久しぶりの初釜
何年ぶりだろう。姉が健在だった時だからもう10年ぶりかもしれない
しかも違う流派の初釜、無謀にも正客
なんと恐れを知らぬ、また恥を知らぬすごい人
しかし未知なるものに興味をもってわからないことは質問して覚え、そこにまた知恵を学ぶ
こういう挑戦が出来るくせに、というより好んでするくせに、実はすっごい「人見知り」
どなたにも信じてもらえないが、ずるずるずると腰を引く人見知り
初対面の方に話しかけるなんてことは死んでもできない
路も聞けない、一人で喫茶店にも入れない、ましてやレストランなんてーー
なのに突撃でその渦の中に入ってしまう無謀さがある。おかしな性格だ
というわけで違う流派の初釜
先生が深沢菜月さんで、日本料理と、イタリアレストランの経営者のひとり
そのおかげで懐石料理のおいしいこと、実はこれは目当て
それにしても静寂な空間、器の美、床の間のしつらえ、着物のかすかな衣擦れの音何もかもが幽玄の世界だ
しかも懐石料理のお味はもとより、盛り付け色合わせの妙味、最後にすべての器を一つにまとめて下げていく合理性
大盛は陶器、此処の器は漆器
こういう使い分けに日本人の美学と合理性を学ぶ
それにしても姉の流派とどうでもいいところが逆になっていて、笑ってしまう
多分形にうるさい先生は形無しで参加する人を絶対に拒絶するだろう
でもお茶の心はそんなもの乗り越えて一つの空間の中でみんなが美をめでる心さえあればいい
お点前をする菜月先生やお弟子さんたちの着物姿を見ているだけでもご馳走
着物の形が美と合理性を持ったものであることを再認識させられた
もし日本から着物が亡くなったら、日本の文化は総崩れ、ということは日本国そのもののも存続しない
それくらい無言の美しさと重要性を語るきもの姿であった
そして
懐石はすべての食事の作法が織り込まれている
長い正座でひざががくがくしたけど気分はすっきり、姉の姿を思い出し、我が家で稽古をつけてもらっていたころの「おかま」も久しぶりに菜月先生に使っていただき、おかまもきれいになってにこにこしていた
いい時間を過ごした
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