チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 337

2020年06月07日 14時00分10秒 | 日記

今朝の新宿は23度涼しい

昨日は28度だった。速足で歩くと汗ばむ

40年来の仕事仲間藤後一矢(ワンズスト社長)の展示会にお仲間と伺う

大島紬を愛し、ジャワ更紗に恋をしてるため、私財をなげうって着物づくりをしている

藤後さんは鹿児島の生まれで、若い時は女学校の英語の先生をしていたという

ハンサムなので(今だったらイケメン?しかしハンサムという言葉が好き、そこには粋さと知性を感じるから)さぞや学生の憧れの先生だったのでしょうね?と聞くとニヤッと笑うだけ(もてたんだよね)

藤後さんの大親友が奄美大島で大島紬の制作をしていたので、大島紬を知れば知るほど虜になりついに鹿児島で大島紬メーカーの宣伝を任され、当時としては珍しい「絵羽がすりの大島紬」を提案し「大島紬はパーテイにも着られます」といううたい文句で各地に出向きその土地のお嬢さんたちにモデルになっていただき、フアッションショーを開催した

 

その時チャ子ちゃん先生は演出を頼まれ、スタッフたちとスタイリスト、着付け、メイク、モデリング、オーデイションなどのお手伝いをして、藤後さんと全国を回った。プロのモデルを二人御連れして、御素人さんに模範を示してもらうのだが、年齢幅も広いのだけど、みなさんはみるみる女優さんのように自信がつき美しくなっていく姿を見るのがとても幸せだった

 

本番の時は素人モデルさんの親戚一同が席を埋め尽くし悦びの興奮の嵐(もちろん他に展示した大島紬は飛ぶように売れたのよね)

きものがこんなに人を喜ばすことが出来るのだと改めて着物に感謝した

 

藤後さんはそのころから大島紬のデザインを手がけ斬新な大島紬が次々と発表をされた。その時協力していただいた西陣渡文の「纐纈の袋帯」がこんなにも新しい大島紬と調和するのかと感心したものだった

 

藤後さんはその後着物があまり売れなくなってからさらに「使命感」に突き動かされ独立して奄美大島、鹿児島で頑張っている作り手たちの手を休ませないように、自分でデザインをして買いきりという気風のよさ。さらにはインドネシアまで出かけ「ジャワ更紗」の着物や帯の制作をその地の人たちを育てながら作り続けている

 

「なんでそんなに頑張ってるの?」

「好きなんだな、現場にいるとわくわくが止まらない、楽しいんだ」 

実に明瞭。でもその出来上がったものが売れないと次が進まない

しかし

使命感を持つということはそこに熱のある波動が生まれるので人は吸い寄せられる

 

ながいことこの業界を見ていると

本当に好きで楽しく使命感を持っている人の着物や帯は人の心をわしづかみにする

これからの時代はここだな――と思う

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 女性支援に力を入れる 野田... | トップ | 情報の受け取り方 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事