病床にいるときか細い声で「ナカタニサンに会いたい」と訴えていると聞いて、チャ子ちゃん先生すっ飛んで赤穂に赴いた
普門寺住職「藤本恵祐」さん。ココ20数年様々なことを話し合ってきた
主婦業から一転比叡山にいき、天台宗の僧侶となって46年
その時末っ子の息子が10歳であったという。その息子さんが
「お母さんがお山に行ってしまうと誰が一番喜ぶの?」
と泣きながら母に聞いた
「神様が喜んでくれる」と母
「ならいいよ僕応援する」
しかし母はその息子に常に心が行っていた
「僕の母からみんなの母になった」
という息子さんの感覚はどこかに母を求める気持ちがあったと思うし、10歳の子から離れた母の心もまたその子の気持ちをいつも気にかけていた
そういう母の心が信者さんたちへの「慈悲」に向かい、居心地のいい寺になっていて、あらゆる宗教の人たちが普門寺に集まり、人としての生き方について語り合っていた
同世代しかも誕生日が同じということで初対面から肚からの友達になっていたに幼い心が
幼い頃の空襲の話の中で死んでいる妹を負ぶった幼いお兄ちゃんが「妹に水を飲ませてあげたい」と水飲み場に行く様子、死んだ赤ちゃんに一所懸命乳をのませようとする母親の姿、そういう戦争中の光景をまだ6歳の恵祐さんは見続けて、こういう世の中を終わりにしてみんなが平和な暮らしが出来るようにならなければ、と思いひそかに僧侶になる決心をしたのだという
チャ子ちゃん先生の方が2歳年上だけど、何たる甘ちゃんの幼児期だったのかと、戦争中の壮絶な出来事を見て、幼い心がもうすでに「人を救う道」に向かっていることに驚いた。やはり宗教人になる人は幼い時から「自分の道」を知っているのだと思った
其れにしても語り合ったことがあまりにも多岐にわたっていて、その思い出がありすぎて今は整理もつかない。その人が人としての肉体が消えてしまったということに、風が吹き渡るようなさみしさを感じる
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