分11秒 | 日記
もうショック!!
とんでもなくショック!

Ⅰ年ぶりにイブニングドレスを取り出した
今回の声楽の発表会に着ようと思って
試着

なんとなんと
骨盤の両脇にコンモリ肉が付いている
この脇線がスレンダーだったのにーーー
だからこそ
このイブニングは品が良かったのにーー

なのになのに
ウエストからヒップのラインが
ホームベースの形になっている
しらんまに
意識しないまま

ああもうがっくり
寸法の問題ではない
体が入るからいいということではない
この脇のスレンダーさが
チャコちゃん先生から去ったのだ

婆の体型
でもでもでも
けずりたいね

この形で生きていくしかないのか
この脇線のスレンダーが自慢だったのにね
クシュン

受け入れるしかないのかしらね
そうだよ
受け入れるしかない
ああーーーあ
がっくり

そういえば最近帯位置がどうも高くなると思っていた
きものは静かに教えてくれていたんだ

それにしても
動植物すべて年齢とともに形が変化する
受け入れるしかないんだな
ああーーーーあ
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戦争

2010年08月16日 11時14分14秒 | 日記
人がこの地球に生を受けて後
ずーーーーーーと戦争ばかり
戦争を指令する人は生きながらえるが
戦争に現場でたづさわる人は
命が危うい

命がけで国を守る
そうだろうか
戦争は誰も幸せにしない

戦争で大金持ちになっても
だからどうなのよ

8月の15日が終わると
パタッと戦争ニュースが途絶えるのも
いつものこと

我が父は第二次世界大戦勃発のとき
公の場で戦争はくだらないやるべきでない
と言い放ったので
我が家にはいつも憲兵が付きまとっていた

その憲兵と大の仲良しになった
幼児のチャコちゃん先生
いつも肩車をしてもらって
遊んでいたらしい

憲兵も幼児も暇だものね
庭に防空壕を掘るときも
その憲兵さんのお働きは見事だったと
姉が教えてくれた

どんな立場に居ても
人は毎日の平和が一番
「今日も楽しかった!おやすみなさい」
といえるのは
人と争わない日
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昇天

2010年08月14日 15時02分49秒 | 日記
一頭残っていた蚕
繭を作れず本日御命御璽昇天

同じ日に孵化し
同じように桑の葉を食べ
環境も同じ

それでも甲乙が出来る
この子は食が進まずいつまでも細かった
それでも脱皮を繰り返し
糸を吐くときに吐けない

昇天した後の体も軽い
体内で糸が育たなかったのだろう
桑の木の根元に埋めた

蚕に限らず
グリーンベルトの生垣も
異常に高く伸びたのや太くなった枝
春は頭を並べていても
いつの間にか不ぞろいになっている

まして人間も
大いに変わる
なんでも一緒が不自然であることを知る
でこぼこあって自然

他の蚕のなかにも
美しい繭を作った子
途中で諦めていびつにしてしまった子
中には仲良く二人で一つの繭に入っている子達も居る

たかだか20頭でも
この不ぞろい
何万頭と育てている養蚕農家の苦労が偲ばれる

皇居の蚕もどんな様子なのだろう
慈愛の方に育てられ幸せな子達

蚕はまさしく
産んだものより
育ての人の愛で一生が決まる

からからに軽い蚕を土に埋めながら
さすがにオセンチになるチャコちゃん先生
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慈愛

2010年08月13日 13時32分33秒 | 日記
「ヒサコさん慈愛の人に遭うと拝みたくなるわね」
オーラソーマのテイチャー仲間Mさん
東海の人なのだが
「イブキ」レッスンで筑波まで行った帰りに
当方へ

