チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 141

2019年04月22日 11時03分05秒 | 日記
養蚕についてちょっと書いてみたい

富岡製糸場がユネスコ文化遺産に指定され観光地になり多くの人が訪れている
蚕が日本の近代国家の先駆者者であったことを深く感じてくれれば嬉しい

明治維新で一気に近代国家の仲間入りを果たした日本
まず皇室行事から着物を外した
公的な国家の集まりには裃などの着物ではなくフロックコートやモーニングコート女ははロープでコルでなどの夜会服
当時は当然絹の素材が使われていたが明治の終わりにはウールや化学繊維のものになっていき
絹は廃れた

しかしながら絹を生む蚕の活躍は力をますます発揮し
「日本の生糸、日本の蚕の種は世界一素晴らしいの評価を受け生産量も世界一
ヨーロッパの王朝貴族の間では日本の絹を身につけることがステータスとなっていた

その心臓部分が富岡製糸場であった
他に岡谷、岡崎、飯田、宇佐などなど日本の各地で養蚕業が盛んになっていた

富岡製糸場は始め国家後に企業の手に渡るのであるが当初働いていて女たちは各潘から選ばれた士族の子女だった
教養豊かで才気あふれる女性たちがここで製糸業を学び
それぞれの地元に戻って指導した

袴姿も凛々しく当初はフランス人の指導を仰いだので
彼らが飲む赤ワインを見た人達の間で「富岡に行くと血を取られる」という風評もたったらしいが
機械化された製糸業を一気に日本全国に広げたのは富岡製糸場で学んだ女たちだった

群馬県を中心に広がった養蚕業はその生産が昭和30年の終わりまで日本は世界一を誇っていた
今でも見ることができるが
エリザベス女王の戴冠式のときそのドレスの素材に選ばれたのが日本の絹
その当時のイギリスは大英帝国の名の下世界で一番いいものが届く環境にあり
その中で一番人の目を引くドレスが愛媛県の野村町のものであったことを誇りに思う

しかし
化学繊維の台頭で絹の産業は一気に冷え込み今や養蚕農家の数は最盛期の1万分の一にしか満たない
しかも今年から桑農家も一軒になった

天皇行事で使う絹のお粗末さに呆れ果てたチャコちゃん先生
その糸を見たとき涙が止まらなかったしなんでここまで私は声を上げないで過ごしたのだろうと自分の愚かさに気がついた
同じように感じた若手が再建を誓い明治の初期まで続いた日本の素晴らしい糸作りに力を注ぐ計画を昨日ゆっくり話し合った

知恵と知識を伝える年齢になったのだと自分の立ち位置を再認識した夜だった

# 養蚕農家 #桑農家 #士族の娘 #チャコちゃん先生 #富岡製糸場 #エリザベス女王の戴冠式 #野村町 #中谷比佐子
 
コメント
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