チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 417

2021年03月16日 15時46分08秒 | 日記

茜さす

日本茜で染めた色の美しさは古代から人々の憧れの的

茜も紫根も奈良時代は天領で栽培されていた

それは万葉集に現れている

額田王の歌がそれ「茜さす紫のいきーーー」つまり茜と紫根の天領で、天武天皇と天智天皇たちが遊び戯れている情景

もともと額田王は天武天皇の恋人であったが、天智天皇の后になり、今はもう人妻になった恋人に未練がましく袖を振っている。額田王はそれでは目立ちすぎるのでお控えください。という意味の歌だと中学生の時に教わった

しかしそれがなんと

新宿の伊勢丹で行われていた「万葉を染める」という山崎斌さんの展示会にふらふら入って、チャ子ちゃん先生は着物の道にはまってしまった。その時山崎斌さんの解説は、茜の色は少し紫を指すことで色に輝きが出る、という意味のことを述べていた。恋歌だと思っていたのに、そういう解説も付けられるのだと面白いと思った

茜色は皇后の袴の色だとも教えられた。しかし戦国時代になると甲冑の脅しいろ、または紐、更には下着と男たちの身を守る美しい色になった

茜も紫根もその染材が根であるため非常に希少だ。そのため昨今は西洋茜の輸入、インドや中国からも輸入されていて、日本本来の「日本茜」はさらに少なくなっている

その日本茜は皇居でも発見され、上皇皇后さまが大切に育てている

上皇皇后さまは、皇太子妃、皇后妃殿下の時代軽井沢で山崎桃桃麿(山崎斌さんの次男)さんの茜染めがお気に入って、何枚かお持ちだ。そして山崎桃麿さんの展示会には必ずいらしていた。確かに奈良時代から皇后の色と定められただけある高貴な色なのだと納得。

若いとき、結城紬の糸に山崎青樹さんに茜色を染めていただき、結城の地機で織っていただいた。美しい色の着物が出来上がったけど、あっという間に年齢が通り過ぎ、気前よく一番似合う方に差し上げた。ところが昨年その茜染めを着たその方に出会い、「返してほしいなあいい色だものね」と冗談に言ったけど。心底「惜しかったなあ」と思った

青樹さんが「茜はきる人と一緒に年を重ねていくからね、似合わなくなったなと思っても又必ず着るときがくる」と教えてくださっていたのだがーーー「短気は損気」だね

 

今日は寺田豊さんの茜染めの展示会に出かけた。京都で日本茜を栽培する方がいらして「いい色に染まりました」と寺田さん嬉しそうだった。思わず微笑みたくなる可愛い色。これぞ日本のいろ


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