「いきなりどうしたの」
「今日はそのことだけをつたえったかったの」

最近はMさん日本を知りたいと
色の勉強も松尾先生の「イブキ」になり
いまカタリストとして
全国に招聘されている

日本を知るには皇室を理解する必要がある
どういうわけか皇居の勤労掃除のグループに志願
めでたくそのチャンスが来て皇居へ

「皇后陛下の養蚕の場と天皇陛下の水田が隣同士だったわ」
綺麗に整理されていたそうだ
中には蚕が桑の葉を食んでいた
「たぶん小石丸よ」

「其れよりね」
掃除が終わるとお茶が出るのだそうな
そのとき両陛下がお出ましで
お声をかけてくださる

「特にね妃殿下の慈愛に満ちた立ち居振る舞いに」
思わず手を合わせたのだと
「拝んじゃったそれも自然にーー」

周りを見ると
皆手を合わせ、中には感極まって泣いている人もいた
「私も涙が出てきたのよありがたくって」

存在だけで
ただ其処にいらっしゃるだけで
慈愛を感じる

両殿下のお優しいまなざしに
「日本人の原点を見た感じ」
難しいことは何もいらない
解釈も説明も要らない
お二人がかもし出す愛こそが
「本来の日本人の到達するべきところだと思った」

ホヤホヤの感動を
「ヒサコさんに真っ先に伝えたかったのよ」
「ありがとう、嬉しいわ」

英語とフランス語に堪能
経営学の勉強も怠りなく過していたMさん
猛暑より暑い日本信者になっていた
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東京牛乳

2010年08月11日 17時23分46秒 | 日記
その土地で出来るものを食したい
さらに
自分の住む町の製品を大切にしたい
また応援もしたい

と結構崇高な考えを持って
東京産というのを食したり身に付けていたりする

蚕も「青熟」は多摩シルクのもと
であるからして
チャコちゃん先生も育てているのだが
まだ2頭が繭を作れないで居る

それはともかく

東京友禅を着る
東京の草木染を着る
そのうえ
最近は東京育ちの繭から
セリシン液を煮出して化粧液を作った先生がいらっしゃる
その液を顔につけると
つるつる
アトピーの友人もかゆみが消えたという

というわけで
西多摩で作っている「東京牛乳」の愛好者

前は
近くのスーパーにもあったのだが
今ではこの近くでは京王デパートで購入するしかない

牛乳一本結構重い
しかもきものを着ているときは
出来るだけ荷物を持ちたくない
まして
デパートのビニール袋はーーー

そのため
絹の三角袋をいつも持ち歩いている
東京牛乳は
この絹の袋に包まれて
わが冷蔵庫に鎮座する

美味しいかと言われればわからない
でも生らしいよ
しかもパッケージも白と黒で
シンプル
粋だねえ

今日もこれから東京牛乳を汗かいて求めに行く
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気の早い蚕

2010年08月10日 12時27分25秒 | 日記
夏休みを察したのか
わが蚕は早々に繭作りを始めた
いいのかなあ

小さくて可愛い
小指の先の関節くらい
どうしようかなあ

どうしようもない
ひたすら造繭に励んでいるんだもの
SOSの呼びかけに
送ってくださった桑の葉も
わがベランダ菜園の桑の葉も
皆手持ちぶたさ

いいのかなあ
25日たっていないよ
名前が「青熟」だから「早熟」なのか

せっかくの休み返上なので
熱帯魚の水替えに専念
夏は水遊びが一番

あっそうだ!
早いわけはこれか?
先般
廣島から松山への船旅のとき
丁度太陽が西に傾き
その夕焼けがあまりにも美しいのでカメラを向けた

帰って現像をすると
なんと天と海に光の十字架が映っていた

あまりにも神々しく
これは「アマテラスオホミカミ様」の光だ
と感じ
大きな団扇に貼り付けて
(なんで団扇なのかね)

「蚕を愛したアマテラスオホミカミ様の力を借りなさい」
と蚕を育てるざるの下に敷いた
このパワーが効いたのだろうか

誕生して20日目に繭を作っている

ゴメンナサイ
なのか
ヨカッタネ
なのかわからん
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長崎原爆投下

2010年08月09日 13時09分31秒 | 日記
被爆した永井博士の詩に
「長崎の鐘」がある
「こよなく晴れた青空にーー」
という言葉が続き原爆のむごさをとどめる

