もてなす心は自分自身をもてなしていないと出来ないことだと思う
他人へのおもてなしは日本人は上手だった
心を込めてお茶を入れる
心を込めて掃除をする
心を込めて人の話を聞く
心を込めて料理を作る
その結果出来上がりが上手でなくとも許される
自分自身へのおもてなしはどうだろう
清潔にする
前向きな言葉を使う
自分自身を卑しめない
快食快眠快便これが一番の自分自身へのおもてなし、そういう自分にすることに努力する
日本料理というのは究極のおもてなし
隠し味、それを感じる人がいなくても昆布とカツオで元の味を作る
料理人はその味を感じてくれる客がいると心から喜ぶ
感じてくれなくても自分自身ために作り続ける
微妙な味の違いが分かる国民が日本人
その違いが本物と偽物を見分けてきた
味覚がおかしくなると、本物も偽物もわからなくなる
日本料理は手間暇かけて素材の元の良さを損なわず作り上げ、それを味合う人に目の喜びも与えるための食器もあり盛り付けの美しさ、会話の楽しさがある
家庭料理でも母たちの世代は家族の食事をおろそかにしなかった
鰹節を削らされるのは子供の仕事
舌で日本を味わい、食器で日本人の美学を味わい、行動でおもてなしを覚える
それが日本の一般家庭だったような気がする
上野のパンダの子育てを見ていて、身をもって笹の食べ方を教えている母パンダに昔の母たちを思い出した
栄養を取るだけのための食事からおもてなしを理解する食事に切り替えたら、崩壊寸前の日本も持ち直すかもしれない
国は「食」から滅びるといわれているが
農薬、加工食うんぬんより、地球に存在する素材を生かした家庭料理から国は蘇生するかも
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