チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 57

2018年11月26日 20時18分41秒 | 日記
着付けの取材は僧侶の着付けというのも有った
当時よく伺っていた京都の大徳寺であらゆる着付けの写真を撮らせていただいた
襟しか表には見えない白衣にもこだわりがあり
結城紬の白生地を好んでいた方もいた

この着付けでは動きと着付けの連動
どういう動きをするか
信者に自分をどう見せていくかという職業によって見せるものが違うということがとても新鮮な驚きであった(あたり前なのだが)

前の雑誌でフアッションのページを担当していてまたショーにも良く出かけ
いかに見せるか自己主張をどういう形でするか
そのためには何を強調するのか
自己表現を嫌という程見せられたけど

それは僧侶の中にもあり「袈裟」に各段階が現れていた
袈裟といえば九条袈裟が一番偉い方の正装になる
その丈つまり寸法は打掛と同じ寸法
打掛は丸帯と同じ寸法でもあるので日本の和装のなんと合理的なことかと関心しきり

この時
芝の増上寺に和宮の九条袈裟が残っているということで即取材

皇女和宮には異常に関心を持っていて、その頃和宮の棺が開けられ胸に持っていた写真が一瞬のうちにその写っていた人の姿を消したというので
和宮15歳で輿入れの決まっていた有栖川親王の写真ではないかと取りざたされていた

明治維新で最も大切な公武合体のために皇室から徳川家に降嫁し徳川家茂の奥方になり世の中を鎮めるお役をなさったので
多くの人たちはイヤイヤ結婚されたのだという認識であった

ところが取材を進めると仲の良いご夫婦で常に一緒に行動をしていることが日記に書かれていた
家茂が庭に降りようとすると和宮が先にすっと降りて家茂の草履を揃えるとか
お付きの人たちの書き記した書の中のお二人は微笑ましい若夫婦

家茂が長州征伐の為大阪に遠征することになり
「宮、都の土産は何がいい?」
「できたら西陣の打掛を」とおねだりしている様子も読める

しかしお二人の幸せは続かずー4年ー家茂21歳の若さで旅先で帰らぬ人となる

和宮はその知らせを聞くとすぐ薙髪し髪を家茂の棺に納めた
その後
和宮の元へ家持が依頼した打掛が届く
和宮は
「空蝉の唐織り衣なにかせん
あやもにしきも君ありてこそ」
と詠んで増上寺に寄贈

増上寺では和宮の生誕日(5月10日)と9月2日の命日に大僧正がお召しになって居ます
(昨今のニュースは確かめてください)

和宮は32歳でこの世を去りますが静観院として家茂の供養を続けていらっしゃいました

その撮影の折和宮の
ご衣裳も見せていただきそのお品の良さに見惚れたものです

#和宮 #袈裟 #家茂 #公武合体 #増上寺 #大僧正 #九条袈裟 #うち掛け#長征征伐 #明治維新
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