大国におもねっているわが総理の言葉はむなしい
田上市長の言葉は胸を熱くする

菅さんは「市民派」だったのではないかしらん
其れがどうやら大国に何をささやかれたのか
わが国民の目線からはるか遠くを見るようになった

ハトちゃんが総理のときも何も手助けしなかったものね
その頃から大国に言い含められていたのかな

被爆者の平均年齢が76歳という
後に続く若い人たちが
この被爆の現実をどのようにつないでいくのだろう
私たちは
8月6日、8月9日を永遠に忘れてはいけないと思う

平和記念公園に初めて訪れたのは
中学三年のときだった
父の出張に学校をお休みしてお供した

父が仕事をしている間
父が書いてくれた地図は平和公園や教会で
其れを回って亦平和公園の平和の銅像の前で出会う手はず

基本的にわが父は
教科書より実践教育を私に実施していたので
父とはよく歩いた

その中でも
長崎はかるちゃーショックが強かった
私が余りにも大人しく静かなので
翌日はグラバー邸で海を見ながらゆっくり過した

切り替えの早いチャコちゃん先生
そこで
「ある晴れた日」を
高らかに歌いもとの元気な少女に戻った

思索という行動が長続きしない人なんだな

でもむごい
「核」なんてものどうして持ちたがるのだろう
核より土が大切

一昨年訪れた長崎は
緑豊かでおいしい食べ物
そしてオランダ、中国、日本の文化が
渾然一体となった異色の興味あふれる町になっていた

それはヤハリ
日本の土地の凄さだと思う
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無計画

2010年08月08日 17時03分00秒 | 日記
蚕の世話は一日4回の桑の葉与えになった
其れくらいよく召し上がる
この猛暑で
ベランダの水遣りも2日に1回になった

ということはね
チャコちゃん先生に夏休みはない

植えている桑の葉では間に合わず
農工大にSOS
大きな桑の葉が届き
蚕は早速
葉っぱの上から下上から下
なめるようにスピードを上げて食べる

ボツボツその音も聞こえるほどの食欲となった

後先考えず
えっちら日本橋から蚕を携えてきて
オバカじゃあのう
無計画もはなはだしい

仕方がないので
片付けたり整理をしたりすることにした
ごろんと風に当たりながら
「ポアロ」を読もうと
新たに本も購入

きちんと片付くか
ポアロで夏休みが終わるか
チャコちゃん先生の意志の問題

というわけで
このブログもせっせと書きまっせ
退屈したらお越しやす
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立秋だよ今日は

2010年08月07日 10時42分01秒 | 日記
心なしか今朝は風を心地よく感じる
いつも立秋の日からは
麻の着物をお休みさせるのだが
今年はそうは行かない
マダマダ出番は続く


ヤハリ目には疲れた布になっている感じがする
麻の中でも
苧麻の糸のものは元気の復元が早い

麻の着物の手入れ
外から帰ったらまずきものをハンガーにかけたっぷりと霧吹きし汗を飛ばす
その後半乾きの間にきちんとたたみ、
たとうしにきものを入れて座布団二枚の間に置き
その上に座って本を読んだりテレヴィを見たり

寝敷きという手もある
ベットの愛用者にはむりだが

これで麻はピンピン生き返る
次に手を通すときは折り目正しく着る人の肌に沿ってくれる

大麻の糸のものは
武張って居るのでこのように簡単ではない
びしょびしょにぬらしてたたみ
朝日新聞にはさんでヤハリ座って寝押しのようにする

イロイロ新聞を試したが
チャコちゃん先生に限らず
染色関係の人たちも朝日新聞を使う
吸収がよくインクがにじまない

麻のきものや襦袢を洗濯機で洗う人も多い
その場合は乾き過ぎないように注意しないと
植物繊維は水が好き

しかし苧麻は機械は苦手
それだけ精妙、手で愛でるのが一番

いづれも最終は「雪晒し、海晒し」できれいになる
雪晒しでは雪の上に置いた布の下の雪は
10センチも雪が沈む
太陽の光と雪の水、更に両者が溶け合ったイオン
白いものは真っ白に、染めたものはチョット怖い
織りの色物は色につやが出る
日本人の知恵はすごい

この春雪晒しして30年前の越後上布が新品によみがえった
もう少し活躍してもらおう

ご相談受けますどうぞ
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