シュメール神話の神々アヌンナキが、なぜ、こんなに取り沙汰されるのかというと、主神のエンリル神が、あまりにも旧約聖書の神様・ヤハウェ神と似てるからだ。
特に有名なのは、ノアの洪水。イラクの遺跡から出土したギルガメシュ神話に、ほとんど同じエピソードが記されていた。
いわく、人類の腐敗堕落に激怒したエンリル神は、あるとき、大洪水を起こして人類を絶滅させることを決意した。でも、シュメールの神様は、エンリルだけではない。エンキ神は、人類滅亡を阻止すべく、賢者ウトナピシュティムに洪水情報をコッソリ伝えた。箱舟に乗ったウトナピシュティムは、大洪水で人類が滅びる中、水が引くまで、なんとかシノギきった・・・。
この話は、細部に至るまで旧約聖書のノアの大洪水と酷似しているので、そこになんらかの関係があることは、誰が見ても明らかだった。
しかも、旧約聖書のヤハウェ神の場合、激怒して人類を滅ぼすのかと思ったら、裏ではコッソリとノアを助けていたり、矛盾した行動を取っていて、それが長いこと、人類にとってのナゾだった。その点、元ネタのシュメール神話では、大洪水を起こしたのと、人類をコッソリ救ったのは別々の神様なので、元はずっとスッキリしたストーリーだったことが分かる。旧約聖書のヤハウェ神の行動が矛盾しているのは、元は2つの神様がやったことを、強引にひとつにまとめたからだ・・・ということまで判明した。
この旧約聖書のヤハウェ神が、そのまま新訳聖書、つまりキリスト教のエホバ神であることは、キリスト教徒でなくても知っている。イスラム教徒だって、イスラム教が預言者マホメットから始まったと思ってる人はいない。それは、旧約聖書のアブラハムから始まったのだ。マホメットは、大勢の預言者の最後に出てきた「真打登場!!」ってところ。唯一神アッラーは、アブラハムの時代から、ずっと唯一の神様。そもそも、ヤハウェ神を祀り始めた最初の人、旧約聖書・創世記のアブラハム自身、シュメールの古都・ウルの出身だ。
その、ヤハウェ=エホバ=アッラーには、元ネタがあった。それが、人類最古の神話。イラクの大河のほとりの泥土の中から掘り出された、赤茶けた太古の粘土板にクサビ形文字で記されたシュメール神話を見れば、エンリル神こそヤハウェ=エホバの正体だった。
イスラム教とキリスト教は、巨大な世界宗教だ。ユダヤ教も、シオニストがイスラエルを建国以来ずっと支えてきたように、大きな力をもっている。世界にはいろんな神話があって、さまざまな神様がいるけれど、ヤハウェ=エホバ=エンリル神こそは、まさしく地球に君臨するトップなのだ。
しかも、シュメール神話によれば、火や道具の使い方を教え、シュメール人に人類最古の文明をもたらしたのは、エンリル神とエンキ神。特に、エンキ神だ。おかげで、世界中が石器時代の原始人だった頃、シュメール人だけは文明人で、ビールを飲み、今とたいして変わらないような料理を食べていた。このため、エンキ神は「人類の始祖」と仰がれている。
これを、「エンリルやエンキは、地球にやってきた宇宙人だったのだ」と解釈したのが、ゼカリア・シッチン。この説は、精神世界関係者にあまりにも知れ渡っているので、もはや当たり前のように語られることが多い。
そんなわけで、いまやすっかりメジャーになった、古代イラクのシュメール神話。
問題は、ヤハウェ=エホバ=エンリル神が君臨する地球が、どういう世界だったかということだろう。ご存知の通り、宗教戦争が連続して、無数の信者が血まみれになって死んできた世界だ。仏教や道教・ヒンドゥー教・神道といった宗教で、宗派による意見の違いが原因で戦争になるなんてことは、まず考えられないのだが、ヤハウェ=エホバ=エンリル神が君臨する世界では、それがしょっちゅう起きてきた。
しかも、旧約聖書を見れば、何かといえば激怒して、人類皆殺し作戦を発動する神様だ。これを「邪悪な宇宙人による、地球支配の歴史」とする見方は、そういうところから来ている。
もっとも、荒ぶる神だった旧約聖書の神様は、新約聖書では、愛の神様に変身した。さらに、コーランになると、ますます寛容な愛と慈悲の神様になった。それも、最初の頃の啓示では、まだカナリ厳しくて怖かったんだけど、後の啓示になるほど、人に優しくなってきた。
「実は、悪い神様だったのだ」という話にも一理あるのだが、「コーランを読めば、心が安らぎます」というのは、間違いなく事実。筆者は、気分が悪くなったときでも、コーランの読誦を聴けば落ち着いてくる。アッラーともなると、通常の人間的な善悪など超越しておられるのだ。世の中は、一筋縄ではいかない・・・。
シュメールの話、好きですね^o^
シュメール神話だけでなく、イスラム教も妙に好きで、忘れられた頃に必ず蒸し返すテーマ(笑)
送っていた中でもエルの神が至高と言われていたと記憶しています。出所失念ですいません。
現代の研究者は、神の多面性と説明している人もいますが、むかしもいまも多重人格はいやじゃないですかね?多重人格の神が居たとして信仰をあつめるでしょうか?
いろんな神様がいて、それぞれ信仰を集めていたと考えるのが自然だと思いますが、いかが思いますか?
あと、エンリルは最高の神ではなく、妬みの神、裁きの神と自分でいっておられますし、イエスが父と呼んだ愛の神とも違いますよね。
根元の神と自称するには、ちょっとレベルが一桁以上違う気がします。怒られますが、ゲートボールを考えた人が、私が始まりというような結構限定的な事にたいして根元のと表現されたのではないかとおもいます。
ユダヤ教成立時にアンチとして意識したエジプトの信仰でも至高神としては出てこられません。
結局、祟るし怒りっぽくて怖いから、高く祀られた気がします。
菅原道真さんを引き合いに出すのは申し訳ありませんが、似たパターンではないかと(笑
長文失礼しました。
最後になりますが、考察、とても楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。