チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

本日誕生日

2021年07月18日 08時16分00秒 | 日記
家で生まれて家で死ぬ(死ぬのはどこかはまだわからないが、両親も姉たちも自宅で旅だった)
こういう時代に生を受けたことに感謝
姉二人、兄一人の我が家に小さい赤ちゃんが生まれるというので、三人の子供たちは朝から落ち着かなかったらしい
家にはいつもと違った人たちが集まってるわけだし、姉二人は終業式で学校に出かけて兄はやんちゃ盛りなので、遠くの父と同業の家庭に預けられたという
「帰ったらお前が赤い顔して寝ていた」と兄、かなり大人になっておしえてくれた
姉たちからはどういう状態だったのか聞きそびれていたが、学校に出かけるときはみんながお湯を沸かしたり、産室は子どもは立ち入り禁止なので、何が行われていたかはわからない。学校から帰ってきたらあなたが小さいお布団の中ですやすや眠っていた。という話を上の姉から聞いたのは、もうかなり大人になってからだ


兄はわたしと喧嘩すると
「お前は本当はうちの子ではない、俺がよその玄関に捨てられていたのを拾ってきてやったんだ」といじめて私を泣かせていた。

実はこれは本当の話で
父が厄年の42歳の時の子供なので、一度父親と同業の家の玄関に捨ててそこで拾ってくる。というような習慣があったらしい。それをわが両親は実行したようだ。
そうすると元気に育つということらしいが、そのことを知っている兄は私を泣かせる材料に使っていた

二度ご臨終の憂き目にあったが、今は健康に過ごしている。此れも一回捨てられたおかげかと思う(笑)
両親が生きた年齢を越し、姉や兄ももうこの世で会えない。善き家族だったっと思う。
姉が結婚をして家をでるまで、毎年お正月に晴着を着せられ兄弟四人で写真を撮っていた。
先日姉の遺品を整理していた姪から送られてきた四人の写真が、今は私の宝

戦前の家庭教育を受け
戦中の家族の結束を身に感じ
戦後の姉や兄の呆然とした姿。墨で塗りつぶされた教科書での勉強。新しい教育を受け日々生意気になる末娘。両親の戸惑い。
社会が急激に変化する中でも、自分たちの信念を通す両親の姿。
教育の変化に戸惑う兄の姿も悲惨だった。それをじっと見ていた両親はもっとつらかったであろうと今はわかる

そしてこんにち
更に世の中は変化を遂げつつある
あの激動の時代の両親を見ていたことが今は私に落ち着きを与えてくれる
自分軸がしっかりしていれば、外の波風に揺らぐことはない
自分の軸が天につながっていることを確認していれば怖いことはない

そんなことを思う誕生日の朝

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3 コメント

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Unknown (畔髙早春)
2021-07-18 15:37:08
お誕生日、おめでとうございます。
中谷先生の、これからのご活躍と御健康を心より、お祈り申し上げます。
また、お会い出来ます日を心待ちに致しております。ブログは、毎回、、拝読させていただいております。楽しみです!
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Unknown (Unknown)
2021-07-18 19:17:43
中谷先生、お誕生日おめでとうございます。
『和服なら、私』以来着物の基本は先生です。
生涯現役応援しています。
返信する
ありがとう (中谷比佐子)
2021-07-20 08:57:28
畔高さんお会いしたいですね
ありがとうございます
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