宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

もう、宗教は要らない時代になった

2021年09月20日 | 精神世界を語る
今さらながら、やっぱり、もう宗教に入るような時代ではない。精神世界の探求は、自分でやるのが一番だ。古今東西の良書は山ほどあるし、スピリチュアルYouTuberだっている。スピリチュアルYouTuberに関しては、「新手の教祖」と見る向きもあるだろうし、「芸能人みたい」と思う向きもあるだろうけど、悪いとは思えない。十分に見て楽しめる。

筆者は長年の精神世界マニアで、スピリチュアル・ニューエイジだけでなく、宗教や哲学にもさんざん関わってきた。子どもの頃は禅寺に通って座禅を組み、お坊さんからお経を習ってた。般若心経や観音経を暗誦していた。小学生のときはお経の意味がよく分からなかったが、中学生くらいになると段々わかってきて、高校生くらいになると「般若心経にはどういうことが書いてあるか」をヒトに解説できるほどになった。こういう、子どものときに意味もわからず身につけたものは、大人になってからも潜在意識に深く浸透して思想的な背骨みたいなものになる。フロイト先生の精神分析学によると、そうらしい。大学生のときは教会に通ってカトリック要理を学び、キリスト教に入信する一歩手前まで行ったこともある。本音をいえばカトリックに限らず、どこの宗教にも入る気はなかったのだが、女性に釣られて入りかけていた。アリガチなパターンだ。教会というのは四谷の上智大学のとこにある聖イグナチオ教会で、カトリックの総本山みたいなところだ。神父さんはドイツ人でバリバリの神学者だった。筆者は聖トマス・アクィナスの「神学大全」や聖アウグスティヌスの「神の国」その他を愛読していた。神父さんにも、「うーん、聖トマス。いいですね」と言われた。

でも、それ以上に印象に残っているのは、昭和の終わりから平成にかけての「第3次宗教ブーム」だ。オウム真理教・幸福の科学・法の華三法行その他の強力な新宗教団体が一斉に乱立した、あの時代。思想マニアなので、もちろん関心を持っていた。「最高ですか?」の法の華には教義らしい教義がほとんど無かったが、オウム真理教と幸福の科学については、信者なみに教義をよく知っていた。というより、信者よりよく知っていた。 どちらも、出てきた当初はマジで本物っぽく見えた。「なんだか、凄いのが出てきたな?」と思ったものだ。でも、なぜか悪い予感がした。今は良さそうに見えるけど、これからだんだん悪くなりそうな予感がしたのだ。予感は的中したというか何というか、どちらも想像を遥かに超えて最悪の団体になってしまったが(笑)
(追記・・・いや、さすがにオウム真理教みたいな凶悪犯罪者と並べるのは幸福の科学さんに失礼でした)

統一教会(原理研)やエホバの証人、創価学会の勧誘も本当にしつこかった。人には、大きく分けて2つのタイプがある。新興宗教の勧誘を受けやすいタイプと、勧誘されにくいタイプだ。筆者は言うまでもなく前者、つまり勧誘されやすいタイプだった。大学のキャンパスを歩いていると、いつも原理研から声をかけられるので、「またか。いつも声をかけられるので勘弁してもらいたい」と文句を言ったところ、「それはご先祖さまの功徳が呼び寄せているんですよ」と勧誘員の人に言われた。もっとも、勧誘を受けて話を聞きに行って見ると、当方は信者諸氏を質問攻めにするので、ウンザリして信者はたいてい離れていったが。ちなみに、統一教会の教義については、信者は「仏教とキリスト教を統一したのだ」というけど、当方には「儒教」にしか見えなかった。日ごろ愛読していた「論語・大学・中庸」といった儒学の経典からの影響が強くて、日本の新宗教とは明らかにテイストが違ってた。「さすがは韓国。骨の髄まで儒教の国なんだな」と感心したものだ・・・。

それはともかく、もう宗教に入るような時代ではないと、つくづく思う。大昔の伝統宗教にも、20世紀の新宗教にも、それが必要とされる時代背景はあった。でも、宗教団体は大変だ。信者さんたちには、大変な努力と苦労をしている人が多い。それが修行だった時期もあった。でも、もうその必要はなくなっている。

今は、スピリチュアルYouTuberの動画があるから、宗教は必要ない(笑)。個人的にはやっぱり、女性のスピリチュアリストがいいと思う。並木良和氏や吉濱ツトム氏は男性だけど、なんだか女性的というか、中性っぽい感じのする人たちだ。なんといっても、霊的な感性がモノをいう。スピリチュアルというのは、もともとそういう世界なんだし。

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