千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「ローマで語る」塩野七生×アントニオ・シモーネ

2010-02-21 14:40:09 | Book
ある日のこと、新聞の片隅に掲載されている小さなカラー写真に私の目は釘付けになってしまった。
ミルクをたらしたようなこっくりとあたたかそうな栗色のコートに、淡いとても綺麗なラベンダーの皮の手袋をつけた女性。なんというエレガントな色の組み合わせだろうか!
完璧なイタリアン・マダムの貫禄のあるその女性は、作家の塩野七生さん。小柄な女性にも関わらず、男性軍、しかも御しがたい右翼で硬派の男どもを征服している唯一の日本女性である。古代ローマや中世のイタリア、地中海世界の歴史を語ったら右に出る者がなかなかいない作家が、今度は大好きで書物と同じ重きをおく映画をご子息と語った対談集が「ローマで語る」である。

ヴィスコンティ、キューブリック、フェリーニ、ゼフィレッリ、黒澤と塩野さんの趣味と評価は、まさに私の好みに重なる。こんなご母堂の傾向をご子息のアントニオさんは、「僕はいつも母の意見に耳を傾けます。でも大体が、美に対して敏感な、メンクイの女性の意見ですよ」との感想に、私は思わず笑ってしまった。
美しいものを役者から衣装、景色のすべてにスクリーンに求めてやまないのは、映画を愛する全女性の共通の期待ではないだろうか。かくいう私も、スクリーンで躍動する新人のイケ面のチェックは、彼らの肉体も含めて当然怠らない。余談だが、「かえるぴょこぴょこ」のかえるさんが映画『12人の怒れる男』の感想で、「1人くらい目の保養になるイケメン青年がいてもいいんじゃないかと」という建設的な意見を発見して、全く私も映画を観ている途中、同じような感想をもったことを思い出した。ニューヨークの貧民街で生まれ、こどもの頃は靴磨き、青年時代はサーカスの団員だったバート・ランカスターやフランスの孤児院育ちのアラン・ドロンが、ヴィスコンティの映画では見事に美しく品のある南イタリア貴族になりきっているから、私たち女性は上等なお酒をのんだ後のようにヴィスコンティ銘柄の美酒に酔えるのだ。しかも、何回でも。

このようなイケ面賛歌の女性たちと違って、アントニオさんのフィールドは実に広い。身近にもいたようなアニメとゴジラが大好きな少年が、そのまま映画産業に突入したようなアントニオさんは、アメリカのハリウッド映画からB級映画まで、製作者としての視点で変化球を塩野さんに投げる。『神々の崩壊』では、鉄鋼王の一族の若者たちが身にまとうナチの将校の服を単純に美的に決まっていると評価する。ナチのすべてを醜悪と決め付けるのは、僕らの世代ではもう納得しない。美しいものは美しい、ナチの将校服は、どの国のものよりも美的に優れているのは事実だから、それを認めたうえでナチズムと対決した方がよい、という映画産業で働く30代半ばのひとりのイタリア男性の意見には衝撃を受けた。言われてみれば、確かにそうだ。ヒットラーはともかく、アーリア人の軍服姿は美的には決まっている。逆にこんなタブーに近い一言を、そしてはっきり言ってしまうご子息に、やはりこの偉大なる母の息子だったとも感じる。人間にとって本当に危険な存在は、醜い悪魔よりも美しい悪魔であることは、キリスト教でも認められているそうだ。

また主演男優賞をとった映画『カポーティ』を、主人公のカポーティに他者を思いやる気持ちが感じられない利己主義者のために好きでないとするアントニオさんに、塩野さんは「作家は自分の作品をよくするためには悪魔にさえも魂を売る人種であることを知らないからで、観客の共感をよばない映画だからこそ観る価値があると伝えているのは、同感。苦味を知ってこそ人生も幅が広がる。

ところでアントニオさんは、今は失業中だが、『スパイダーマン』ではプロダクション・アシスタントという映画製作チームの最下位のお仕事に従事していた。別名”ジョーカー”と呼ばれる何でも屋でありながら、誰もがやりたくない仕事も押し付けられるのが、この肩書き。一方、『副王家の一族』ではプロデューサー・アシスタントを勤める。スポンサーとの交渉など人の嫌がる仕事を押しつけられるのも同じだが、プロダクション・アシスタントは映画製作のトップ会議では、部屋の外にいて誰も入れないように見張り、反対にプロデューサー・アシスタントは会議には出席しても発言を求められることはないので、ひたすらメモをとり、会議終了後に詳細で正確なレポートを提出するのが仕事。日本語で言えばどちらも”蚊帳の外”には変わらない。最初は延々と出てくるスタッフの中にも名前はのせてもらえない。フリーターであるアシスタントは、プロデューサーが書いてくれた証明書をもって次の職探し。そんなアシスタント残酷物語に、まるで解雇せざるえなくなった家政婦に渡す、人物と能力の保証書みたいという塩野さんの感想には、いい年をして無職になってしまった息子さんへの母親としての気遣いが感じられる。
なんたって、
「あなたはたぶん、いや確実に、多くの女を知るだろう。だけど母親は私一人ですからね」

こんなことを言っちゃう素敵なお母さんだが、本書の著者プロフィールで塩野さんがすでに70代の初老の女性と知った。田舎の女性が都会の大学に憧れて入学する感覚で、学習院大学を卒業してイタリアに留学した塩野さんは、かっての日本の若者たちに見られた行き当たりばったりの典型でそのままかの地に居ついてしまったそうだ。美意識の強い塩野さんにとって、イタリア男はさぞかし引きとめる魅力があったことだろう。読者としても塩野さんの旅がもっと長く続くことと、作品という別次元のこどもをこれからも残されることを願ってやまない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