宇宙のこっくり亭

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思考の声に、耳を傾ける ~ エックハルト・トール

2009年07月11日 | エックハルト・トール
 
エックハルト・トールによると、「大いなる存在とひとつである」という感覚が得られない一番の原因は、自分の思考を「ほんとうの自分」だと思い込んでしまうこと。
 
思考は本来、道具にすぎない。思考力は、この世でうまく生きていくための、便利な道具。思考力のおかげで、仕事も勉強もはかどるし、生活もうまくいく。本来は「ほんとうの自分」が使いこなす、道具のはずだった。ところが、現代人の多くは、思考がとめどなく垂れ流され、逆に思考に支配されてしまっている。日々の思考こそ、自分なのだと思い込んでしまっているという。

「思考がある」ということが問題なのではない。問題は、「思考が誰にもコントロールされず、勝手気ままに暴走している」ということ。われわれが使いこなすはずの思考が、逆に、われわれを縛りつけ、支配している状況だ。

思考に束縛されている自分に気づくことが、悟りへの第一歩となる。そのためにはまず、自分自身の思考を観察することから始める。敵を知り、己を知れば、百戦あやうからず。まずは、思考を知れ・・・ということらしい。

心を落ち着かせ、研ぎ澄ませて、「思考の声」にじっと耳を傾ける。特に、「何年もかかり続けている、古いレコード」の声を聞く。これには、思い当たるフシがある。「あのとき、ああしていれば・・・」と何年も悔やみ続けたり、「○○さえできれば、道は開けるのに・・・」と何年も願い続けたりすることが、人間にはアリガチなことだ。

重症になると、ブツブツとひとりごとを言うようになる。エックハルト・トールも、気がつけばトイレの鏡に向かってブツブツしゃべっていた自分に気づいたという。といっても、本人が自覚して気づいたのではなく、隣のひとが奇人変人を見る目で自分を見ているから、やっと気づいたということだ。そこまでいかなくても、頭の中でひとりごとを垂れ流している人は多い。口には出さないだけで・・・。
 
「思考を観察する」というと難しそうだが、要はこういう「頭の中のひとりごと」を聞くということ。それだけで、日々、垂れ流されている「思考」とは別の、「もうひとりの自分」の意識が目覚めてくる。「ほんとうの自分」が主導権を取り戻し始める瞬間・・・。
 
ここで重要なのは、あくまでも「観察」するということ。「反省」するわけではない。わざわざ昔のことを思い出して、「あのときは、私が悪うございました・・・」などとやるのは、自ら進んで「過去の記憶」に縛られるようなものだ。日本人的なマジメさは、たしかに美徳ではあるのだが、この点では有害だと言える。

「観察」には、良いも悪いもない。善悪の判断はとりあえず置いといて、まずは客観的に眺めるのである。たとえば、きれいな人妻を見て「一緒に寝てみたい」というような思考が発生したとしても、それはそれで、自分にそのような思考が発生したという現実を受け入れるしかない。重要なのは、「反省」ではなく、「観察」なのだ。「いま、この瞬間」に生きることが出来てくるにつれて、そのような思考は自然と起きなくなる・・・はずだ。

 
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